評価が難しい選手だと思う。とにかく短い全盛期には素晴らしい選手だったのは間違いない。

makoto-imaoka20120919




PL学園から東洋大学を経て逆指名ドラフト1位で阪神に。エリートである。大学時代は遊撃手だったが、プロでは二塁(553試合)、三塁(439試合)、遊撃(265試合)、一塁(6試合)。内野手ということになろう。
当初は、長打は少なく、シュアなアベレージヒッターだった。しかし、成績の浮き沈みが大きかったが、2003年に.340で首位打者を獲得。

このころから、チャンスに非常に強い打者というイメージを帯びてきた。以後3番打者に定着したが、2005年には試合数を上回る147打点を記録。これは1999年の横浜ロバート・ローズの153打点とともに、近年では突出した記録だ。満塁本塁打4本というすごい記録とともに、強く印象に残っている。

しかし、この年を最後に打棒は全くふるわなくなり、2009年には阪神を戦力外となる。ロッテに移籍したものの成績は振るわず、今季はコーチ兼任となるが、一軍出場がないまま引退となった。この間、二軍では2010年.282、0本塁打11打点、2011年.232、1本塁打3打点。今期はファームでも出場がなかった。

今岡の宿痾は「ばね指」とよばれるものだった。腱鞘炎が悪化したものだが、バットをしっかり握ることができなかったようだ。

野村克也は今も、口を開くと今岡を「言うことを聞かなかった奴」とののしっているが、扱いにくい選手だったようだ。

STATSを見ると、毎年違う選手のようだ。足が遅い、あるいは盗塁に興味がなかったこと、そして早打ちだったことは見て取れる。

ポテンシャルは高かったと思うが、その資質を十分に生かすことなく引退したという印象だ。