君は松ぼっくりの「ぼっくり」の意味を知っているか
秋。それは幼少のころ、友人たちと松ぼっくりを競って拾った思い出の季節。
松ぼっくり、かわいいですよね。私は好きです。
クリスマスリースにも欠かせない、寒い季節のマスコット的存在です。
あれ、でもひとつ疑問が。松はわかるけど、「ぼっくり」って何なんでしょう。
ぼっくりの「くり」は、何となく「栗」な気がする。でも「ぼっ」って?
全体的に開いているから、「ぼっ」と開いた「栗」という意味かしら。
考えていても結論は出ないので、『日本の漢字 1600年の歴史』(ベレ出版)などの著書で知られる日本語の専門家、立教大学文学部文学科の沖森卓也教授に聞いてみた。
するといきなり沖森教授の口からは、思わず眉をひそめる意外な言葉が。
「松ぼっくりの“ぼっくり”は、“ふぐり”が転じた語です。つまり陰嚢ですね」
え? 耳を疑った。衝撃だった。
陰嚢というと、あの、男性の股間からぶら下がっている、精巣を包み込んで保護している、あれですか……?
「まったくその通りです」
ショックだった。幼い日々の思い出もみるみる色褪せる。
私は嬉々として松の陰嚢を拾い集めていたということなのか。
競って、誰よりも多く陰嚢を集めようと躍起になっていたというのか。
では、クリスマスリースにぶら下がっているあれも、陰嚢だというのか。
「まったくその通りです」
今のは沖森教授ではない。自分がようやくその事実を受け入れた、心の声だ。
沖森教授の説明によれば、“松ふぐり”が“松ほぐり・松ぼくり”に転じ、それがさらに転じて現在の“松ぼっくり”という言葉になったらしい。
『日本国語大辞典』によると、“松ふぐり”は15世紀末には用例が見え、書言字考節用集にも確認できるというから、江戸時代にはすでに一般的な語であったようだ。
“松ふぐり”は大槻文彦氏による日本初の近代的国語辞典『言海』にも載っており、この辞書には“松ふぐり”と同時に“松ぼくり”の語も確認できるという。
これによると“松ぼくり”はおもに関東地方の方言としてよく用いられた語形のようで、『日本国語大辞典』の“松ぼくり”の項目で方言分布を探ると、埼玉・東京および茨城・栃木などでとくに“松ぼっくり”と呼ばれていたことが判明した。
つまり……、まとめて言うとどういうことでしょうか。沖森教授。
「“松ぼっくり”は江戸・東京のことばが次第に共通語(標準語)化するにしたがって、18世紀末から19世紀初めにかけて定着していった言葉、ということになります」
なるほど、一気にためになる話になりました。ありがとうございましたっ!
ちなみに松ぼっくりは、俳句でも晩秋の季語として使われる季節の風物なのだそうだ。
調べてみると、明治期に活躍した俳句の大家・正岡子規も松ぼっくりの句を詠んでいた。
涼しさや ほたりほたりと 松ふぐり
涼しくて、過ごしやすい秋。庭に植えた松を軒先から眺めているのだろうか。
秋のやわらかな日ざしのなか、何をするでもなく庭を眺めていたら、音もなく松ぼっくりが落ちたのだろう。
そんな日常の風景にある「風流」を、見事に五七五のなかに閉じ込めた正岡子規の句。
実に味わい深いではないか。
「……でも陰嚢」
自分の心に住み着いた悪魔が囁く。
だめだ。陰嚢のイメージに囚われてはだめだ!
う〜ん。そんなわけで今回は、知らないほうがいいことっていっぱいあるんだなあと、ちょっぴりビターな気持ちになったのであった。
自分でここまで書いておいてアレですが、今日のコネタ、そっと忘れてくれてもいいですよ。
お食事中の皆さま、申し訳ございませんでした。
(新井イアラ)
松ぼっくり、かわいいですよね。私は好きです。
クリスマスリースにも欠かせない、寒い季節のマスコット的存在です。
あれ、でもひとつ疑問が。松はわかるけど、「ぼっくり」って何なんでしょう。
ぼっくりの「くり」は、何となく「栗」な気がする。でも「ぼっ」って?
全体的に開いているから、「ぼっ」と開いた「栗」という意味かしら。
考えていても結論は出ないので、『日本の漢字 1600年の歴史』(ベレ出版)などの著書で知られる日本語の専門家、立教大学文学部文学科の沖森卓也教授に聞いてみた。
「松ぼっくりの“ぼっくり”は、“ふぐり”が転じた語です。つまり陰嚢ですね」
え? 耳を疑った。衝撃だった。
陰嚢というと、あの、男性の股間からぶら下がっている、精巣を包み込んで保護している、あれですか……?
「まったくその通りです」
ショックだった。幼い日々の思い出もみるみる色褪せる。
私は嬉々として松の陰嚢を拾い集めていたということなのか。
競って、誰よりも多く陰嚢を集めようと躍起になっていたというのか。
では、クリスマスリースにぶら下がっているあれも、陰嚢だというのか。
「まったくその通りです」
今のは沖森教授ではない。自分がようやくその事実を受け入れた、心の声だ。
沖森教授の説明によれば、“松ふぐり”が“松ほぐり・松ぼくり”に転じ、それがさらに転じて現在の“松ぼっくり”という言葉になったらしい。
『日本国語大辞典』によると、“松ふぐり”は15世紀末には用例が見え、書言字考節用集にも確認できるというから、江戸時代にはすでに一般的な語であったようだ。
“松ふぐり”は大槻文彦氏による日本初の近代的国語辞典『言海』にも載っており、この辞書には“松ふぐり”と同時に“松ぼくり”の語も確認できるという。
これによると“松ぼくり”はおもに関東地方の方言としてよく用いられた語形のようで、『日本国語大辞典』の“松ぼくり”の項目で方言分布を探ると、埼玉・東京および茨城・栃木などでとくに“松ぼっくり”と呼ばれていたことが判明した。
つまり……、まとめて言うとどういうことでしょうか。沖森教授。
「“松ぼっくり”は江戸・東京のことばが次第に共通語(標準語)化するにしたがって、18世紀末から19世紀初めにかけて定着していった言葉、ということになります」
なるほど、一気にためになる話になりました。ありがとうございましたっ!
ちなみに松ぼっくりは、俳句でも晩秋の季語として使われる季節の風物なのだそうだ。
調べてみると、明治期に活躍した俳句の大家・正岡子規も松ぼっくりの句を詠んでいた。
涼しさや ほたりほたりと 松ふぐり
涼しくて、過ごしやすい秋。庭に植えた松を軒先から眺めているのだろうか。
秋のやわらかな日ざしのなか、何をするでもなく庭を眺めていたら、音もなく松ぼっくりが落ちたのだろう。
そんな日常の風景にある「風流」を、見事に五七五のなかに閉じ込めた正岡子規の句。
実に味わい深いではないか。
「……でも陰嚢」
自分の心に住み着いた悪魔が囁く。
だめだ。陰嚢のイメージに囚われてはだめだ!
う〜ん。そんなわけで今回は、知らないほうがいいことっていっぱいあるんだなあと、ちょっぴりビターな気持ちになったのであった。
自分でここまで書いておいてアレですが、今日のコネタ、そっと忘れてくれてもいいですよ。
お食事中の皆さま、申し訳ございませんでした。
(新井イアラ)