コラム「心理的考察日誌」

第八回目となるyotuaの「心理的考察日誌」。今回のテーマは「思い込み」と「信用信頼」について
さて、この世の道理として、人間同士の関係性をよくよく考えてみると、その根本にあるものは、全て思い込みと信用、信頼によって成り立っているのではないかと考える。

数値や計算方法は、昔の人が決めた方法に従って今でも使用しているものがままあるが、これも目安を定めた人が決めた「目安」である為、実際後年になって調べてみると、実は誤りであったということもある。

でもその誤りに気づくまでは、皆それを正しいものとして捕らえてきた、つまりそこで何があったのか。それはまさしく「思いこみ」によるものである。

「一般的に有名であるからそれが正しい方法」

人は時として、ただそれだけの理由でよくよく調べもせずその答えを判断する。
そしてまた、その方法が色んな場所で使われる事で更に信用を得ているといっても過言ではない

紙幣に関していえば、実は、これも信用と信頼のもとで成り立っている。
政府が決めたお金ではあるが、これに価値があるかどうかは消費者次第。

これが突然、単なる紙になったら、政府は信用と信頼が無くなり暴動が起きる。
普通はそんな事にはならないが、実は明日起きてもおかしくない話ではある。

北朝鮮では定期的にデノミネーション(通貨呼称単位の変更)を行っている。
その結果として、国内は混乱をきたしウォンの価値が一気に暴落、経済状況も崩壊。
昨年実施された5度目となるデノミでは更にその価値は下がり現在では1ドル=141ウォン(1ウォン=約0.87円)となっている。

ちなみに昨年実施されたデノミでは、その後も混乱が続出し、2010年3月18日には朴南基(パク・ナムギ)労働党計画財政部長がデノミに伴う経済混乱の責任を問われ処刑されている。

もし、これが日本でも行われたとしたら?
「ありえない」と考える人が殆どの事だろう。対岸の火事と思いきや、昨年発足した民主党政権下で当時の鳩山首相がデノミを検討していたことが明らかとなっている。幸いにして担当大臣の辞任によりその話は頓挫しているが、それさえなければ話が進んでいた可能性すらある。
ある日突然自分の財産価値が100分の1になっていたら……全くもって恐ろしい話である。


さて、話は戻るが、「物」の認識についてどう考えるか?
良く考えれば不思議なものである。

例えば「コレはカボチャです」というのが小さな頃にインプットされており、これが「カボチャ」であると認識している。

これをもし、スーパーなどで「札」(商品名)が無い場合、コレが何であると人は判断するだろうか?

過去に見たことのある物体と似た形をしている場合、頭の中にある知識を掘り起こしてコレが何であるか、どれくらいの価値があるかを考える。
そして恐らく「これはカボチャ」で、「だいたい○○○円」くらいと、その存在と適正価格を推察するだろう。

だがしかし、実際にスーパーで陳列されている商品には大体にして「札」がついており、人々はそれをみて「価値」であれ、「商品」であれ認識して判断している。
キャベツであれ、レタスであれ「札」がついているから、それと認識し、価値も考えることなく記載されたままを受け入れている。

ただ、本当にそれは「キャベツ」でその値段が「適正」なのか?と考えるとどうだろう?
「札」があるからこそ頭ごなしに信頼しているが、真価は調べていない訳だからもしかすると間違っているのかもしれない。

ちなみに、キャベツやレタスという言葉も昔の人が考えた言葉であり、単なる葉っぱに過ぎないのではないか?
昔の人がコレが食べれる、売れるというという判断から栽培し販売している。

もし、その判断が無かったら市場には出回らないし、現在出回っていない野菜もきっと多くあるだろうと考える。
多く出回っている野菜であれば、一般的に認識され多く栽培され市場に出回っていく

ちなみにその最たる例が、山に生えている野草や山菜。
よく考えれば食べれるものではあるが、余程の詳しい人で無い限りはそうそう摘んでまで食べようとはしない。
今まで生きてきた中で「食べれる=売っている」という判断に頼っている例とも言えるだろう。

また人は、食べた事無い物に対して警戒感を示してしまうことも多い。

考えてみると、

・その物を購入者が認識しており、ある一定の流通量があるもの
・物に対しては「価格」「商品名」
・政府が決めた紙幣や硬貨の価値

の点が決定されているからこそ人は購入すると思われる。
逆に考えれば、一般的に流通しておらず美味しい食材、素晴らしい物が存在する。
それを発見しようとする事は誰でも出来る。
発見し流通に乗せ、市場を確保すれば何らかの経済効果があるのではないだろうか。
ただ、これも一種の思い込みに過ぎないわけだが……。

■ライター紹介
【yotua】

高校時代から趣味で小説を書いていたが、言葉の表現に苦しみ最近は全く書けていない。
大学時代に学んだ経済学や心理学の知識なども含め
人の行動や人の考え方を客観的判断し、物の考察を自分なりに考えるようになり、現在に至る。



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