――今回の「ゴーストライター」というアルバムタイトルにした理由を「私、幽霊みたいだったから」とブログに書かれてましたよね。それは周囲からどう思われてるとかは関係無く?

柴田:自分の中ですね。もう引きこもってたので、人からどう見られてるかも、人に会ってなかったし(笑)、とにかく自分自身ですね。「ゴーストライター」って、世間一般的にはあまり良い言葉ではないじゃないですか。でも、もう8年もやって、今更「実は後ろに書いている人がいました」と言っても、逆にそっちの方が信じてくれないし。もし、そんな人がいたら、とっくにヒットしてただろうし、もっと振り幅が広く色々と出来ただろうし、似た様な歌がたくさん生まれないから、聴けば本人が書いてるって一目瞭然なんですよね。だから「ゴーストライター」という言葉を使うことによっての変な不安とか誤解とかが生まれるとはもう一切考えてなかったですね。

――「どんどん柴田淳が復活して行っている」「柴田淳を見失っていた」とも書かれてましたが、ご自身が認識する“柴田淳らしさ”とは?

柴田:パッパラパーな感じですかね(笑)。「なんで、こんなに明るいのに、こんなに暗いのを書くの?」って言われるぐらい、パッパラパーな時は明るいんですよね。

――実際にお会いすると「歌詞から抱いていたイメージと違う」みたいなことを、よく言われますか?

柴田:ギャップですよね、よく言われますね。例えば「白い世界」という曲があって。今よりはまだ落ちてなかったと思うんだけれども、「もうどこに行っていいか分からない」みたいな、ものすごく鬱状態というか落ちちゃったことがあった時に、世界が真っ白で、でも歩き出したら、その足跡だけは道になる。そこから世界が生まれてくるんだな、振り返れば世界が出来上がってるのかな?とか、今がどん底なんだったら?、これがどん底の世界なのかな?とか、そういう歌なんですけど。その時に、韓国の映画界ではものすごく有名なカメラ監督さんがいらして、「こんな僕でも生きていてもいい?」みたいな歌詞を書くから「どんな子だろう?」と思ったら、「こんな!?」みたいな(笑)。かなりショックを受けてましたね。そのぐらいギャップがあるみたいですけど。根は暗いと思います、私。

――集中して制作作業に入られるかと思いますが、歌詞を書いたりレコーディング以外の時とのON/OFFの切り替えは上手く出来ていますか?

柴田:出来ないですねー。

――ブログを書いている時も。

柴田:集中してますしね。夢中になって書いてるし。どのぐらい早いか、みんなに見せたくて。みんなの前でやってみると一気に指が動かなくなって、ミスタッチばかりになって。だけど、集中している時をどこかから盗み見られたら、多分すっごくヲタクに見えると思う。ずーっと書いてる…って、そんな話をしたいんじゃないんですよね? 浮上してる手応えと言うか、パッパラパーって言ったじゃないですか。「曲を作りたい」とか「曲が生まれるかも?」みたいに思った時は、やっぱり明るいというか、元の私というか。そうじゃない、落ちてる時は、もう全てに無気力ですね。例えば、恋したいとか、そういうことすらも、まず思わない。「もう何でもいい、何も要らない」みたいな。だけど元気になってくると、外に目を向けていくから「好きな人が欲しいな」とか「お洒落したいな」とか、女の子になってきますよね。

――精神状態が安定している時だからこそ、書ける歌詞ということでしょうか?

柴田:そういう訳じゃない。

――落ちてる時に書く感じですか?

柴田:あぁー。書く時は浮上して元気になってても、わざと落とすかもしれない。漫画家ですごく尊敬する、井上雄彦さんのドキュメントがこの前やってて。「何を良しとするのか?」とか「決してダメじゃないんだけど、判定勝ちなんだけど、KO勝ちじゃない」っていう作品に対する手応えの感じ方とかが、ものすごく似てたんですよね。井上さんが『バガボンド』という漫画を書いてて、武蔵を書きたくて。上っ面じゃなくて、そこにちゃんと命が宿っているかどうかが彼の良しとする所なんだけれども、それを突き詰めていくと、色々な物をどんどん削ぎ落としていく作業になって。「自分を掘り下げる作業」と言っていて、私も「ほじくる作業」と言っているんですけど(笑)、一緒だなぁーと思って。行き着いた所って、みんな誰しもが持っている闇というか、陰というか、そういう部分なので。どんなに私のテンションが上がってても、書く時は笑顔ですら。決して偽りではないんだけど、「笑顔の裏ってどういうものか?」と考えると、なんで元気な時があるかは、元気じゃない時があるから、みたいな。突き詰めて、掘り下げていくと、やっぱり深くディープな世界になっちゃうかな、と思いますね。