「子供が将来製鉄所で働くと言っている!」日本製鉄のUSスチール買収で一変した「瀕死だった鉄鋼町」の現在地
■USスチール買収1年で早くも成果
日本製鉄が2025年6月に約2兆円という巨額を投じて、ジリ貧状態であった米国の鉄鋼大手USスチールを買収して1年以上が経過した。買収時の約束であった大規模な設備投資や従業員の訓練による生産性向上が軌道に乗りつつあり、米国側の受け止めも好意的だ。
足元の決算では、USスチールの収益が日本製鉄全体の利益を支える存在となり、通期業績予想の上方修正の「立役者」になるなど、買収が大方の予想よりも早く成果を上げ始めたように見える。
日本製鉄の橋本英二会長の決断が日米の政治と経済のつながりの強化、および安全保障連携において、すでに目に見える成果を挙げていることは特筆に値する。
日本製鉄は米国において、まず政治面で成功することで、業績面でも成功する道を歩んでいるように見えるのだ。本稿では、進出先の地元住民や米政界からの高評価と好意が、いかに日本製鉄本体の企業改革を後押ししているかを読み解く。
■救済先に助けられる「救世主」の日本製鉄
日本製鉄の2026年度第1四半期(4~6月)の実力ベース事業利益は、国内が471億円に対して海外が613億円と、同社が主に海外で稼ぐ構造へと変化していることを示唆するものとなった。

目玉は、海外の事業利益の半分以上である322億円をUSスチールが叩き出したことだ。通期見通しにおいても、国内利益3800億円に対して海外は3200億円、その内USスチールが1800億円を占めると日本製鉄は予想している。橋本会長の読みが当たったのだ。
思い起こせば、同社のUSスチール買収は、「このままではつぶれてしまうか、同業他社に買収される運命にあったUSスチールを、資金力のある日本製鉄が設備更新と製造ノウハウ伝授で救う」というナラティブで語られることが多かった。
ところがフタを開けてみれば、国内需要で伸び悩む日本製鉄がUSスチールに助けられる「対等な構図」になっている。米鉄鋼市場の好況が生み出した価格交渉力の向上やトランプ鉄鋼関税による保護という、必ずしもUSスチール特有ではない背景もあるものの、橋本氏は短い期間ですでに結果を出し始めている。
■「日本製鉄は本当に約束を守るのか」労働者たちの一抹の不安
橋本氏の出した立派な結果は、高炉のそばなど危険と隣り合わせの現場において、ススで真っ黒になりながら汗を流して働く現場の鉄鋼労働者抜きでは語れない。
筆者は2025年8月に、「『日鉄=敵』から一転、トランプ心変わりの決め手は…日本メディアが報じない、USスチール買収成功のキーマン」と題された記事で、USスチール買収は、現場労働者が経営者や政治家を動かして連係プレーにより実現させた「啐啄同時(そったくどうじ)」の面が大きいことを指摘した。
では、買収成立から今までの時間を、労働者らはどう過ごしてきたのだろうか。日本製鉄が2025年5月に、USスチールに対する総額140億ドル(約2兆2000億円)規模の中長期投資計画を発表した際に、多くの従業員は「これでわれわれや、地元の若者に長期間にわたる雇用が保証される」と喜んだ。
また日本製鉄は、従業員1人当たり5000ドル(約78万6500円)の買収記念ボーナスを弾み、大歓迎された。「このお金は、子供の教育費に回すんだ」「俺はボーナスでお袋をイタリア旅行に連れて行くつもりだ」と話す労働者たちもいた。
その一方で、彼らの仕事や生活は、表面的に変わりがなかった。なぜなら、日本製鉄の発表はあくまでも計画段階のものに過ぎず、投資の詳細が徐々に明らかになった後も、現地ではしばらく「平常運転」が続いたからだ。
そのため、一部の労働者には「本当に日本製鉄は、約束を実行するのだろうか」と不安に駆られる人も少なからずいたようだ。

■「新しい設備から鋼板が出てくるまでは信じない」
たとえば、ピッツバーグ近郊のブラドックに位置するエドガー・トムソン製鉄所で労働組合の副委員長を務めるドン・ジャクソン氏は、「実際に新しい熱間圧延機の設備から鋼板が転がり出てくるまで、あの人たちの言うことは信じないことにしているんだ」と地元メディアに対して語っている。
日本人の感覚では、いくら何でも猜疑心が強すぎないかと感じられる。だが、これは日本製鉄に向けられたものと言うよりは、彼や同僚の人生体験に根差すUSスチール経営陣に対する深い疑いから出た発言に見える。
実際にジャクソン氏は、こう続けるのだ。「2019年にUSスチールが、ここモンバレーで10億ドル(約1570億円)を投じて、(1938年に稼働を始めた老朽化施設の代替として)最先端の熱間圧延施設を作ると華々しくぶち上げたことがあってね」「ところが2年もたたない内に、経営陣はコロナ禍を理由に計画を白紙撤回しちゃったのさ」
多くの労働者たちは会社に裏切られ続けてきたので、日本製鉄が社運を賭けて推し進める本気のUSスチール再生計画に対しても、半信半疑なのだ。新設備が導入されて、製造機械のローラーの間から、押しつぶされて薄く延ばされた加工製品が出てくるところまで見届けなければ、信じられないわけだ。

■積極投資で新たな製品・雇用が生まれ始めている
しかし日本製鉄は、「弊社が世界一に復権するために必要かつ有効な戦略」(橋本会長)であるUSスチール買収を、不退転の決意で実行している。
安易な撤退や事業所閉鎖をしない「証拠金」として、米国政府が重要な経営決定に拒否権を発動できる「黄金株」さえ差し出しているのだ。
実際に、USスチール再生の約束は目に見える形で実現し始めている。
高炉拠点であるペンシルベニア州のモンバレー地域においては、熱延設備の新設が許認可フェーズに入っており、老朽化設備では叶わなかった念願の自動車向け高級製鋼製造への第一歩が踏み出された。すでに連邦レベルの汚染物質排出審査(NPDES)は一部が終了し、地元当局の建設認可も間もなく下りると見られる。
同時にモンバレーでは、セメントの材料、コンクリートの骨材、道路の路盤材など、幅広い社会インフラに活用される鉄鋼副産物であるスラグを効率的にリサイクル処理する設備に対して、2月に認可が下りたことで、新設工事が進行中だ。
これらのプロジェクトにより、モンバレーにおけるおよそ3000人規模の鉄鋼関連雇用が守られるだけでなく、地元経済でこの先3年間に3200人規模の間接雇用が生み出される。

■政治と労働者の両方を味方につけた日本製鉄
日本製鉄のUSスチール買収1周年を祝う6月の式典に招かれたハワード・ラトニック米商務長官は、エドガー・トムソン製鉄所でおよそ80人の現場労働者代表たちを前に、「米国政府から見て、ニーパン(Nippon)は絶対的にディールの約束を守っている」と断言した。このように日本製鉄は政治を味方につけており、トランプ政権からの評価は極めて高い。
さらにラトニック長官は、「ここで鉄鋼が生産されれば、米国はより強くなれる。鉄鋼労働者の未来が力強ければ、モンバレー地域の未来も力強い」と述べて、従業員たちからも大きな喝采を浴びた。日本製鉄はまた、労働者も味方につけている。
こうした中、現場労働者たちにも、変化が表れている。目先の利益しか見ず、明確なビジョンも持たなかったUSスチールの経営陣と、それを買収した日本製鉄が違うことを、感じ取っているからだ。
■「子供が鉄鋼労働者になりたいと言っている」
モンバレー地域で最も南に位置するクレアトン・コークス工場で、製鉄高炉の高温維持に欠かせない石炭の焼成物であるコークスの生産に30年以上携わるリチャード・タイキー労組委員長は、「日本製鉄が20億ドル(約3135億円)かけて熱間圧延施設を完成させて、その10年後に閉鎖するなんて、あり得ないね。(10年をはるかに超えて)操業し続けるさ。俺たちがここで働いてきた雇用機会を、若い連中に引き継げるということだよ」と語る。
同氏は、「数年前にはなかった、『未来がある』という感覚があるんだよ」と告白した。
エドガー・トムソン工場で作られた鋼板(スラブ)をコイルやシート状に加工して仕上げるアービン工場が位置するウェストミフリンのクリス・ケリー市長も、日本製鉄のコミットメントを高く買っている。
同市長によれば、ウェストミフリンの子供の父親や母親たちが、「うちの子が将来、アービン工場の鉄鋼労働者の職に応募したいと話している」「雇用の安定ができた」と報告を寄せている。日本製鉄は子育て世代に至るまで、地元の人たちに未来の希望と安心を与えている。
■「アメフトチームへの寄付」で地元に溶け込む
日本製鉄は、雇用の安定を生み出すだけではなく、地元高校のアメリカンフットボール部の筋力トレーニング用のマシンルーム新設に40万ドル(約6300万円)を寄付し、さらに50万ドル(約7850万円)を地区の高校生向けアメフト競技場の整備に拠出するなど、「地元企業」としての貢献を行っている。
そうした施設でアメフト競技を通して鍛えられた若者たちの一部は、将来USスチールに入社して、現場労働者になるだろう。
ちなみに、USスチールのお膝元ピッツバーグは、NFLの人気チームであるスティーラーズの本拠地である。スティーラーズとは言うまでもなく、「鉄鋼労働者」を意味するチーム名だ。
■トランプ関税がUSスチール買収に奏功
日本製鉄のUSスチール買収を、どの基準で「成功」と評価するかは、①同社の世界戦略における中長期的な成長と安定への貢献、②投資の回収、③日米の政治と経済、安全保障連携における役割、などさまざまなマクロの尺度が考えられる。
米有力ニュースサイトのアクシオスは、日本製鉄のUSスチール買収1周年の分析記事で、「直近の日本製鉄の決算では、USスチールが大きな貢献をしているが、投資が回収できるかは不透明だ」とする懐疑的な論調を展開した。
しかし、日本製鉄は業績基準の達成に不可欠な「現場労働者からの支持」「地元の好意」を勝ち取っている。また、自由貿易を好む米メディアで悪者扱いされているトランプ関税が、こと日本製鉄のUSスチール買収に関しては、大きくプラスに働いている。なぜなら、米国の鉄鋼輸入が2026年1~7月に前年比21.6%も減少する一方で、同期間の米メーカーによる出荷量が前年比で5.3%伸びているからだ。
■国内シェアもみるみる上昇、主導権を取り戻した
そうした中、日本製鉄はペンシルベニア州以外でも、中西部インディアナ州ゲリーの高炉拠点における熱延設備増強と高炉改修、南部アーカンソー州ビッグリバーの電炉拠点におけるプラント新設、南部アラバマ州フェアフィールドの鋼管拠点における高級ねじ切り設備の増設など、米国各地で戦略的な投資に勢いをつけている。
積極投資により、自動車向けの高級製品はもちろんのこと、米国への製造業回帰やAIデータセンター建設など旺盛な需要を取り込み、業績をさらに改善させる目論見だ。
トランプ関税により、USスチールの出荷量の米国内シェアは2024年の9%から2025年に11%、2026年上半期に13%へ上昇するなど勢いがついており、最終販売価格でもUSスチールが主導権を握る中、投資は案外早く十分な利益となって返ってくる環境にありそうだ。
■買収で「日米同盟は強化された」
製造業界ニュースサイトの米マニュファクチュアリング・ダイブは、「日本製鉄の米鉄鋼市場における賭けは利益を生み始めている」と分析し、USスチール買収が成功であるとの見方を8月の分析記事で示した。
また、米上下両院で長年外交問題の政策立案アドバイザーとして活躍してきた、米有力シンクタンクである外交問題評議会(CFR)のダニエル・ボブ研究員も6月に米政治サイトのザ・ヒルへの寄稿で、「日本製鉄に買収されたUSスチールは縮小どころか、積極投資をしている。同社の労働者たちは苦境から受益へと境遇が変わり、米国政府の経営への関与も確保された。これにより日米同盟は強化された」と結論付けた。
こうして見ると、やはり橋本会長の情勢判断は正しかったように見える。
■日鉄は巨額投資を早期に回収できそうだ
一方で、インド系米鉄鋼スタートアップのメサビ・メタリックスが、中西部アイオワ州で年間生産量750万トン級の巨大な垂直統合型製鉄所を2030年に操業開始する予定が、9月28日にトランプ大統領から発表された。
これは、モンバレー地域の生産量350万トンの2倍以上の規模だ。米国内の競争は激化傾向にあり、長期的に日本製鉄が投資を回収できるかは未知数だ。しかし少なくとも、現下の日本製鉄の米国事業を取り巻くムードと状況は大変よい。
USスチールの労使協約改定は、この先5年間で18.2%の賃上げと4000ドル(約63万円)の記念ボーナスなどの条件で基本合意しており、労使間の隔たりが大きい退職者の医療保険負担の問題も10月を目途に解決されるとみられる。労組が特にこだわった熱間圧延設備の新設と雇用の安定の保証は、この記事で見たように実現しつつある。
現場労働者の高い士気に支えられて、USスチールは高級鉄鋼生産でライバルとの差別化を図り、同時にトランプ関税で中国製品などから守られる。「好業績はトランプ関税に支えられたタイトな需給で生み出された米国固有の一時的な事情のおかげ」「ダメダメであったUSスチールの真の改革はむしろこれから」「巨額投資が回収できるかは未知数」との厳しい指摘もあり、いち企業の大きな賭けの成否はまだまだ予断を許さないが、日本製鉄が巨額投資を早期に回収できる可能性が高まっているのではないだろうか。
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岩田 太郎(いわた・たろう)
在米ジャーナリスト
米NBCニュースの東京総局、読売新聞の英字新聞部、日経国際ニュースセンターなどで金融・経済報道の基礎を学ぶ。米国の経済を広く深く分析した記事を『現代ビジネス』『新潮社フォーサイト』『JBpress』『ビジネス+IT』『週刊エコノミスト』『ダイヤモンド・チェーンストア』などさまざまなメディアに寄稿している。noteでも記事を執筆中。
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(在米ジャーナリスト 岩田 太郎)
