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大手企業で部長を務め、退職時には5,000万円の金融資産があった田中さん。退職後は生活水準も下げ、「これなら大丈夫」と考えていました。ところが退職から1年後、90歳までの家計を試算してみると、毎月の生活費とは別に、老後設計から抜け落ちていた「大きなお金」の存在に気づくことに--。FPの三原由紀氏が解説します。

年収1,200万円、金融資産5,000万円…「これなら大丈夫」と60歳で完全リタイア

田中和彦さん(仮名・61歳)は大手企業に約38年間勤め、50代で部長職に就きました。退職前の年収は約1,200万円。同い年の妻は専業主婦で、ひとり息子はすでに独立し、現在は都内の持ち家の戸建てで夫婦2人暮らしです。

60歳の年度末に定年退職したときの退職金は2,500万円。預貯金と合わせ、金融資産は5,000万円ありました。

「これだけあれば、もう十分だろう」

もっとも、田中さんは無計画だったわけではありません。65歳から受け取る夫婦の年金は年325万円ほどの見込み。退職時に約1,000万円残っていた住宅ローンは固定金利約1%と低いため繰上返済はせず、65歳までに完済予定です。繰上返済に回さなかった1,000万円はドル建ての一時払終身保険に充て、毎年の定期支払金を受け取りつつ70歳で解約する計画です。

生活も現役時代のままではありません。妻には食費や日用品などとして月15万円を渡し、自分のカード利用額は、通信費や光熱費、ネット通販、ゴルフ、夫婦での外食などを合わせて月18万円程度。車関連費はガソリン代や自動車税、保険、車検などで年60万円ほどです。合わせて月約38万円。現役時代と比べれば、田中さんなりに抑えたつもりでした。

違和感を覚えたのは退職から1年後の春。確定申告の準備で、Excelにつけていたカード利用の記録を整理していたときです。

「退職してから、結局いくら使ったんだ?」

妻への生活費と自分のカード利用、車関連費だけで年450万円余り。さらに住宅ローンと固定資産税、前年の高い所得にかかる住民税や健康保険料もあります。どれも知っていた支出です。しかし、「1年間に出ていくお金」として全部足したことはありませんでした。

合計すると、最初の1年間の支出は800万円近く。定期支払金を差し引いても、現預金は700万円以上減っていました。

「こんなに使ったつもりはないんだけどな……」

ぜいたくをしたわけでもないのに、給与の入らない口座からは想像以上の速さでお金が減っていったのです。

90歳まで計算して初めて見えた、家計簿に載らない「大きなお金」

月38万円という水準は、統計と比べるとどうでしょうか。総務省「家計調査」(2025年)では、65歳以上の夫婦のみの無職世帯の消費支出は月約26.4万円。「全国家計構造調査」(2024年)でも、同様の世帯で65~69歳は月約30.5万円、75歳以上は約23.7万円です。

もっとも、こうした統計とは費目や世帯条件が同じではないため、単純には比べられません。問題は、金額の多寡ではありません。田中さんは「現役時代より減らしたから大丈夫」と感覚で判断し、資産と年金から毎年いくらまで使えるかを逆算していなかったのです。

そこで田中さんは、Excelの表を90歳まで伸ばしました。65歳で年金が始まり、住宅ローンも完済。70歳で保険を解約し、75歳で車を手放し、80歳以降はさらに生活費を抑える--。それでも、保険を解約する直前の69歳には現預金が500万円ほどまで減り、88歳で底をつく計算になりました。

「88歳まで持つなら……」と思いかけて、田中さんは気づきます。

「待てよ。これ、車の買い替え費用も家の修繕費用も入れていないぞ」

外壁や屋根の修繕、給湯器やエアコンの交換、車の買い替え、旅行。数年に一度の大きな支出は、カード明細に現れません。

医療や介護の費用も入っていません。生命保険文化センターの調査(2024年度)では、介護費用は一時的な費用が平均47.2万円、月々の費用が平均9.0万円、介護期間は平均4年7か月。それぞれの平均値を当てはめると、1人あたり500万円を超える計算です。

80代の赤字は年間25万円ほどと小さいものの、こうした特別費に加え、介護など想定外の支出が重なれば、「底をつく年齢」は何年も早まります。夫婦のどちらかが90歳を超えて生きることも、十分に考えられます。

「5,000万円ある」という残高に安心し、毎月の支出管理と30年の資金計画を同じものだと思っていた。それが田中さんの見落としでした。

全部やめる必要はない。まずは「毎月出ていかないお金」を取り分ける

では、ゴルフも外食もやめるべきでしょうか。長年働いて迎えたリタイア生活を「使わないこと」だけの暮らしにしても、長続きはしません。

大切なのは順番です。まず、修繕や家電、車、旅行といった特別費のおおよその時期と金額を見積もり、生活費とは別枠で取り分けます。時期も金額も読めない医療・介護費は、「手をつけない予備費」とします。そのうえで、残りの資産と年金から毎年使える生活費を逆算します。

田中さんの場合、特別費に500万円、介護など不確定な支出への予備費に500万円を先に取り分けると、現在の生活設計では90歳までに約1,000万円が不足する計算です。ただ、これを残り30年でならせば年35万円ほど。月3万円弱の見直しを積み重ねれば、埋められる額でもあります。

日々の支出は、満足度への影響が小さく金額の効果が大きいところから見直します。外食の回数を減らし、週末は少し上質な惣菜を自宅で楽しむ。ゴルフは月2回を月1回に。

効果が大きいのは車です。駅に近い田中さんの自宅なら、75歳を待たずに車を手放し、必要なときだけカーシェアを使う方法もあります。仮に70歳で手放せば、利用料を差し引いても5年間で200万円以上が浮き、車の買い替えという特別費もなくなります。その分、日々の生活費を削る幅も小さくできます。長年乗ってきた車を手放すのは寂しいものですが、「行きたいところに行ける自由」はカーシェアでも保てます。

都内の持ち家があれば、自宅を担保に老後資金を借りる「リバースモーゲージ」という手段もありますが、金利や不動産価格の変動リスクがあるため、あくまで最後の備えと考えておきたいところです。

そして欠かせないのが妻との共有です。いずれどちらかの体力や判断力が衰えることもありえます。1人で管理してきた家計を妻にも開き、「何にお金を使いたいか」「どんな暮らしを残したいか」を元気なうちに話し合っておくことが大切です。

毎月の支出をきちんと記録していた田中さんも、30年分を足してみて初めて、家計簿に載らないお金に気づきました。老後資金を考えるとき、家の修繕や車、医療や介護のための「取り分け」まで見込めているでしょうか。残高の数字だけでなく、そのお金が「いつ、何に」出ていくのか。一度、見直してみる価値はありそうです。

三原 由紀
プレ定年専門FP®