タイタニック号の日本人生存者 大物ミュージシャンの祖父だった「日本人の恥になる行動はすまいと」
日本テレビ系「金曜ミステリークラブ」(後7・00)が11日、放送され、タイタニック号沈没事故の日本人生存者について紹介した。
1912年に英サウサンプトンから出航した、当時世界最大の客船タイタニック号は、ニューヨークへの航海中に氷山に衝突して沈没。1500以上の死者が出た20世紀最大の海難事故として知られる。
生存者は約700人。その1人は日本人の細野正文さんだった。日本人としては唯一の乗客で、テクノユニット「YMO」細野晴臣の祖父だったことが知らされると、スタジオ出演者たちが驚きの表情を見せた。
細野さんは、当時の鉄道院(現・国交省)のエリート官僚で、全国の鉄道を管理・監督する立場にあった人物。ロシアなど世界の鉄道を視察している最中に、事故に遭った。2等客室の乗客だったといい、事故を受けて避難を促された。
しかし、救命ボートの数は限られており、女性や子供が優先的に乗せられた。人種差別が横行していた当時、細野さんは3等客室の乗客と勘違いされ、後回しにされたという。細野さんが残した手記には、「特に慌てることもなく日本人の恥になるような行動はすまいと心掛けた」と記されていた。救助活動を手伝っていたところ、偶然にボートの空きがあり、沈没を免れたという。
細野さんは事故から49日後、ニューヨークから船で帰国。奇跡的な生還劇だったが、祖国で待っていたのは、まさかのバッシングだった。当時の新聞には「日本人の顔にいい泥を塗ってくれた」「女子供が優先というのに、素早くボートにとびのって、命を助かったのである」などと、バッシング記事が掲載された。また「日本人が他の人を押しのけて救命ボートに飛び乗った」と虚偽の証言もあったたため、細野さんへの非難は高まったという。細野さんは鉄道院から解雇され、中傷を受けていた子供たちとも離れて暮らすことになった。
細野さんは真相を話さぬまま、1939年に68歳の生涯を終えた。しかし2年後、遺品の中から当時、したためていた手記が見つかった。
細野さんの汚名が返上されたのは、97年に公開されて世界的ヒットになった映画「タイタニック」がきっかけだった。映画公開を機に、遺品の管理財団が細野さんの手記を調べたところ、その真実が明らかになった。
番組では、命を懸けた祖父の行動について語る細野の肉声を紹介。「祖父が沈んでいたら、(自分は)いなかった。かみ締めるんですよ。祖父が正しければ、僕の生命も正しいというところにかかってくるんです」と話していた。

