“億り人”青学の元・大学教授、60代で名古屋の一等地に1.3億円の借金をして「3億円の家」を建てるも…「お金をつかった気が全然しない」と語る理由
高額な買い物をした際、「大きな出費をしてしまった」と不安や後悔を抱いたことはないでしょうか。しかし会計学の視点で見ると、世の中の買い物の多くは「本質的にお金をつかったことにはなっていない」という驚きの真理が存在します。鍵を握るのは、手元の現金が別の「資産」に姿を変えただけで、自分の「純資産」は1円も減っていないという「貸借対照表」の発想です。榊原正幸氏の著書『60歳までに億り人になる思考法 なぜ富裕層は好んで借金をするのか?』(PHP)より、富裕層の合理的なマネー戦略を紐解きます。
「借金=悪」という日本人の固定観念による弊害
さて、家計用の貸借対照表を理解することで、少なくとも次の2つの大きなメリットが得られます。
・買い物のうちの多くは「資産の種類の変更でしかない」ということがわかる
・安全な借金の比率を知ることができる
日本人は「借金は悪だ」と考えがちですが、借金そのものは悪ではありません。「借金には悪い借金もあるが、良い借金もある。そういうことを知らずに、闇雲に『借金は悪だ』と考えてしまうことが悪なのだ」ということです。
なお、本記事では、「お金をつかう」というのを「使う」ではなく、「つかう」と表記します。「使う」というのは英語では‘use’または‘utilize(英:utilise)’ですが、「お金をつかう」というのは、‘use’ではなく、‘spend(費やす)’だからです。
ですから、「お金をつかう」というのを漢字で表記するなら、「使う」よりは「遣う」の方が、ニュアンスが近いのですが、「遣う」もなんだかピンとこないので、一貫して、ひらがなで「つかう」と表記します。ただの、私のこだわりです。
3億円の家を買っても「お金をつかった」ことにはならない
3億円の家を買っても「お金をつかっていない」と言えます。それは、なぜか? 家を買うことは、「資産の種類の変更でしかないから」です。
家を買うということは(全額現金で購入する場合を除けば)、頭金という「現金」と住宅ローンで借りた「資金(現金)」で家(「土地」と「建物」)を買うわけですが、これは、「現金」という『資産』が、「土地」と「建物」という『資産』に姿を変えただけなのです。
その証拠に、家を売れば、また現金が戻ってきますよね。手数料や値崩れ分で、戻ってくる金額はいくらか減るでしょうけど、希少価値の高い立地に立つ家であれば、買った時よりも高く売れることだってあります。
家を売った時にいくらの現金が戻ってくるのかという金額的なことは千差万別ですが、家(「土地」と「建物」)という『資産』は、「現金(と借りた資金)」という『資産』が姿を変えたに過ぎないというのは、否定しがたい真実ですよね。
このようなわけで(金額が大きかろうが小さかろうが)、買い物のうちの多くは「資産の種類の変更でしかない」のです。このことを知ることは、人生において革命的な変化をもたらします。
1億3000万円の借金も「お金をつかった気が全然しない」
私は最近、1億4000万円くらいの土地を名古屋の一等地に買い、1億6000万円くらいかけて一戸建ての建物を新築で建てました。そのために1億3000万円の借金をしました。そうすると、みんなはこう言うのです。
「すごくたくさんのお金をつかいましたね! 借金の額もすごいし!」、と。
でも私は自信を持って、こう答えることができます。
「お金はほとんどつかっていません。いや、お金を別の種類の資産に替えただけなので、お金をつかった気が全然しないのです。そして、このくらいの借金は、した方がいいですし」、と。
家を買っても、純資産額は変わらない
これについて貸借対照表を使って説明します。ここからは、普通の言葉を会計学上の言葉(これを「勘定科目」と言います)で書きます。貸借対照表上では、「勘定科目」で表記するからです。ただ、「勘定科目」と言っても、普通の日本語です。全然、専門用語ではありませんのでご安心を。
たとえば、お金は、勘定科目では「現金」と言います。土地は「土地」で、一戸建ての居宅は「建物」です。そして、借金は「借入金」です。(普通の日本語でしょ!?)
私は、この「家と、そのための借金」以外にも、いくらかの資産と負債を持っていますが、それらは割愛して、ここでは、この「家と、そのための借金」だけについて取り扱っていきます。私がこの家を買う前と買った後の貸借対照表(B/S)は図表のとおりです。
[図表]家を買う前・買った後のB/S 出典:『60歳までに億り人になる思考法 なぜ富裕層は好んで借金をするのか?』(PHP)より抜粋
最初が上の図の状態です。「現金」という資産1億7000万円があり、借金はありません。次に、1億3000万円の借入金を興して、「現金」という資産を3億円にして、それを「土地」と「建物」という資産に替えました。それが、下の図です。
同じことをもう少しだけわかりやすく言えば、自己資金の「現金」1億7000万円だけでは金額が足りないので、借入金を興して1億3000万円の「現金」を用意して、「現金」の額を合計で3億円にしました。そして、1億6000万円の「建物」という資産と1億4000万円の「土地」という資産に替えただけで、純資産の金額は同じですね。
ここで、上図の「純資産」の額と下図の「純資産」の額をご覧ください。この土地と建物を取得する前も後も、私の貸借対照表上の「純資産」である1億7000万円は変わっていません。自分の財産の価値は、手元にある「現金」の額ではなくて、「純資産」の額です。「純資産」の額が減っていない限り、自分の財産は減っていないのです。
これこそが、私が「お金はほとんどつかっていません。いや、お金を別の種類の資産に替えただけなので、お金をつかった気が全然しないのです」と答えた真意です。
お金(「現金」)が手もとから出ていっても、それが有意義な別の「資産」へと「資産の種類が変わっただけ」であれば、それは本質的には「お金をつかったこと」にはならないのです。なぜならば、この「建物」と「土地」という資産は、売ればお金に戻るからです
(先にも書いたように、正確には、売ると、買い値よりはいくらか安くなってしまうかもしれませんが、うまくいくと高く売れるかもしれませんね。ですから、ここでは、「売り値はいくらなのか」は度外視して、「売れば、いくらかのお金に戻る」ということに留めます)。
「飲食・旅行・観劇・治療・寄付」はお金をつかったことになる
会計学で考えると、「お金をつかったことになる」のは、かたちの残らないことにお金を支出した場合に限られるのです。たとえば、「飲食・旅行・観劇・治療・寄付」といった、いわゆる「コト消費」系です。
それとは異なる、いわゆる「モノ消費」系のものにお金をつかった場合は、支出した瞬間には、実質的には、お金はつかっていなくて、他の資産のかたちで価値は残っています。そして、価値が目減りした分(この「価値の目減り」のことを「減価償却」と言います)だけを「お金をつかった」と考えるのです。
このように、お金をつかって、何かを買った場合、その買ったモノが「資産」であれば、本質的には「お金をつかったこと」にはならないのです。
それは、金額の多寡には関係ありません。3億円の一戸建ての家だろうと、300万円の車だろうと、30万円の腕時計だろうと同じです(勘定科目では、車は「車両運搬具」で、腕時計は「什器・備品」です)。
なお、「資産であれば」というのはすでに述べましたが、「売ればお金になるモノは全て資産である」と考えておけばいいでしょう。
ですから、むしろ留意すべきことは、「支出した金額」ではなくて、「リセール・バリュー(売ったらいくらになるのかの価値)」と「売る時期」です。
3億円の一戸建ての家を買っても、10年後に、もしそれが3億円で売れるのであれば、それは名目的には「1円もつかっていない」のです。「名目的には」というのは、「見た目の数字上は」という意味です。「名目的」の反対語は「実質的」で、金利やインフレ分を加味するのが「実質的な」判断です。
もちろん、その間の借入金の金利、固定資産税、その他の維持・管理費には、お金をつかうことになります(これらの支出は、形の残らないものに対する支出なので、「お金をつかって」います)。
しかし、これらの支出は「維持費」なので、いわゆる生活コストですし、ここで問題にしている「3億円の居宅」については、やはり「資産の種類の変更」でしかないのです。
この感覚を身に付けてしまえば、どんな大きな買い物をしても、「大金をつかってしまった!」という嫌悪感は一切持たずにすみます。
榊原 正幸
元・大学教授/会計学博士/税理士

