毎年盛り上がりを見せる「夏の甲子園」には、球児たちの心身に深い傷を残すウラの歴史がある。スポーツライターの広尾晃さんは「つい最近まで高校野球では、腕が折れてもいいというような身体を極端に酷使する球児が称賛されてきた」という――。(第1回)

※本稿は、広尾晃『高野連』(新潮新書)の一部を再編集したものです。

写真=沖縄タイムス/共同通信イメージズ
甲子園での試合を前に沖縄水産の大野倫(左)の投球を見つめる栽弘義監督=1991年8月 - 写真=沖縄タイムス/共同通信イメージズ

■高校野球のルールを変えた意外な男

1958年、徳島商のエース板東英二は、4月の春季四国大会の準決勝の高知商戦で延長16回を一人で投げ抜き勝利。翌々日の高松商戦も延長25回を一人で投げ抜き、敗退した。「3日間で41イニング」は大きな話題となったが、日本高野連はこれを問題視した。

日本高野連は、1948〜50年の「健康調査」のデータも参照して、この夏の選手権大会から、延長18回裏の時点で勝敗未決の場合には、その時点で試合を打ち切り、翌日以降に再試合をするとルールを急遽変更した。

新ルール施行直後のこの年夏の甲子園にも出場した徳島商の板東は、準々決勝で魚津の村椿輝雄と投げ合い、延長18回に至るも決着がつかず、翌日の再試合も9回を完投して勝利を挙げた。自身の登板がきっかけでできた新ルールの最初の適用者になったのだ。

板東の名は一躍注目を集めた。翌8月18日付けの朝日新聞で、当時71歳の飛田穂洲は「ただ感激あるのみ」「大喜エツ、世の中の幸福を独り占めしたような喜びを感ずる」と書いている。

板東英二は中日に入団後は救援投手として活躍。引退後、解説者、タレントとして一世を風靡したが、野球史を語る上でも外せない人物なのだ。

■右腕が「変な方向にねじ曲がっている」

1991年夏の甲子園では沖縄県初の優勝を目指す沖縄水産高が、2年連続の決勝戦に進んだ。しかし創部4年目の大阪代表、大阪桐蔭高に8対13で敗退した。

決勝戦後の表彰式で、沖縄水産ナインは、エース大野倫の右腕が「変な方向にねじ曲がっている」ことに気が付いた。大野は、沖縄に帰って医師の診断を受け、右ひじが疲労骨折していることがわかった。

大野は前年秋にエースになって以降、監督栽弘義(さいひろよし)の指示で連日200球、多い日には400球の投げ込みを続けていた。春先の熊本県招待試合でダブルヘッダーを2試合とも完投した翌日、練習でボールを投げたとたんに右ひじから「ブチッ」と言う音が聞こえた。

大野は「やってしまった」と思ったが、以後も一人で投げ続けた。夏の地方大会ではひじ痛に悩まされたが、鎮痛剤を注射して投げていた。夏の甲子園の投球数は773球に上った。決勝では13失点するも完投。この怪我で、大野倫は投手を断念することになる。

■遅すぎた「メディカルチェック」導入

翌朝の朝日新聞で記者の山本敏男は「大野のひじ痛が完治しないまま終えたのは惜しかったが、はつらつとしたプレーで力を出し切った点を評価したい」と評した。しかし一部に大野の登板過多を批判する声も上がった。

大野倫の負傷を、日本高野連第4代会長の牧野直隆は深刻に受け止め、甲子園大会前に出場校の投手の肩ひじの「メディカルチェック」を導入することを決定。1年の試行期間を経て1993年夏の大会から、春夏の甲子園に出場が決まった選手は、大阪大学整形外科の医師らによる「投手の関節機能検査(メディカルチェック)」を実施することとなった。

また、94年の春の甲子園から、投手数の増加に対応するためベンチ入り人数は15人から16人に増えた。さらに阪神甲子園球場にはレントゲン室が設置された。

甲子園大会でのメディカルチェックは、あくまで「甲子園大会期間中の怪我、故障を防ぐこと」が目的ではあったが、各校の指導者は甲子園大会前に投手のノースロー期間を設けるなど、健康面に配慮するようになった。大野の怪我とその後の高野連の施策によって、高校野球界は初めて「選手の健康問題」が存在することを認識したと言っても良い。

■煽り続けた「美談」の罪

しかし以降も、一人のエースが大会を投げぬいて大活躍するシーンは何度も見られた。1998年、横浜高は、春夏の甲子園連覇を果たす。エースの松坂大輔は両大会をほとんど1人で投げぬいた。

横浜高の渡辺元智監督は、春の大会後、松坂に1カ月のノースローを課したが、夏も松坂にマウンドをほぼ委ねた。夏の甲子園では、6試合のうち5試合で完投し、計767球を投げた。

8月20日、準々決勝の大阪代表PL学園戦は乱戦となったが松坂は延長17回を1人で投げぬいた。球数は250球に上った。翌21日の準決勝の高知県代表明徳義塾高校戦は9回の1イニングだけ投げ、さらに22日の京都代表京都成章高校との決勝戦ではノーヒットノーランを演じている。

翌日の朝日新聞の講評で記者の岸本千秋は「これには恐れ入った」と書いた。しかし、「健康への懸念」に言及した記事はほとんどなかった。

8年後の2006年、夏の大会で西東京代表早稲田実業高の斎藤佑樹は、1回戦から好投を続け、8月20日、エース田中将大を擁して史上初の「夏3連覇」に挑む南北海道代表駒大苫小牧高と決勝で対戦。試合は延長15回1対1で決着がつかず、翌21日の再試合で、早稲田実業は4対3で駒大苫小牧を下した。

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※写真はイメージです - 写真=iStock.com/gyro

■医学界の警告を無視し続けた

駒大苫小牧は、田中のほかに菊地翔太という控え投手も投げたが、早稲田実業は斎藤が1人で投げ、甲子園での投球数は948球に達した。これは春夏通じて甲子園史上最多だ。

このときの朝日新聞の講評も、斎藤を「恐るべき体力、知力に精神力。早稲田実・斎藤の全身に蓄えたエネルギーに驚かされた」と書いている。この記事を書いた記者の井上明は、高校時代に北四国代表松山商のエースとして1969年夏の甲子園決勝で北奥羽代表三沢高の太田幸司と再試合を含む2試合で投げあっている。斎藤は、「ハンカチ王子」の称号をつけられ一躍アイドルになった。

高校生以下の野球選手の「投球過多」による健康被害については、すでに1970年代に、徳島大学医学部が県内の野球少年に実施した広範な調査に基づき、中学生以下の選手の「投げ過ぎ」は、OCD(離断性骨軟骨炎)の発症につながると警告していた。OCDは、深刻化すると手術が必要になる。放置すれば将来の運動機能に障害を残す危険性がある。

■アメリカが報じた「若い投手を壊す日本野球」

アメリカでは1974年に最初のトミー・ジョン手術(ひじ内側側副靭帯再建手術)が行われ、成功を収めて以降、登板過多と肩、ひじの故障の因果関係が研究され、90年代には青少年世代の野球での「球数制限」論が活発になっていった。

しかし日本では、整形外科医や一部指導者の心配をよそにエースが「腕も折れよ」と投げる野球のスタイルが21世紀以降も続き、メディアもそれを称賛していた。

こうした状況に変化が生じたのは、ようやく2013年になってからだ。この年春の甲子園で、愛媛県の済美高の2年生エース安樂智大は、1回戦から決勝までを投げぬき、延長13回を含む5試合46回を投げ、球数は772球に上った。

これを問題視する声を挙げたのは海外メディアだった。米野球専門誌のベースボール・アメリカが「世界で最高の16歳投手の1人だが、正気のさたではない球数」と報道したのだ。

続いてCBSスポーツ電子版も「過酷な負担だ。成長途上にある16歳であれば、なおさら」と指摘した。さらに米 Yahoo! スポーツ記者のジェフ・パッサンも「若い投手を壊す日本野球の信念」と題し、日本の高校野球に批判的な記事を執筆した。

■日本独自の異様な文化

これら米報道をきっかけとして、日本のメディアも「過酷な登板」について言及するようになった。安樂の済美は準優勝に終わったが、春の甲子園を主催する毎日新聞記者の新井隆一は、決勝後の大会講評で「16歳の投手が3日連投を含む5試合で772球投げたことは、未完成の肩肘を壊す懸念もあり、その是非も論議を呼んだ」と投手の健康問題に言及した。

メディアの報道はなおも続いた。米スポーツ専門ケーブル局「ESPN」は5月に愛媛まで足を運び、済美高と安樂を取材。日本独特の高校野球文化と球数に対する考え方をテーマに、特集番組を制作した。番組では“Nagekomi(投げ込み)”や“Kaibutsu(怪物)”といった、日本野球特有の文化を紹介した。

この時期に、米のメディアが日本の高校生の登板過多にここまで注目したのは、アメリカでも少年投手の「酷使」が問題化していたからだ。MLBはこの直後に22歳以下の投手の球数制限である「ピッチスマート」を導入していた。

■世界にさらされた甲子園の病理

メディア安樂智大への注視は、この年夏の甲子園、さらには安樂が3年生になった翌年まで続いた。安樂本人が米メディアに挑発的なコメントをしたこともあって、この問題を通じて、日米の「野球観」の違いがくっきりと浮き彫りになった。

広尾晃『高野連』(新潮新書)

2014年夏の大会では、準優勝した三重代表三重高の左腕今井重太朗が814球を投げた。さらにこの年は、全国高校軟式野球選手権大会・準決勝で、岐阜・中京高校と広島・崇徳高校が延長50回4日間にわたって戦い、双方の投手が合わせて1300球以上を投げるという事態が起き、高校野球の「健康管理」が大きな問題となった。

ライター、リサーチャーの松谷創一郎は、これを「残酷ショー」とネット記事で痛烈に批判。高校球児の健康に関する問題意識が一気に高まった。

ジェフ・パッサンは、2017年に『豪腕 使い捨てされる15億ドルの商品(原著 The Arm)』を上梓、1章を設け、日本の高校野球が、米国や世界の少年野球に比べていかに特殊か、とりわけ投手の「健康被害」についていかに無頓着であるかを紹介した。この本は日本でも翻訳され、大きな反響を呼んだ。

写真=iStock.com/Loco3
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/Loco3

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広尾 晃(ひろお・こう)
スポーツライター
1959年、大阪府生まれ。広告制作会社、旅行雑誌編集長などを経てフリーライターに。著書に『巨人軍の巨人 馬場正平』、『野球崩壊 深刻化する「野球離れ」を食い止めろ!』(共にイースト・プレス)などがある。
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(スポーツライター 広尾 晃)