【連載 私の30代 第5回】30代は「正解なき決断」の連続だ。前LINEヤフー会長の川邊健太郎さん(51)は、「30代の入り口は『左遷』続きだった」という。学生起業したときから取り組んできたモバイル担当を外されたからだ。そこからどのようにして日本最大のインターネット企業のトップに上り詰めたのか。ライターの堀尾大悟さんが取材した――。
左)写真提供=LINEヤフー、右)撮影=遠藤素子
LINEヤフー会長、AIソロプレナーの川邊健太郎氏。左が30代当時、右が現在(51歳) - 左)写真提供=LINEヤフー、右)撮影=遠藤素子

■ネット業界再編の立役者が味わった「左遷」

「気が散っていましたね」――2026年6月にLINEヤフーの会長を退任した川邊健太郎氏は、30代の入り口をそんな言葉で表現する。学生起業家からヤフーに転じた後のキャリアは決して華々しいものではなかった。そこからYahoo!ニュースの「コメント改革」、GyaO(のちのGYAO)社長への抜擢、38歳でのヤフー副社長就任へと運命は一気に転がっていく。

のちに「日本最大のインターネット企業」のトップを務め、ZOZO買収、LINEとの経営統合などネット業界の再編を動かしてきた川邊氏。その経営者の礎が築かれた「30代の10年間」を振り返ってもらった。

――川邊さんは、1995年に学生起業した電脳隊(のちのP.I.M.)で、いち早く携帯電話向けのインターネットサービスを手がけました。その後、同社は2000年にヤフーに買収され、ご自身も同社に入社します。

社員番号は「302番」だったので、当時のヤフーはまだ300人くらいの所帯の会社でしたね。当時与えられた肩書きは「モバイル担当プロデューサー」。私自身、会社の売却という形でモバイル事業への道を絶たれたことに忸怩(じくじ)たる思いがあったので、「Yahoo!モバイル」を通じてその悲願を果たそうと意気込んでいました。

ところがその後、2005年に私はそのモバイル担当を外されてしまいます。

■「川邊は気が散りすぎている」

――それはなぜですか。

一言でいうと「気が散っていた」からです。

当時のヤフーは、井上(雅博)社長のもと盤石なオペレーションの敷かれた「ちゃんとした会社」。ベンチャー時代と比べると、よくも悪くも「ゆとり」があったんです。「もっと働けるのに……」ともどかしく感じてしまう。エネルギーを持て余して、本業のほかにもさまざまな外部の勉強会や活動に首を突っ込んでいました。2003年には本業以外で「Yahoo!ボランティア」という新規事業も立ち上げました。

極めつきが2004年、近鉄とオリックスの合併に端を発する球界再編問題の際に、プロ野球の1リーグ構想を阻止する活動を会社とまったく関係ないところで仕掛けていた。まさに「気が散っていた」頂点ですよね。

一方、その時期は親会社のソフトバンクが2006年にボーダフォンを買収する前夜で、グループとしていよいよモバイルに本腰を入れようという矢先。ましてや、ソフトバンクを率いる孫正義さんは、新しい事業にはそれまでのことをすべて忘れて一点集中するタイプです。そんな孫さんと相対させるには「川邊は気が散りすぎている」と思われたんでしょうね。井上社長に「Yahoo!モバイルは別の者にリードを任せるから」と告げられてしまいました。ちょうど30歳くらいの頃です。

■ヤフーで最も多くのサービスをつくった男

――異動した先は、社会貢献を担当する部署です。

自分が立ち上げたYahoo!ボランティアを含む、さまざまな社会貢献のサイトを「川邊が統括してくれ」と告げられました。会社としてはCSR(企業の社会的責任)と地域情報サービスの充実という大義名分を掲げていましたが、私自身は「明らかに左遷人事だな」と受け止めていました。もちろん、すごくショックでしたよ。

ただ、しばらくして考えが変わったんです。「社会貢献」という非営利のサービスに注力するのは、ヤフーみたいに本業で儲けて余裕のある会社でなければできないことだよな、と。前向きにやろうと気持ちを切り替えました。

――その後、川邊さんは社会貢献担当プロデューサーとして「Yahoo!みんなの政治」「Yahoo!ネット募金」などさまざまな事業を立ち上げます。

「ヤフーで最も多くのサービスをつくったプロデューサー」と今も自負していますよ。当時は新規サービスをつくれる人が社内にあまりいなかったし、私自身も時間があった。だからボンボンつくっていましたね。

撮影=遠藤素子
ほぼ全ての役職を辞めた川邊氏だが、LINEヤフー基金(旧Yahoo!基金)の理事だけは継続している - 撮影=遠藤素子

■ネット起業家たちの「共通テーマ」とは

立ち上げたサービスには、おおむね共通するテーマがありました。「情報の非対称性の解消」です。

ごく一部の既得権者が占有している情報を、インターネットの力で個人にも開放して、情報格差を是正する。私に限らず当時のネット起業家たちは、インターネットがもたらす「パワー・トゥ・ザ・ピープル」を信じていたんです。私流の言い方をすれば「身もフタもない世界」にする、ということです。

その「身もフタもない世界」を実現したいちばんの象徴が「Yahoo!オークション(ヤフオク)」です。個人が中古品を売り買いできるCtoC市場が生まれたことで、いろんなモノの値段がつまびらかになり、プロの業者しか知らなかった「本当の相場」が誰にでも分かるようになった。

政治にしてもニュースにしても同じです。「不都合な情報を隠そうとする人たち」がいる領域で「身もフタもない世界」をどう色濃く実現し、個人をエンパワーメントさせられるか。それが、30代前半だった私の大きなチャレンジでしたね。

■ヤフコメをめぐる4時間“軟禁”事件

――2007年には「メディア事業部シニアプロデューサー」として「Yahoo!ニュース」の責任者になります。

この人事も、自分から希望したわけではありません。当時メディア事業部の責任者だった宮坂学さん(現・東京都副知事)に「お前、このままだと辞めちゃいそうだからYahoo!ニュースを手伝えよ」と声をかけられて。「全然いいですよ、暇ですから」と。

――川邊さんの著書『7つの激変』(東洋経済新報社)には、Yahoo!ニュースをはじめ各種サービスにコメント機能を付与する過程で、既存のマスメディアと対峙する様子が描かれています。それはまさにこの時期ですね。

電通の会議室に4時間“軟禁”され、テレビ局の偉い人たちに取り囲まれちゃった話ですね。

「川邊さん、視聴者のレビューを付けるなんてありえないですよ!」
「ウチのドラマの悪口を書かれたら、どう責任を取ってくれるんですか?」

学園ドラマに登場する不良グループのように、集団で脅しを仕掛けてくるのです。

(同書「第6章 文化」より)

撮影=遠藤素子
メディア事業部での経験は、のちのGYAO再建に活かされる - 撮影=遠藤素子

■原点は「ジャンプ・ファミコン・フジテレビ」

あの時も相当な修羅場でしたが、でも「コメント機能を何がなんでも実現するぞ!」と最初から意気込んでいたわけではないんです。

先ほども言ったように、ネット起業家なら、情報の非対称性を是正する方向に自然と向かう。目的や意志といったものとはちょっと違う。野球でいえば「この場面でランナーが出たら送りバントするよね」くらい、当然持ち合わせている感覚なんですよ。

もう一つ挙げるなら、私自身が子どもの頃から「ジャンプ・ファミコン・フジテレビ」で育った「プロコンテンツ信奉者」でもあったので、「彼らのネットへの水先案内人になろう」との気概もありました。だから必ずしもマスメディアと敵対していたわけではなく、そこにはプロコンテンツへのリスペクトが常にあったんです。

■「100億円の赤字会社」社長に抜擢され…

――2009年にはヤフーが買収したGyaOの社長に35歳で抜擢されます。久々に「経営者」の肩書きが付きましたね。

正直にいうと、当時の私はGyaOの買収に反対でした。既にYouTube、ニコニコ動画といった「Web2.0」(ユーザーがコンテンツを作り、双方向でやりとりする段階)の動画サービスが出ていて、テレビをWebに置き換えただけの「Web1.0」の動画サービスとは世代が3つくらい違っていた。「イケてないよな」という目で見ていました。

そしたら宮坂さんに呼び出され、「オレはYahoo!ショッピングに異動になるから、川邊がGyaOの社長をやってよ」と。「えっ?」ですよ。

その足でこんどは社長室に行ったら、井上社長から「遊んでばかりいないでそろそろ真面目に経営しろ」と怒られて。

メディア事業部のプロデューサーを2年ほどやって、Yahoo!ニュースというサービス自体も好きになっていたし、何しろすごく儲かっていた。「左遷」から一転、花形部署のプロデューサーになっていたんです。それが、井上社長の目には「アイツは遊んでばかりいる」と映ったんですかね。

就任が決まったのはその年の5月なのですが、実はゴールデンウィークにアマゾン川へ釣りに行く予定を立てていました。それまで仕事が忙しく、やっとまとまった休暇が取れたんです。ところが起業家仲間に「え、社長になったのにまだアマゾンに行こうとしてんの? ダメでしょ」と呆れられて。結局、その連休は千葉・白浜のリゾートマンションに一人でこもって3日間で「GyaOリバイバルプラン」を練りました。

写真提供=LINEヤフー
GYAO社長時代の川邊氏。当時100億円規模だった赤字事業を2年で単年度黒字化に導く - 写真提供=LINEヤフー

■30代の仕事は「一日にして成らず」

――そこから、当時は100億円規模だった赤字事業を2年で単年度黒字化します。

いま振り返ると、その再建の過程で、メディア事業部での経験がすごく活かされました。

この頃、既存メディアの記者たちと頻繁に「勉強会」と称した飲み会を重ねていました。全国紙から女性週刊誌まで、いろんな人たちの話を聞いて、時には意見を戦わせた。そのことで相互の理解も深まったし、一定の信頼も築けていました。

のちにGyaOは、民放キー局5局すべてが出資する会社に生まれ変わります。それだけの呉越同舟のスクラム体制は、メディア事業部時代に築いた関係がなければ決して実現しなかったと思います。

この経験から実感するのですが、30代の仕事というのは「一日にして成らず」感がものすごくある。20代の仕事は、ゴールの見えるタスクを一個ずつ片づけていく。「一日にして成る」ことが多いんです。でも30代は違う。何年も前に取り組んだ経験が、巡りめぐって思わぬ形でつながり、自分を助けてくれるんです。

■38歳、7年越しで「モバイル」に戻る

――そして2012年、38歳でヤフーに復帰。宮坂氏を社長とする新体制のもとで副社長に就任します。

GyaOの体制を立て直し、軌道に乗ってきた矢先で、こんどは孫さんに呼ばれました。「GyaOで楽しくやってなんかいないで、大変なヤフーをなんとかせい」と言われて。

井上さんといい孫さんといい、ひどいと思いませんか? 自分でモバイル担当から外したり、赤字の会社に送り出したりしたのに、業績が上向くと「遊んでばかりいるな」って逆ギレするんですよね(笑)。

ただ、はっきり覚えているのは、「ついにモバイルをメインストリームに据えられるんだ」という高揚感です。電脳隊の頃にいち早くモバイルインターネットの到来を信じて、でも志半ばで会社を売らざるをえなかった。ヤフーでは途中でモバイル担当を外された。そのモバイルを、今度は会社の主軸に据え、しかも経営陣の一人として指揮できるわけですから。

しかも、当時のヤフーはスマホシフトに大きな後れをとっていたにもかかわらず、なかなか踏み切れていなかった。そこで孫さんが「体制を変えてでもスマホをやる」と一大決心した。このタイミングで変われなかったら絶対に取り残されるから、本当にスマホシフトをやりきらないと――そんな武者震いもありましたね。

写真=時事通信フォト
ヤフーの新経営体制について会見する(左から)孫正義会長、宮坂学次期社長、井上雅博社長(肩書きは当時)(2012年3月1日、東京・日本橋兜町の東証) - 写真=時事通信フォト

■「想定外の機会」を活かしたほうがいい

――「左遷人事」から大組織の副社長まで。30代の間に、川邊さんご自身の立場も役割も大きく変わりました。この10年間が、ご自身をどう形づくったと振り返っていますか。

『イノベーションのジレンマ』で知られる経営学者のクレイトン・M・クリステンセンが書いた『イノベーション・オブ・ライフ』(翔泳社)という本に、次のような一節があります。キャリアには、自分で立てた計画を追う「意図的戦略」と、予期せぬ機会から形づくられていく「創発的戦略」の2つがあり、その両方のバランスが人生を決める。進む道がまだ定まっていないなら、人生の窓を開け放って想定外の機会を活かしたほうがいい、と。まさにこの言葉が、私の30代を総括していると思います。

■「大丈夫、オレたちはいつだって変われる」

20代のうちは「起業するぞ」「これからはモバイルだ」と自分で主体的に決めて走り回っていた。20代のうちはそれでいいと思います。誰かがチャンスを与えてくれるわけでもないですからね。

一方で30代は、社会貢献、メディア、GyaO、ヤフー副社長……すべて自ら望んで、選んだわけではありません。でも、その「不可抗力」に乗っかってみることで、実は自分のビジネスパーソンとしての幅が広がっていく。そのことを、身をもって体感した30代でした。

撮影=遠藤素子
予期せぬ機会に思いきって乗っかれば、人生は楽しくなると川邊氏はいう - 撮影=遠藤素子

――今の若い人はその不可抗力を「ガチャ」と敬遠しがちですが、まずはその「ガチャ」を受け入れ、乗っかってみる、と。

こんなことがありました。GyaOの社長を言い渡された直後、起業家仲間と飲んでいて「Web2.0の時代に今さら1.0っぽいことをやるのはダサいよな」とグチっていたんです。そうしたら、のちにヤフーで一緒にYahoo!ショッピングやPayPayを仕掛ける小澤隆生さん(元ヤフー社長、現Boost Capital代表取締役)に「GyaOの社長はお前にとってチャンスだろ? ダサいとか最新とか関係ねえだろ」と怒られて。でも「大丈夫、オレたちはいつだって変われる」と。

その言葉に救われましたね。どんなに運命に落ち込んでも「大丈夫、自分は変われるんだ」と思い込む。そして、与えられた場で、目の前のことに一生懸命取り組む。予期せぬ機会がめぐってきたときに思いきって乗っかれば、人生は楽しくなるんです。

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川邊 健太郎(かわべ・けんたろう)
LINEヤフー代表取締役会長
1974年生まれ。青山学院大学在学中の1995年、インターネットベンチャーである電脳隊を起業。5年後の2000年ヤフーに事業を売却し、Yahoo!モバイル担当プロデューサーとして入社。2012年副社長COO、2018年代表取締役社長、2023年代表取締役会長。2026年6月の退任後は、「AIと起業」の分野での新たな挑戦を予定している。著書に『7つの激変』(東洋経済新報社)がある。
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堀尾 大悟(ほりお・だいご)
ライター
慶應義塾大学卒。埼玉県庁、民間企業を経て2020年より会社員兼業ライターとして活動を開始。2023年に独立し、ビジネスメディアを中心に執筆。ブックライターとしてもこれまで30冊以上の書籍を担当している。
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(前LINEヤフー代表取締役会長 川邊 健太郎、ライター 堀尾 大悟)