日本の若者は幸せなのか。文筆家の御田寺圭さんは「社会経済状況は明るいとは言えないが、今の若者は、低期待、低リスク、低燃費な生き方をすることによって、身を守ろうとしているように見える」という――。
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■日本の若者の幸福度が高い

日本の若者はみな、幸せである。

こいつはいきなりなにを言い出すのかと思われたかもしれないが、まあ聞いてほしい。

たとえばこども家庭庁による「こども・若者総合調査(令和7年度)」では、10〜14歳の94.6%、15〜19歳の89.0%が、いまの自分を幸せだと答えている。あるいは内閣府の「国民生活に関する世論調査(令和7年8月調査)」でも、18〜29歳は現在の生活に満足している人の割合が他の多くの年代より高い。少なくとも本人たちの主観に従えば、令和の時代の日本の若者たちはかなり幸福な世代なのだ。

ところが、傍から見るかぎり、かれらを取り巻く社会経済状況が明るいとは言い難い。2025年度の実質賃金はマイナス圏で、地価は全国平均で5年連続の上昇となった。とくに都市部では、若者が就職、結婚、そして子どもを育てるために必要な住居の高騰が、給料の上昇ペースをはるかに追い越している。そこへ税金と社会保険料が重なる。働いても豊かになった実感は乏しいのに、働くほど負担だけは一切のよどみなく増えていく。先の見えない閉塞的な暮らしを送っているようにしか見えない。だがかれらは「幸せ」で「満足」しているという。

私たちはこの「幸福」と「苦境」のねじれを、どう考えればよいのだろうか。

■狭小ワンルーム人気と人間関係の縮小

ひとつの仮説は、若者が貧しさや不利を正確に認識できていないというものだ。ようは、生まれてこの方、景気のよかった時代など知らないので、「それが当たり前だと思っている」という話である。たしかに一理ある。しかし私はむしろ逆だと思う。つまりなにが言いたいかというと、かれらは自らがおかれた厳しい状況をよく理解したうえで、それを苦境としてむやみに感じすぎないよう、自分の認知と欲望のほうを現実に適応させているのではないかということだ。

日本経済新聞の記事「身長も人間関係も小さくなる 『狭小ニッポン』との向き合い方(2026年7月3日)」は、日本の若者について人間関係や人生の選択肢が狭くなっていること、住まいについても3畳程度の狭小ワンルーム物件が人気となっていることを指摘していた。Z世代の2000人を対象とした別の調査では、1カ月に1回も外食をしないと回答した人の割合が、2割を超えていた。

住宅費の高騰で、若者は広い部屋を借りられない。人がひとり身体を伸ばせるかどうかという息苦しい部屋に詰め込まれるように暮らしている。だがそれは私たちの目線でそう評価しているだけで、かれらにとっては「スペパのよい部屋」になる。

あるいは外食に行かないのは、食文化を楽しめないのではなく「コスパを重視している」ことになる。友人が少ないのは孤独ではなく、気の合わない人間関係に消耗しない「安心できる暮らし」になる。恋愛や結婚を望まないのも、手に入らないものへの敗北ではなく、「自分の時間を最大限気兼ねなく楽しむ合理的な選択」として再記述する。

■低期待、低リスク、低燃費

例を挙げているときりがないからこの辺にしておくが、若者たちはこうした発想の転換によって「苦しさ」を感じにくいよう認知的に適応しているのである。さしずめ「防衛的認知」とでもよぶべきか。

もちろん、こうした発想の転換それ自体は悪いことではない。手に入らないものを数えて一生不幸になるより、手の届く範囲で暮らしのなかの楽しみを見つけたほうがよいに決まっている。

だが問題は、この「防衛的認知」が個人個人の処世術を超えて一世代の時代精神になりつつあることだ。低期待、低リスク、低燃費。大きく望まないから大きく失望もしない。社会から何かを勝ち取ろうとするのではなく、社会に差し出すものを少なくすることで身を守る。そういう生き方を、大小の差こそあれ同時に大勢が実践しようとしている。ミクロの最適戦略が、マクロでも最善の結果をもたらすとはかぎらない。

■「声を上げる」よりも「退出」

社会になんらかの不満を抱えた人間が社会に対して取りうる行動には、大きく分けて「声を上げる」と「退出する」がある。

かつての若者は前者を選んだ。デモをしたり、組合をつくったりして、社会や政治に訴えかけていった。いまの若者は、その回路に期待していない。要求して奪い返すより、最初から参加しない。賃金を上げろと叫ぶより、必要なカネを減らす。住宅を安くしろと運動するより、実家から出ない。社会を変えるのではなく、社会が自分から取れるものを減らす。これは直截的な抗議行動よりも見えにくいが、はるかに止めにくい。

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なぜ若者は「退出」を目指すようになったのか。若者の心が急に小さくなったからではない。そうではなくて、この国の民主主義が老いたからだ。日本では65歳以上が人口の29.3%を占め、現役世代2人で高齢者1人を支える構図になっている。社会保障給付費のうち高齢者関係給付費は6割を超える。寿命が延び、高齢者が有権者の大きな塊になれば、政治が年金、医療、介護、既得権、現状維持を最優先するのは、善悪以前に選挙の算数として自然なことになる。

残業しない、家を買わない、結婚しない

その結果としてこの国では「若者への投資を後回しにしてでも、現在の高福祉社会を維持する」というコンセンサスが静かに形成された。住宅、教育、子育て、賃金、雇用、将来への投資を少しずつ後回しにし、その一方で高齢者向けの給付とサービスを守り続けることを選んだ。

上に政策あれば下に対策ありとはよくいったものだ。成熟した民主主義が「若者を切り捨てても現在を守る」と決めたのなら、若者の側もまた合理的に適応するようになった。「それなら、こちらも社会を支えるためにフルパワーで働くのはやめます」と。

出世を目指さない。残業しない。高い家を買わない。結婚しない。子どもを持たない。クルマも服も酒もいらない。政治にも期待しない。こうして若者は、怒鳴りも暴れもせず、ただ自分の人生から燃費の悪い要素を一つずつ切り離していくようになった。それがようやく、私たちの目にも見えるようになってきた。

■省エネ型の攻略法

社会からの求めに応じずいそいそと「退出」する――その実践のひとつの極致が、「独身こどおじFIRE」だ。

独身のまま実家で暮らし、住宅費を極小化し、若いうちにまとまった金融資産をつくる。その後は運用収益と週数日のゆるい労働を組み合わせ、所得も消費も必要最低限に抑える。完全に働かないわけではない。社会との接点と毎月のキャッシュフローを確保しながら、フルタイム労働と住宅ローンと家族扶養を人生から外す。これが「独身こどおじFIRE」である。

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一般的なFIREが「十分な資産を築いて労働から自由になる」という富裕層の夢だとすれば、独身こどおじFIREは少し文脈が違う。豊かな生活を手に入れることより、必要生活費を徹底的に引き下げ、課税される所得を最大化しないことに重点がある。大きく稼いで大きく使うゲームそのものから降りるのである。豪華な上がりではない。省エネ型の攻略法だ。

■火炎瓶もプラカードも使わないが…

もちろんすべて合法だ。単に、制度が提示したルールのなかで、自分の負担が最も小さくなる場所へ移動しているだけだ。ご存じのとおり日本の税・社会保険制度は金融資産よりも給与所得を捕捉しやすく、働いて稼ぐ人から負担を集める構造となっている。ならば、給与所得を増やさず、生活費も増やさず、行政上の所得区分でも低い側にとどまればよいというわけだ。真面目に働く給与所得者から税金や保険料をぶんどってきた国家に対する、きわめて合法的なシステムハック、あるいは意趣返しである。

しかもこの静かな抵抗は一人分の税収を減らすだけでは終わらないところが恐ろしい。フルスペックの労働力を供給しない。住宅を買わない。大きな消費をしない。結婚せず、次世代の労働力も再生産しない。若者が社会に差し出すはずだった労働、税、保険料、消費、出生をまとめて引き揚げる。火炎瓶もプラカードも使わないが、高齢者中心の高福祉社会にとっては、こちらのほうがはるかに効く。それをいま、大小の差こそあれ、何万人、何十万人もの若者が目指しているのである。

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■「若者が働き子育てをするだろう」という前提の崩壊

ここから始まるのは、高齢者中心社会と低燃費化した若者の我慢比べである。

高齢者中心社会は、若者が文句を言いながらもなんだかんだで働き、納税し、子どもを産み、次の支え手を供給し続けることを前提にしている。一方の若者は、狭い部屋と少ない消費と限定された人間関係のなかでも、それなりに楽しく暮らせるようになった。どちらの辛抱が先に限界を迎えるのか。人手不足とインフレと社会保障費の膨張を考えれば、社会の側が先に音を上げる可能性は決して低くない。

とくに人手不足は、この我慢比べをより厳しくする。働く若者が減れば、物流、外食、介護、建設、公共交通といった生活を支えるサービスの価格は上がり、質や供給量は落ちる。資産と健康な身体を持つ若者は、必要なら働く時間を増やしてインフレに対応できる。年金や給付を主な収入源とする人は、そう簡単にはいかない。若者の退出が進むほど、高齢者を守るための仕組みそのものが高齢者の暮らしを圧迫するという、皮肉な循環が始まる。

■精神論では若者は動かない

若者に向かって「もっと頑張れ」「もっと消費しろ」「結婚して子どもを持て」と呼びかけても意味はない。精神論で動かせる段階はとっくに終わっている。住宅費、税、社会保険料、子育て負担、働いたときの報酬を変え、若者がもう一度「社会に参加したほうが得だ」と思える設計に戻すしかない。

若者は不幸だから反乱しているのではない。むしろ幸福になる方法を見つけたからこそ、社会から降りられるようになった。声を上げず、石も投げず、ただ給料明細と家賃と制度表を眺め、自分の差し出すものを減らしていく。「独身こどおじFIRE」とは私が便宜的につけたふざけた造語だから、あまり深刻さが伝わっていないかもしれないが、若者がこの方向に一斉に進み始めたら、いまの社会の平常運転を守ることはできなくなる。胡乱な文筆家が弄している与太話だと思わず、真剣に考えたほうがよいだろう。

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御田寺 圭(みたてら・けい)
文筆家・ラジオパーソナリティー
会社員として働くかたわら、「テラケイ」「白饅頭」名義でインターネットを中心に、家族・労働・人間関係などをはじめとする広範な社会問題についての言論活動を行う。「SYNODOS(シノドス)」などに寄稿。「note」での連載をまとめた初の著作『矛盾社会序説』(イースト・プレス)を2018年11月に刊行。近著に『ただしさに殺されないために』(大和書房)。「白饅頭note」はこちら。
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(文筆家・ラジオパーソナリティー 御田寺 圭)