【トップアスリートの夏合宿】
松島幸太朗(桐蔭学園)インタビュー@前編

 夏合宿、真っ盛りの季節だ──。

 スポーツに勤しむ数多くの学生が、来たる大会や試合に向けて研鑽している最中だろう。主に冬場に行なわれるラグビーも、もちろん例外ではない。数多くの高校生や大学生が、ひとつの楕円球を追いながら汗を流している。

 ラグビーの夏合宿の聖地・長野県上田市の菅平高原では、全国各地からラグビープレーヤーと指導者が集結し、標高1250メートル超の高地でハードな練習と試合を繰り返している。選手たちがひと皮むけて「下山」することで、各選手、各チームのレベルが一層高まり、シーズンに入ればファンは見事なプレーの数々に歓喜する。

 菅平は、そんなサイクルの起点と言える場所だ。


松島幸太朗が桐蔭学園時代の夏合宿を語る photo by Aki Nagao

 日本代表55キャップ、東京サントリーサンゴリアスの松島幸太朗も、桐蔭学園高校(神奈川県)で夏合宿を経験したひとりだ。

 のちにラグビーワールドカップに3大会連続出場し、2015年大会は自身の出生国である南アフリカとの歴史的勝利に貢献したほか、2019年の日本大会ではチーム最多の5トライをマークして初の決勝トーナメント進出に貢献。目の覚めるようなランニングスピードから、福岡堅樹とともに「Wフェラーリ」の異名を取った不世出のWTB(ウイング)、FB(フルバック)だ。

 現在、花園(全国高校ラグビー大会)3連覇中の桐蔭学園も当然、日頃から厳しい練習に取り組んでいる。松島もハードな練習に耐え抜いたひとりだが、汗と涙だらけのラグビー生活──という毎日ではなかったようだ。

「中学1年の時に南アフリカでラグビーを始めて、その後どこでどうやってラグビーを続けていくか、というのはあまり考えていませんでした。

 ワセダクラブでラグビーをしていた時のコーチ、今田圭太さん(現コーチディベロッパー・日本ラグビーフットボール協会ユース戦略担当・コーチング部門)に後押ししていただいて、桐蔭に入ることになったのですが、入学当初はただ何となくやっていた感覚だったと思います。

 桐蔭の練習はもちろんハードでしたが、カルチャーショックみたいなことは特になかったです。ほかの高校と違って朝練がなく、理不尽なメニューもありませんでした。嫌な思いをすることは一切なく、すんなりチームに溶け込めました。グラウンドが土だったので(現在は人工芝)、洗濯が大変でした。最初それだけは抵抗がありましたけどね」

【敗戦後の長距離ランも当たり前】

 理不尽さのない毎日を作っていたのは、花園で桐蔭学園を6回の優勝に導いてきた名将・藤原秀之監督の指導方針によるものだろうか。

「そうだと思います。みんな先生から、しっかりと規律の面などを学んでいましたので。それに、僕が入った時は3年生が多くなかったためか(上下関係も)そこまで厳しくなかったです。寄り添ってくれる先輩が多く、みんなフレンドリーでした。ですから1年の時から嫌な思いをすることはまったくなかったですし、とてもやりやすい環境でした」

 しかし、入学から間もない初めての菅平での夏合宿では、若干の変化も感じたという。

「菅平では(練習よりも)試合が多く、練習は試合の結果によって内容が変わる感じでした。他校のグラウンドで試合したあと、試合内容が悪いと、そこから宿舎までかなりの距離を走って帰っていました。坂道(によるアップダウン)も多く、それも試合後だったのでキツかったですね。

 でも、それは1年と2年の時だけでした。3年時の菅平はどの試合も大差で勝っていたので、1、2年時と比べるとそこまでキツい思いはしませんでした」

 試合後に長い距離を走ることを、疑問に感じた瞬間はなかったのだろうか。

「当時はそれが当たり前だと思っていました。試合後(の疲れた状態)であっても普通のことだと思って、かなりの距離を走っていたのですが、今思えばすごいことをやっていたな......とは思います」

 しかし菅平合宿は松島を含め、多くの部員にとって楽しみな機会だったという。

「菅平合宿は試合がメインで、1週間ちょっとの間に5、6試合はやっていましたので、たくさん試合ができるのが楽しみでしたね。そしてみんなで共同生活できる、という喜びもありました。一緒にご飯を食べたり、当時みんなで『ブザー・ビート』(2009年・フジテレビ系で放送)というドラマを見たり、生活をともにして、仲間との絆が深まっていきました」

【勝っても負けても花園で泣いた】

 ふかふかの天然芝グラウンドも、菅平の大きな魅力のひとつだ。

「僕らの(菅平の)グラウンドは天然芝で、そういう環境でたくさん試合できたのはよかったです。(普段練習している桐蔭学園の)土のグラウンドだとうまく走れないので、芝の上では思いどおりプレーできるという感触は、みんなあったんじゃないかなと思います」

 多感な時期であることと、夏合宿という特別な環境も相まって、思わず羽目を外したくなりそうなものだが、何かを「やらかした」話はなかったのだろうか。

「みんなちゃんとしていたので、何をしたらマズいのかは重々わかっていました。それに何かをやらかしたことがバレたら、藤原先生の怖さのほうが勝つので(笑)、何か変なことをするとかはなかったです。1回だけ誰かが夜にコンビニに行って怒られたくらいでしたね」

 規律を重んじ、その大事さを全員が理解していた桐蔭学園らしい一面と言えるだろう。そのように徹底してきた規律と、夏合宿を含む日々の練習の積み重ねが、2010年度、松島の最終学年の花園で結実する。決勝で東福岡と31-31で引き分け両校優勝、桐蔭学園にとって初の花園優勝となった。

「試合終了の瞬間は『あれ、もう終わり? 最後まで勝ち負けを決めずに終わるんだ』と思っていたので、その瞬間は達成感を感じませんでした。

 それでも最後まで花園でやりきって、桐蔭として初優勝できましたし、両校優勝というレアケースだったので、あとになって『よかったかな』という感覚にはなりました。自分たちの代としても3年間一緒にやってきた仲間といい形で締めくくることができました」

 汗にまみれながらも冷静に物事を考え、規律正しく過ごしてきた3年間。「エモーショナルになることはめったにない」という松島にも、汗とワンセットとも言える涙の記憶はなかったのだろうか。

「毎年、花園ではみんなで泣いていましたね。3年時の優勝だけではなく、日本一になれなかった2年時までの2大会でも、最後は涙でした。それまではラグビーをしていて泣くことはなかったのですが、桐蔭では毎年、最後だけはどんな結果で終わっても感慨深く受け止めていました」

【夏合宿に取り組む中高生にエール】

 現在も桐蔭学園は花園3連覇の真っ最中だ。指導を続けている藤原監督のコーチングが今もその強さを支えていると、松島は考えている。

「個人のスキルも必要ですが、ラグビーは規律がなにより大事です。ひとつのペナルティで流れが変わります。ペナルティに限らず細かい規律の面を徹底してきたことが、今の結果に表われているのかなと思います」

 厳しい夏合宿に取り組んでいる最中の中高生にも、励ましを込めて助言を送る。

「自分たちが強くなるために合宿をしている──と理解しながら取り組むことですね。終わったあとには絶対に達成感が出てくると思うので、今の学生たちには『自分たちは何を目指しているのか』を考えながら取り組んでほしいです。

 やはり目標を設定することと、その目標に向かってやっていくことが非常に大事です。自分たちがなぜこうして合宿をしているのか、それを考えながらやれば、必ず乗り越えられると思います。あとは気合いですね」

(つづく/文中敬称略)

◆松島幸太朗・後編>>オーストラリアの夏合宿「こういうプレーもあるのか」


【profile】
松島幸太朗(まつしま・こうたろう)
1993年2月26日生まれ、南アフリカ共和国プレトリア出身。身長177cm、体重87kg。ポジション=フルバック、ウイング。13歳でラグビーを始め、桐蔭学園高(神奈川)では全国高校ラグビーで準優勝と両校優勝を経験。卒業後は南アフリカのシャークス・アカデミーで腕を磨き、2014年に日本代表デビュー。通算55キャップ。2015年、2019年、2023年のワールドカップに3大会連続出場。2019年大会のロシア戦ではワールドカップにおける日本代表選手初のハットトリックを達成し、初のベスト8進出に貢献。2017-18シーズンのトップリーグMVP。フランス1部のASMクレルモン・オーヴェルニュでも2季プレーし、2022年に東京サントリーサンゴリアスへ復帰。

齋藤龍太郎●取材・文 text by Ryutaro Saito