中国が日本からの輸入に依存する半導体材料がある。中国商務部は、この半導体材料について反ダンピング(不当廉売)調査を始めた。政治学者の伊藤隆太さんは「2024年、中国はこの材料の国内需要の65.6%を日本からの輸入で賄っていた。習近平政権は対日輸出管理を強化する一方、自らの弱点も露呈させた」という。中国半導体の「意外な急所」とは――。
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中国の習近平国家主席は2026年7月21日午前、上海で開かれた2026世界人工知能(AI)大会・AIグローバルガバナンスハイレベル会議の開会式に出席し、基調演説を行った。写真は17日、世界AI大会開会式で基調演説を行う習近平主席。 - 写真=新華社/中国通信/時事通信フォト

■中国が日本から買い続ける半導体材料

中国は日本への経済的な締め付けを強める一方、日本製の半導体を買い増している。

財務省が7月22日に発表した2026年上半期の貿易統計によると、中国向けの集積回路(IC)輸出は前年同期比80.5%増えた。

しかも、中国が依存しているのは完成したチップだけではない。半導体の製造に欠かせない日本産の材料も買い続けている。対日輸出管理を強化した翌日の1月7日、中国商務部は、その材料に対する反ダンピング調査を始めた。輸入を止めるのではなく、日本から買う商品の価格を問題にしたのだ。

なぜ中国は、制裁を仕掛けた相手から買い続けざるを得ないのか。その謎を解く鍵は、多くの日本人には聞き慣れない、ある「特殊ガス」にある。

■制裁翌日に「特殊ガス」の調査を開始

今年1月、中国は日本への経済的な圧力を相次いで強めた。

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ジェトロ(日本貿易振興機構)のビジネス短信によると、中国商務部は1月6日、軍事転用が可能な両用(デュアルユース)品目の対日輸出管理を強化し、即日施行した。高市早苗首相が昨年11月の国会答弁で、台湾有事は「存立危機事態」になり得ると述べたことに中国が反発して以降、重ねられてきた対抗措置の柱だ。

商務部はその後、2月と6月にも計80の日本企業・組織を輸出禁止・審査厳格化の対象に加えた。ジェトロのビジネス短信によると、商務部は6月の措置について「完全に正当、合理的かつ合法」と主張する一方、対象はごく一部の事業体と両用品目に限られ、日中の通常の経済・貿易関係に影響を与えるものではない、とも説明している。

注目したいのは、対日輸出管理を強化した翌日の動きだ。商務部は1月7日、日本原産の特殊ガス「ジクロロシラン」に対する反ダンピング(不当廉売)調査の開始を発表した。調査は即日始まり、2027年1月7日まで続く(最長6カ月延長可)。

商務部の発表によると、中国国内のメーカーから申請書が提出されたのは前年12月8日だった。約1カ月の予備審査を経て、対日輸出管理を強化した翌日に調査開始が発表された。新華社の報道によると、商務部報道官は国内法規と世界貿易機関(WTO)のルールに沿って審査したと説明している。

調査対象はジクロロシランに限定され、同じ関税分類に含まれる他の品目は対象外とされた。

■日本製への依存をすぐには断ち切れない

前日の措置が「中国が日本に売らない」ものだとすれば、この調査は日本から輸入している品物の価格を問題にするものだ。この落差に、日本製への依存をすぐには断ち切れない中国の事情が透けて見える。

調査対象となったジクロロシランという名前を聞いて、何に使われるものか分かる読者は少ないだろう。ケイ素と水素、塩素からなる無色のガスで、半導体製造の「成膜」と呼ばれる工程で使われる。回路の土台となるシリコンウエハーの表面に、化学気相成長(CVD)などの手法で原子レベルの薄い膜を何層も積み上げていく工程だ。

ジクロロシランは、その膜の材料であるケイ素を届ける「運び屋」だ。アンモニアと反応させて絶縁膜となるシリコン窒化膜を作るほか、トランジスタの性能を高める結晶成長にも使われる。わずかな不純物や品質のばらつきが半導体の性能や歩留まりを左右する。

■「世界シェア7割」を日本が握る

近年、ジクロロシランの重要性はさらに高まっている。

メモリーでは、記録層を数百段まで積み上げる多層化が進んでいる。層が増えるほど成膜の回数は増え、より高い精度が求められる。AIサーバー向けの高性能メモリーの需要が伸びるほど、このガスの需要も増える。

そのジクロロシランの供給で大きな存在感を持つのが、日本企業である。東京新聞は、日本勢の世界シェアが約7割に上ると2026年1月7日に報じている。

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化学工業日報の記事によると、商務部が公表した調査対象メーカーには、シリコンウエハー世界最大手の信越化学工業をはじめ、日本エア・リキード、三菱ケミカルグループが並ぶ。調査対象となったのは純度99%以上の製品で、中国側の輸入企業には大陽日酸の現地法人も含まれている。

日本企業は、フォトレジストやシリコンウエハーなど、複数の半導体材料で高い世界シェアを持つ。なかでもジクロロシランの約7割という数字は際立つ。石油のような天然資源ではなく、精製技術や品質管理、安定供給を長年積み重ねて築いてきたシェアだ。

■「中国が使う量の6割」は日本からの輸入

中国国内の数字を見ると、日本製への依存の大きさが浮かび上がる。

前出の化学工業日報の記事によると、今回の調査を申請した唐山三孚電子材料は2016年に設立され、2021年10月にジクロロシランの本格生産を開始した。公称の生産能力は年50万キログラムに達する。

一方、中国国内の需要は2022年の33万キログラムから2024年には44万キログラムまで増えた。数字だけを見れば、唐山三孚1社の生産能力だけで国内需要を賄える計算だ。中国にはほかにも洛陽中硅高科技などジクロロシランを供給する企業がある。

ところが、実際の国内生産量は14万キログラムにとどまる。足りない分は輸入で賄われ、2022年以降、その輸入量の約8割を日本製が占めてきた。中国国内メーカーが提出した申請書によると、2024年の日本からの輸入量は中国の需要全体の65.6%にあたる。中国は使う量の6割以上を、日本からの輸入で賄っている。

さらに、前出の新華社の記事によると、商務部報道官は、2022〜2024年に日本からの輸入量が増える一方、輸入価格は累計で31%下落したと説明している。中国側は、こうした輸入が国内産業に損害を与えた可能性があるとして調査に乗り出したわけだ。

前出の化学工業日報によると、2022年から2024年まで、日本産ジクロロシランには0%の協定税率が適用されてきた。国内需要の、6割以上を日本製が占め、関税の壁もない。その状況で、中国は日本からの輸入そのものを止めるのではなく、関税を課す可能性のある反ダンピング調査を選んだ。

■関税をかければ、中国もダメージを受ける

中国はこれまで、重要物資の輸出を外交上のカードとして使ってきた。2010年の尖閣諸島沖の漁船衝突事件では対日レアアース輸出が事実上滞り、2023年にはガリウムやゲルマニウム関連品目を輸出許可制にした。

しかし今回は立場が逆だ。中国が必要としている日本製ジクロロシランについては、輸入を止めるのではなく、反ダンピング調査を選んだ。

ダンピング調査の結果、日本産のジクロロシランが不当に安く販売され、中国国内の産業に損害を与えていると認定されれば、追加関税が課される可能性がある。仮にそうなれば、日本メーカーだけでなく、日本産ガスを使う中国の半導体工場もコスト増を背負う。

それでも中国が調査に踏み切った背景には、輸入を続けながら国内メーカーを育成したいという事情があると考えられる。国内需要44万キログラムに対して国内生産は14万キログラム。輸入の約8割を日本製が占めている。対日強硬姿勢を示す習近平政権も、日本からの輸入をすぐには止められない。「頭を下げて買うしかない」現実の正体である。

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ただし、中国がジクロロシランを「作れない」わけではない。唐山三孚のように量産する企業はすでに存在する。正確に言えば、「最先端の半導体工場が要求する純度と安定供給を、同じ水準では実現できない」のだ。

半導体材料では、生産能力だけでなく、純度や品質の安定性も重要になる。商務部が調査対象としたのは「純度99%超」の製品だが、半導体グレードの特殊ガスには、さらに高い純度と、厳格な不純物管理が求められるからだ。

■中国にはない「日本メーカーの強み」

日本勢の強みはガスそのものの純度だけではない。

原料の精製、容器の管理、充填、輸送、納入時の品質保証まで、安定した品質を維持するには工程全体の管理が必要になる。半導体の製造現場では、ごく微量の不純物やロットごとの品質のばらつきが歩留まりに影響する。

さらに一度採用した材料を別メーカーの製品に切り替えるには、品質や製造条件を確認しなければならない。長年にわたって顧客と仕様をすり合わせ、安定供給の実績を積んできたこと自体が、日本メーカーの強みになる。

精製、品質管理、安定供給、顧客とのすり合わせ。日本勢の優位は、長年の製造現場で蓄積してきた「工程知」にある。中国企業が生産能力を高めても、この蓄積まで短期間で置き換えるのは容易ではない。

■「約7兆円の投資」で追い上げる中国

それでも、日本勢の優位がこれからも続くとは限らない。半導体の国産化は「中国製造2025」以来の国家目標であり、素材の自給もその重要な一角を占めている。

中国の経済メディア「経済観察網」の記事によると、2024年5月に発足した国家集積回路産業投資基金(通称・大基金)の第3期は、登録資本3440億元に達した。発足当時のレート(1元=約20円)で換算すれば約7兆円。第1期の1387億元と第2期の2041.5億元を合わせた額を、第3期だけで上回る規模である。

もっとも、3440億元がすでに投資されたわけではない。これは登録資本であり、出資する国有6銀行の1140億元も設立から10年以内に払い込む計画になっている。

それでも、中国が巨額の資金を投じて半導体の国産化を進めている事実は重い。今回の反ダンピング調査も、追加関税によって日本製との価格差を縮め、国内メーカーが競争する時間を確保する方向に働く可能性がある。

習近平政権にとって半導体は、米国との覇権競争の主戦場でもある。日本からの輸入に大きく依存している現状を、中国がこのまま放置するとは考えにくい。

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■重要産業への投資を止めてはいけない

実際、中国の装置・材料メーカーは、政府の支援と国内需要を背景に成長している。現在、日本勢が優位に立つジクロロシランも、5年後、10年後まで同じ状況が続く保証はない。

重要物資を特定の国に依存するリスクが明らかになれば、依存する側は代替調達や国産化を急ぐ。今回はジクロロシランで日本が高いシェアを握り、中国がその供給に依存している。だからこそ中国は、巨額の資金を投じて国産化を進めようとしている。

では、日本はこの優位をどう守ればいいのか。

第1に、純度や品質の安定性、安定供給を支える研究開発や設備投資を続けることだ。素材メーカーが長年蓄積してきた工程知を次世代に引き継ぐ人材も欠かせない。

第2に、ジクロロシラン以外にも、日本への依存度が高く、中国が国産化や輸入規制を強める可能性のある素材や装置を把握しておく必要がある。輸出規制だけでなく、反ダンピング関税などによって日本企業の市場アクセスが制約される事態にも、官民で備えておくべきだろう。

■競争力そのものが「安全保障」になる

第3に、半導体の素材や装置で高い競争力を持つこと自体を、経済安全保障上の強みとして認識することだ。相手国が簡単には代替できない製品を持つことは、供給網をめぐる交渉力にもつながる。

中国が日本への経済的な圧力を強めても、日本製ジクロロシランを簡単には切れない理由は、数字が示している。国内需要44万キログラムに対して国内生産は14万キログラムにすぎない。需要全体の6割以上を、日本からの輸入が占めている。習近平政権が対日強硬姿勢を強めても、現時点では日本製を簡単に切ることができない。だからこそ、輸入を止めるのではなく、反ダンピング調査に乗り出したのである。

ただし、中国は約7兆円規模の国策ファンドを構え、半導体の国産化を進めている。いま日本が握っている優位を、5年後、10年後も維持できるか。それは、これからの投資と技術開発にかかっている。

写真=iStock.com/SweetBunFactory
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伊藤 隆太(いとう・りゅうた)
政治学者
群馬県立女子大学・東京都市大学非常勤講師。博士(法学)。慶應義塾大学法学部政治学科卒業。同大学大学院法学研究科後期博士課程修了。慶應義塾大学・広島大学助教、日本国際問題研究所研究員等を経て今に至る。Co-Chairs of the IPSA Research Committees (RC12)、APSA Committee of Best International Security Article等を歴任。単著論文はInternational Affairs誌に‘Hybrid Balancing as Classical Realist Statecraft’ (2022)、‘Hubris Balancing’ (2023)、International Relations誌に‘A Neoclassical Realist Model of Overconfidence and the Japan-Soviet Neutrality Pact in 1941’ (2023)、‘Outrage Balancing’ (2026)、単著研究書は『進化政治学と国際政治理論』(芙蓉書房出版、2020)、『進化政治学と戦争』(芙蓉書房出版、2021)、『進化政治学と平和』(芙蓉書房出版、2022)、編著研究書に『インド太平洋をめぐる国際関係』(芙蓉書房出版、2024)等がある。
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(政治学者 伊藤 隆太)