〈村上春樹最新刊で再燃〉東京「東西論争」は決着したのか…錦糸町が荻窪・阿佐ヶ谷を逆転した「マンション価格」の現実

写真拡大

東京の「東西論争」が盛んだ。議論に火をつけたのは“世界のムラカミ”こと、国民的作家の村上春樹。中央線沿いの高級住宅街をけなしたことで、これまで西側の人々の上から目線に辟易していた人々は拍手喝采を送る。中央線の「西側」はもはやオワコンで、湾岸をはじめとした「東側」こそが21世紀の東京の中心なのか――。不動産的な見地から、この東西論争をひもときたい。

【画像】村上春樹の最新刊で話題となった武蔵境に関する記述

「武蔵境…あれはひでえところだぞ。まさに文明の果つるところだ」

村上春樹の最新刊『夏帆─The Tale of KAHO─』が絶好調だ。書店ではどこでも平積みになっており、発売即、大規模重版が決まった。出版不況にあっても、ノーベル文学賞を獲得できなくても、世界のムラカミの人気は健在なようだ。

さて、SNSを中心に話題になっているのが、作中での「武蔵境」の扱いだ。

「あなたは武蔵境に越さなくてはなりません。それも今すぐに」という、印象的な台詞がムラカミワールドへと誘うが、作中では武蔵境への罵詈雑言が飛び交う。

「おれは学生のときに何度か武蔵境に行ったことがあるけどさ、あれはひでえところだぞ。まさに文明の果つるところだ」

「新宿より西側の東京ってのがどうにも肌に合わねえんだ」

「景色が単調で退屈だし、人間はつんけんしているし、ぴかぴかのドイツ車が多すぎる」

西側高級住宅街より錦糸町…X上は東西論争

武蔵境の住民に故郷の村でも焼かれたのかと思うほどの言いたい放題だが、このムラカミ節に沸いたのが、これまで不遇をかこっていた東京の「東側」の住民だ。令和の高級住宅街ともいえる豊洲や勝どきなど湾岸タワーマンションを筆頭に、SNSでも勢いがある陣営ともいえる。

これまで、東側の人々は「埋立地なんて人が住むところじゃない」「本当の金持ちは西側の閑静な住宅街に住む」と言われたい放題だっただけに、この西側disに勢いづいた。X(旧Twitter)には、「西側の高級住宅街よりも錦糸町の方がいい」といった、極端な意見も飛び出している。

そもそも街の良し悪しというのは個人的な主観によるもので、優劣などない。しかし、定量的に調べる方法がある。不動産価格だ。

人気住宅地の不動産価格は上昇傾向にあるし、逆もまたしかり。今回、東京カンテイが公表しているデータをもとに、中古マンション価格の推移を調べてみた。

まず、村上春樹作品の舞台にもなった武蔵境駅をみてみよう。

勢いを増す東側…錦糸町に後塵を拝する荻窪・阿佐ヶ谷

7月に公表された最新のデータによると、武蔵境駅周辺のファミリータイプの中古マンション価格は1坪あたり275万円。70㎡で換算すると、5833万円となっている。人気住宅街というイメージに比べ、安いと感じる読者も多いのではないか。

一方、「東」の代表格であるタワマンの聖地、豊洲駅はどうだろう。2025年とやや古いデータであるが、70㎡換算で1億3554万円と、武蔵境の2.3倍に達する。

武蔵境駅の物件の平均築年数が31.5年と古いのに対し、比較的新しい物件が多い豊洲は15.6年と、半分でしかない。昭和時代からの古い住宅街である武蔵境に対し、ピカピカのタワマンが立ち並ぶ豊洲が圧倒した形だ。

もっとも、街が古いから安くなっているとは単純に言い切れない。東側の勢いを示す街としてよく話題にあがるのが錦糸町だ。

2025年時点での平均築年数は28.1年と武蔵境とさして変わらないが、ファミリータイプ物件の平均価格は7403万円と、既に逆転している。近年の再開発により、錦糸町は人気住宅街としての地位を着実に築きつつあるのだ。

23区内ですらない、武蔵野市である武蔵境を持ち出して西側の代表とすることに違和感を覚える人もいるだろう。しかし、新宿以西の中央線沿線で錦糸町を明確に上回っているといえる駅は中野(1億160万円)と吉祥寺(7848万円)だけで、荻窪(7424万円)や阿佐ヶ谷(7318万円)といった有名どころでさえ、ほぼ同格といえる。

かつては錦糸町を薦めたら「馬鹿にしてるのか」と怒られかねなかった

東側の躍進と西側の凋落をもたらしたものは、いったい何なのか。

都内の不動産仲介会社で働くA氏は「最近の若者は家を選ぶ際に職場からの距離が最優先になっている」と説明する。

かつて、中央線といえば自然豊かな住環境や多様な飲食店、教育環境などが評価され、こうした要素が選ばれる理由となっていた。

「錦糸町といえば、駅前に居酒屋や風俗街、場外馬券場が立ち並ぶため、10年前に子育てを考えている夫婦に錦糸町を薦めたら、『馬鹿にしてるのか』と怒られかねなかった」(A氏)

しかし、専業主婦が前提だった昭和や平成と異なり、今は夫婦共働きが当たり前となっている令和だ。夫婦とも都心まで通勤することを考えると、大手町駅から12分の錦糸町は多少、賑やかすぎる向きがあっても、それを補って余りある魅力がある。

共働きでないと住宅を買えない現代、大手町に近い「東」こそが正解

逆に中央線沿線の伸び率は限定的だ。錦糸町駅のマンション価格が過去10年間で8割以上高くなっている一方、三鷹駅や吉祥寺駅といった昔ながらの人気駅は5割程度と、「東」側がグングンと追い上げていることがわかる。

これは中央線に限った話ではなく、田園都市線などのかつての人気路線も同様だ。三軒茶屋や二子玉川といった、比較的都市部に近い街はまだまだ健闘しているものの、たまプラーザや青葉台といったかつての人気エリアの凋落は激しい。

「東京と神奈川の子育て支援策の格差もあり、高級住宅街だからといってわざわざ青葉台を選ぶ人は少ない」とA氏は断言する。共働きでないと住宅を買えない現代において、大手町に近い「東」こそが正解であり、「西」側は廃れつつあるというのは中長期的なトレンドなのだ。

もう一つのファクターも見逃せない。それは西側のターミナル駅の衰退だ。中央線といえば新宿駅だが、インバウンドで賑わう東口はともかく、西新宿のオフィス街には新しいビルが少ない。

三菱地所の手掛ける大手町や丸の内、三井不動産が街づくりを進める日本橋、森ビルが再開発に取り組む港区内陸部と比べても、大型の新しいビルが少なく、活気がないことは明白だ。

オフィス仲介を手掛ける外資系企業に勤めるB氏は「リモートから出社へと回帰が進む中、オフィスの立地は福利厚生として重要視されるようになっている。西新宿をわざわざ選ぶ企業は稀だ」と断言する。

衝撃!「西新宿の主」が浜松町へ

こうした状況を象徴するような出来事が、2025年の野村不動産グループによる本社移転だ。野村不動産といえば西新宿に本社を置いており、中央線や京王線など新宿に近いエリアで数多くのマンションを手掛けてきた。

「西新宿の主」である同社が新たな本社として選んだのは、よりによって港区の浜松町だった。再開発で新たに建てられたピカピカのビルは新名所となり、湾岸のタワマンエリアとは船便でつながっている。

野村不動産の社員であるC氏は「新宿勤務を前提に中央線や京王線沿線に家を買った社員も多いのに、本社移転で通勤時間が30分以上伸びたベテラン社員も多い。一方で湾岸エリアのタワマンや晴海フラッグを買った若い世代も多く、中年が新社屋に文句を言う一方で若い世代は移転を歓迎している」と明かす。

SNSを見ても、現在も西側を支持しているのは、比較的上の世代であることが多い。

次は「西でも東でもなく、『北』だ」足立区・板橋区の時代

では、これからも「東」の天下が続くのだろうか。不動産仲介を手掛けるA氏はこうした意見に懐疑的だ。

「湾岸タワマンも錦糸町も価格が上がりすぎてしまって、これからマンションを買う人には高すぎる。ここから更に何割も上昇するイメージが湧かない」(A氏)

この指摘を裏付けるように、金利上昇による足元の調整局面で、湾岸や錦糸町エリアは振るわない。

それでは、西側が復権するのだろうか。A氏はこの意見にも首を横に振る。共働きの増加もオフィス街としての新宿の衰退も不可逆的であり、通勤に1時間もかかるような立地が伸びることはないだろうという。

では、今後伸びるエリアはどこか。A氏は「西でも東でもなく、『北』だ」と話す。足立区や板橋区など、いま割安だと考えられている立地にこそ、チャンスがあるという。

奇しくも、村上春樹の『夏帆』では、足立区の花畑が登場する。「お花畑がそこらじゅうに広がっているというわけではないが、それでもどこかしらのどかさを感じさせる土地柄」と、武蔵境とは異なり前向きに取り上げられている。

世界のムラカミは、足立区の来たるべき黄金時代を既に予見しているのかもしれない。

取材・文/築地コンフィデンシャル