柄本佑、国家の頂点に立った道長を解釈「どこかで違和感が」
吉高由里子が紫式部(まひろ)役で主演を務める大河ドラマ「光る君へ」(NHK総合・日曜午後8時〜ほか)の17日放送・第44回では、藤原道長(柄本佑)が、あの有名な「この世をば」の望月の歌を詠むシーンが描かれた。前の場面で道長は後一条天皇の摂政となり名実共に国家の頂点に上り詰めたが、演じる柄本佑が道長の心境について解釈を述べた。放送後、ドラマ公式SNSなどで公開されたコメント動画「君かたり内」で語っている。
第45回「望月の夜」では、体調が悪化していた三条天皇(木村達成)が皇子の敦明親王(阿佐辰美)を東宮とすることを条件に譲位を承諾。長和五年(1016年)、大極殿で後一条天皇(橋本偉成)の即位式が執り行われ、道長は孫である後一条天皇の摂政となり名実共に国家の頂点に立った。しかし、左大臣を兼務しいまだ陣の定めに顔を出す道長に対し、権大納言・公任(町田啓太)は「はたから見れば欲張りすぎだ」と左大臣を退くよう促す。暗い表情の道長に「何度も先の帝に譲位を促したが、今度は俺が辞めろと言われる番なのか……」というモノローグが重なる場面もあったが、まひろに摂政を頼通(渡邊圭祐)に譲ることを告げた際、まひろに「道長様のお気持ちがすぐに頼通さまに伝わらなくても、いずれ、気づかれるやもしれませぬ。そして次の代、その次の代と、一人で成せなかったことを時を経ればなせるやもしれませぬ。わたしはそれを念じております」と言われ、「そうか、ならばお前だけは念じていてくれ」と返した。
そんな道長の心境について、柄本はこう語る。「結局、摂政になるっていうのと左大臣と兼任するっていうのと、プラス三条天皇が自分の身を長引かせようとしているっていう策略もあったりするから、どっちがいいんだろうなと思いつつ。途中で「道長やめるの?」みたいなことを言われて「みんな不満なのか?」みたいなことを言ったりするけど、道長さん自体、どこかで違和感みたいなのはきっとあったと思うんですよね。だから達成感というか…一応ね、即位式とかがあって、頂点に立ったみたいなことがあるけれども、そこらへんがどういう風なことなのかね。でも、まひろだけは一応わかってくれているというふうなところなのかなと思っているので、単純にその達成感っていうのとはまたちょっと違うところなのかなっていう。だから 摂政と左大臣を辞めるっていうふうなことを決断して辞めるわけなんですけれども、その後は割に僕的には伸び伸びしてるんじゃないかなっていう。 もちろん当面の頼通が頼りねぇ(笑)とかそういったことはあるけど、気分としては割とのびのびした気分になるんじゃないかなと」
まひろに、頼通に民を思いやる心は伝わっているのかと問われた際、道長は「どうだろう……」と首をひねっていたが、頼通に期待することとして、柄本は三条宇天皇に姫皇子・綏子を頼通に嫁がせたいと言われたときの頼通の反応を思い返しながら「素直なところですかね」と話す。
「「結婚させてくれ」って三条天皇に言われて、それを言いに行ったら「嫌だ」って言われて。なんかそういうピュアさみたいなものは買ってるんじゃないかなっていう風に思います。ただ、ピュアが故に策略とか、そういうな部分、政策とかそういうことにおいては、ちょっと摂政にしたはいいが、頼りなげなところが結構あるんじゃないかなっていう気がします」
その後、三条院が42歳で崩御ののち、後ろ盾を失った敦明親王は自ら申し出て東宮の地位を降り、道長の孫であり帝の弟である敦良親王(立野空侑)が東宮に。一年後、彰子は太皇太后、妍子(倉沢杏菜)は皇太后、威子(佐月絵美)が中宮となり、三つの后の地位を道長の娘が占めた。威子が中宮となった宴が土御門殿で催され、宴の最中に道長が「この世をば 我が世とぞ思ふ 望月の 欠けたることも 無しと思へば」を詠んだ。しかし、めでたいはずのこの日、前の場面では「きょうの良き日を迎えられましたこと、これに勝る喜びはございません。心より御礼申し上げます」と頭を下げる道長に、妍子は「父上と兄上以外、めでたいと思っておる者はおりませぬ」と冷ややかな反応だった。(編集部・石井百合子)