道長の「この世をば」、まひろ目線のカット話題 「光る君へ」神回のマジック再び
吉高由里子が紫式部(まひろ)役で主演を務める大河ドラマ「光る君へ」(NHK総合・日曜午後8時〜ほか)の17日放送・第44回では、視聴者が待ちに待った、藤原道長(柄本佑)が「この世をば」の望月の歌を詠むシーンが描かれ、SNSは歓喜の声に沸いた(※一部ネタバレあり)。
第44回「望月の夜」では病に倒れた三条天皇(木村達成)が皇子の敦明親王(阿佐辰美)を東宮とすることを条件に譲位。長和五年(1016年)、大極殿で後一条天皇(橋本偉成)の即位式が執り行われ、道長は孫である後一条天皇の摂政となり名実共に国家の頂点に立った。三条院が42歳で崩御ののち、後ろ盾を失った敦明親王が自ら申し出て東宮の地位を降り、道長の孫であり帝の弟である敦良親王(立野空侑)が東宮に。一年後、彰子(見上愛)は太皇太后、妍子(倉沢杏菜)は皇太后、威子(佐月絵美)が中宮となり、三つの后の地位を道長の娘が占めた。
道長が藤原実資の「小右記」に記された望月の歌を詠んだのは、土御門殿で威子が中宮となったことを祝う宴が催された夜。本来、道長にとって人生絶頂といえる日であり、望月の歌はそんな道長の慢心を表すものという見方もあったため、ドラマでどのような解釈がなされるのか注目を浴びていた。
前の場面では「きょうの良き日を迎えられましたこと、これに勝る喜びはございません。心より御礼申し上げます」と頭を下げる道長に、妍子は「父上と兄上以外、めでたいと思っておる者はおりませぬ」と冷ややかな反応だった。さらにその前には、摂政と左大臣を兼務する道長に公任(町田啓太)が「はたから見れば欲張りすぎだ」と左大臣を退くよう促す場面もあり、道長は孤独な状況でもあっただけに、宴の最中の道長を「目が座っている」「覇気がない」「全然幸せそうじゃない」「状況だけ見れば確かに望月だ」「この状況であの歌を詠むのか」といった反応が寄せられていた。
そんななか、道長が実資を介して頼通に盃を勧めたのち「今宵はまことによい夜だ……」と表に出ると、SNSでは「詠むぞ、詠むぞ…」「空を見上げた、くる!」「キタキタキタキター!」と全力待機の声が。道長は、雲に隠れていた月が姿を現すと共に「この世をば 我が世とぞ思ふ 望月の 欠けたることも 無しと思へば」を詠んだ。実資はかつて元しんが菊の歌を詠んだとき、白楽天は深く感じ入って返歌できず、代わりに歌を唱和するエピソードを上げ、同様に望月の歌を公卿たちと共に唱和した。
とりわけ注目を浴びたのは、道長が歌を詠んだのちまひろに視線を送るシーン。この回の演出は、まひろと道長が廃邸で結ばれた第10回の黛りんたろう。名エピソードとして語り継がれる第10回では廃邸の抜け落ちた天井から月の雫が降り注ぐ演出が注目を浴びていたが、第44回ではそれを思わせる演出がなされ、無音の中でまひろから観た道長が光輝いて見えるという描写だった。目を潤ませたまひろと、唯一まひろにだけ笑顔を見せた道長が「まひろちゃん惚れ過ぎじゃないか?」「これはどういう気持ちなのー?」と視聴者の想像を掻き立てていた。
望月の歌について、ドラマの時代考証を担当する倉本一宏は公式サイトのコラムで「「望月の歌」は「本宮の儀」(立后の儀の一つ)のあとに行われた「穏座」という二次会で詠まれました。出席者がかなり酩酊してから詠んでいますので、道長自身も気分が良くなって、かなりできあがってきた状態で、喜びの気持ちやその場の光景を歌にしたのだと思います」といい、偶然が重なった結果、奇跡的に残っていることに「道長に対する「天皇をないがしろにした傲慢な人」という悪評は、この歌の解釈によってなされたという側面もあります。平安時代に対する理解にも悪影響があったと思いますし、果たして残って良かったのかは、私としては疑問に思います」とも語っている。
また、道長が望月の歌を詠んだ時の衣服は「直衣布袴(のうしほうこ)」というもので、佐多は「選ばれし者でなければ気後れしてしまう、極めて特別な格好です。まず、平安貴族の中でも公卿以上の人物が自邸で威儀を正す際に身にまとう格好として、「布袴」という姿があります。布袴は、朝廷に出仕する際の正式な服装である束帯姿から、はく物を表袴(うえのはかま)ではなく指貫(さしぬき)に変えた格好であり、冠をかぶり、上着は袍(ほう)を着て、下襲(したがさね)を付けて裾(きょ)の長さで職を示すという感じです。そのうえで「直衣布袴」は、上着は袍ではなく直衣とした姿になるのですが、これは貴族たちにとって、威儀を正したうえで最もカジュアルにした最上級の格好となります」と説明している。(石川友里恵)