■「日本を守ることで職責を果たしたい」

「政治とカネ」の問題が大逆風となって石破茂新政権に襲いかかった。自民、公明両党が10月27日投開票の衆院選で、公示前の279議席から215議席に落ち込み、総定数465の過半数(233)を割り込んだ。

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報道各社の取材で厳しい表情を見せる石破茂首相(自民党総裁)=2024年10月27日午後、東京・永田町の同党本部 - 写真=時事通信フォト

各党が得た議席は、自民党191、立憲民主党148、日本維新の会38、国民民主党28、公明党24、れいわ新選組9、共産党8、参政党3、日本保守党3、社民党1、無所属12だった。自民党は公示前から65議席減、公明党は8議席減だったのに対し、立民党は50議席増、国民民主党は4倍の21議席増となった。

石破首相(自民党総裁)は、自ら勝敗ラインに掲げた与党で過半数には、非公認とした候補を公認しても届かないが、28日に自民党本部で記者会見し、「国民の批判に適切に応えながら、国民生活と日本を守ることで職責を果たしたい」と述べ、続投する考えを表明した。11月11日にも召集される特別国会での首相指名選挙に向け、自公政権としては、国民民主党や日本維新の会に政策協議を呼び掛け、閣内協力(連立政権入り)や閣外協力、政策ごとに連携を図る部分連合を想定、検討している段階にあるのだろう。

政治資金規正法違反事件で信頼が地に墜ちた自民党が総裁選で耳目を集めて顔を替え、ご祝儀相場で衆院選を乗り切る、という当初のシナリオが脆くも崩壊したとも言える。

小泉進次郎選挙対策委員長が28日、石破総裁に辞表を提出し、受理された。記者団に「結果が出なかったら、責任を取るのは当たり前だ」と潔さをアピールしたが、泥舟政権だと見て距離を置いたという憶測もある。

公明党は、支援団体・創価学会関係者の高齢化もあって比例選は596万票と過去最小に落ち込み、この20年で3割超も減少した。小選挙区選は4勝7敗と負け越し、石井啓一新代表が落選の憂き目に遭った。後継代表選が予定され、与野党間の政策協議に影を落としかねない状況になっている。

■「政策ごとに良いものは協力する」

立憲民主党は、安全保障やエネルギー政策などで現実路線を取る野田佳彦新代表(元首相)が、穏健保守層を取り込んで、104の小選挙区選で勝利し、目標だった自公過半数割れを果たした。27日夜のフジテレビ番組では「首相指名を戦うべき環境になるなら、取りに行くのは当然だ」と述べ、国民民主党などとの連携による政権奪取に意欲も示した。

だが、今回の比例選得票は1156万票で、惨敗した2021年衆院選からの上積みは7万票にとどまった。政権批判票の受け皿を国民民主党に譲ったといえる。来年7月の参院選に向け、野党共闘の進め方にも課題を残している。

総務省自治行政局選挙部、衆議院議員総選挙・最高裁判所裁判官国民審査結果調(速報)より作成

維新の馬場伸幸代表は27日夜、NHK番組で、自公両党への協力だけでなく、立民党との連携についても否定した。党内には馬場氏の議席減の責任を問う声もあり、党としての対応は暫く決められない状況になっている。

国民民主党の玉木雄一郎代表は、29日の記者会見で、自公連立政権入りも、立民党との連携にも消極的な考えを示したうえで、「政策ごとに良いものは協力し、駄目なものには駄目だと言って行く」と述べ、部分連合の可能性を否定しなかった。国民民主党は31日、自民党との間で、自公国3党による政策協議に入ることに合意した。

横浜駅前で街頭演説をする玉木雄一郎氏(写真=Noukei314/CC-BY-SA-4.0/Wikimedia Commons)

玉木氏は、首相指名選挙では決選投票でも自身の名前を書くことで無効票を投じる考えを示している。その場合は石破首相による少数与党政権が発足する可能性が大きい。

その政権運営においては、立民党などが提出するだろう内閣不信任決議案への対応が最も重要になる。国民民主党が反対すれば、自民党内に一定程度の造反が出ない限り、決議案は成立しなくなる。石破首相としては、国民民主党を引き付けておくためにも、その主張をできるだけ取り入れることが必要になる。

■「予算委をひと通りやって信は問いたい」

今回の衆院選で自民党はなぜ大敗したのか。石破首相による異例の衆院解散宣言から始まった、今回の選挙戦をざっと振り返る。

首相は、就任前日の9月30日に衆院選を10月15日公示―27日投開票で実施する、とフライング気味に表明した。この発言は「変節」と受け止められ、選挙戦に後を引く。

石破首相が早期解散に舵を切ったのは、森山裕幹事長、林芳正官房長官らの説得によるものだったが、外交日程が決め手だった。10月9〜11日のASEAN関連首脳会議(ラオス)、11月15〜16日のAPEC首脳会議(ペルー)、11月18〜19日のG20首脳会議(ブラジル)に首相が出席するには、10月27日投票しかなかった。

だが、石破氏は、外交日程を頭に入れていなかったのだろう。8月24日の総裁選出馬表明の際、記者団に解散時期を問われて「予算委員会をひと通りやって、この政権は何を目指そうとしているのかが国民に示せた段階で、可能な限り早く信は問いたい」との意向を示した。9月14日の日本記者クラブの総裁選候補者討論会でも「国際情勢がどうなるかわからないのに『すぐ解散する』という言い方はしない」と早期解散を否定していた。

現実は、衆院早期解散を選択し、10月9日の解散前に党首討論を通常の45分を80分に延長して行っただけで、衆参両院予算委員会は開かれずじまいだった。言行不一致と非難されても仕方がない。

首相が7条解散否定論者だったことも、批判を呼び込んだ。石破氏は6月14日の自身のブログで「衆院の解散は内閣不信任案の可決や信任案の否決など、内閣と衆院の立場の相違が明確となった場合に限り、内閣が主権者である国民の意思を問うために行われるべきものであって、単に天皇の国事行為を定めたに過ぎない(憲法)7条を根拠として『今解散すれば勝てる』とばかりに衆院を解散することは、国会を『国権の最高機関』とする憲法41条の趣旨にも反するのではないか」と、持論を披瀝していた。

■「69条に該当しないが、趣旨に合致する」

その石破氏が9月29日のフジテレビ番組では、衆院解散の根拠となる憲法条項に触れ、「国民に新政権ができたときに判断を求めるのは69条に該当しないが、その趣旨に合致する」と言ってのけたのである。同席した野田氏が呆れたように「7条解散としか言いようがない」と指摘したのは、もっともだった。

石破首相が就任後、持論を封印したり、発言を掌返ししたりしたのは、ほかにもいろいろある。安全保障政策では、アジア版NATOの創設、日米地位協定の改定、核共有・核持ち込みの検討などを主張したが、早々に引っ込めた。経済政策では金融所得課税強化、エネルギー政策では「原発をゼロに近づけていく努力をする」と訴えていたが、10月4日の所信表明演説や7、8日の衆参の代表質問を通じ、言及しないか、表現を一変させた。

衆議院本会議で所信表明演説を行う石破総理(出典=首相官邸ホームページ)

例えば、金融所得課税については「現時点で検討することは考えていない」と後退し、原発については「安全を大前提とした利活用によって日本経済をエネルギー制約から守り抜く」との表現に改めた。要は、岸田政権の政策を踏襲するという話である。

所信表明演説に残った独自の政策は、地方交付税の倍増、「防災庁」設置に向けた指示くらいになってしまった。これでは、一体何をしたいのか、よく分からないではないか。

「党内野党」の立場でこれまで気楽に発信してきたが、霞が関との対話に乏しいこともあって、政治・経済、国際情勢をアップデートできていなかったのだろう。それが政権を担った途端に現実路線に引き戻されたのが実情だったのではないか。深刻だったのは、首相が選挙戦で何を訴えても、心に響かないという事態を招いたことだ。

■「非公認」「比例選重複立候補を認めず」

その石破首相が党内分断を意に介さず、世論向けに断行したのが、旧安倍、二階両派の「不記載」議員への「非公認」「比例選重複立候補を認めず」という"追加処分"だった。

首相は10月6日、党本部に森山、小泉両氏らを招集し、党員資格停止処分を受けた下村博文元政調会長、西村康稔元経済産業相、高木毅元国会対策委員長、党役職停止で政治倫理審査会に出席しなかった萩生田光一元政調会長、平沢勝栄元復興相、三ツ林裕己元内閣府副大臣の6人を非公認と決定した。松野博一前官房長官、武田良太元総務相ら現職32人と支部長2人は公認したが、比例選への重複立候補は認めなかった。

自民党は4月に不記載が確認された議員ら85人のうち39人を処分している。一事不再理の原則に反するとの不満はくすぶっている。

写真=iStock.com/oasis2me
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10月9日には旧安倍派6人を非公認に追加し、2人は不出馬に追い込まれた。当選の見込みが薄い候補を切り捨てたらしい。その結果、非公認で無所属出馬は10人、小選挙区で公認、比例重複なしが34人、衆院解散前に離党し、無所属で出馬が2人となった。

こうした対応は、メディアの格好の餌食となった。非公認候補が出馬する選挙区ルポなどで、謝罪する姿が報じられ、有権者の怒りを改めて思い起こした。これは10月の時事通信世論調査(11〜14日)に反映する。石破内閣発足後初の支持率が28%を記録し、いきなり「危険水域」に入ったのである。

■非公認候補の支部にも2000万円支給

下降傾向は止まらない。読売新聞の10月17日の序盤情勢(15、16日)は「自公過半数見通し」という見出しだったが、25日の終盤情勢(22〜24日)は「自公過半数の攻防」に押し込まれた。自公両党で過半数の233議席を割る可能性があることが明らかになっていた。公明党が自民党の不記載議員ら18人を推薦したのも、有権者に理解されなかっただろう。

そこに追い撃ちを掛けたのは、10月23日に共産党機関紙「しんぶん赤旗」が報じた、自民党が公示直後に非公認を含む衆院選候補者の党支部に2000万円を支給した問題だった。

公認候補の支部に公認料500万円プラス活動費1500万円が支給されたのに対し、非公認候補の支部には2000万円の活動費が支給されていた。野党側が「裏公認料」と批判したのに対し、石破首相は「非公認の候補に出しているのではなく、選挙に使うことは全くない」と説明したが、大逆風が一気に加速した。

非公認候補の党支部に活動費として1500万円を支給していれば、問題になることはなかっただろう。森山氏らの手痛いミスだった。

非公認の1人、萩生田氏は「なぜ選挙期間中に支給を決定したのか、有難迷惑な話だ」とX(旧ツイッター)に投稿し、党本部に返還する騒ぎにもなった。内輪揉めが露呈するのは、負け戦に直結する。

■「きちんと説明しない政治は要らない」

不穏な空気を感じた石破首相は選挙戦終盤の10月23日、愛知県内での遊説で、「悪夢のような民主党政権」という安倍晋三元首相がよく用いた表現で野党を批判した。

石破氏は2021年に自身のブログでは、安倍氏に対し、「いつまでも言っていると、『他党との比較ではない。きちんと説明しない政治はもう要らない!』との大批判を浴びることは必定だ」と諌めていた。これほど過去の他人への批判がブーメランで返ってくる首相は珍しい。

石破自民党は、きちんと説明しない政治、との大批判を浴びながら、投票日を迎える。自民党派閥パーティー収入不記載事件に関与した旧安倍、二階両派の前議員ら46人は厳しい審判を受け、28人が落選した。

非公認となった10人のうち、萩生田、西村、平沢の3氏は小選挙区で勝ち上がったが、下村、高木両氏ら7人は当選ラインに届かなかった。公認されても比例重複がなかった34人のうち、武田氏、丸川珠代元五輪相ら20人が涙をのんだ。離党勧告処分を受けて離党し、無所属で参院から衆院和歌山2区に鞍替え出馬した世耕弘成氏は、不記載事件を受けて不出馬を決めた二階俊博元幹事長の3男で自民党公認の伸康氏を破って当選した。

自民党は、背に腹は代えられないと、国会会派にこうした無所属で当選した議員を取り込もうとしている。萩生田、西村、平沢、世耕4氏に加え、自民党公認候補を破って無所属で当選した三反園訓、広瀬建両氏に働きかけたほか、解散前に結成した衆院会派「有志の会」の吉良州司ら4氏にも自民党会派入りするよう折衝を続けている。

ただ、仮にこれら無所属議員10人が加わっても、衆院過半数には及ばない。

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■「石破は短いかも。高市、用意しとけ」

派閥・旧派閥別では、10月30日の読売新聞によると、旧安倍派は出馬した50人中22人の当選にとどまり、往時の勢いはない。麻生派が最多の31人(立候補40人)を当選させ、旧茂木派が27人(同33人)、旧岸田派26人(同35人)、旧二階派22人(同26人)と続いた。旧森山派は7人(同7人)だった。

今後、自民党内の「反石破」勢力はどう動くのか。その核は高市早苗前経済安全保障相なのだろう。今回の衆院選で総裁選の推薦人に名を連ねた前議員11人のうち7人が落選・不出馬に追い込まれたが、その人気はなお維持している。石破首相が衆院選で応援演説に駆け付けた与党候補の小選挙区の戦績が13勝63敗だった、と29日の産経新聞が報じたのに対し、高市氏は31勝28敗と勝ち越した、と30日の日刊ゲンダイDIGITALが報じている。

思い起こされるのは、高市氏が総裁選翌日の9月28日、石破総裁から総務会長ポストを打診されながら、これを拒否し、党内野党の道を選択したことだ。10月6日のTBS報道によると、その後、総裁選で支援に回ってくれた麻生太郎党最高顧問(元首相)を訪ね、「自民党の歴史の中で3年以上首相を務めた例は7人しかいない。俺も菅(義偉副総裁・元首相)も1年で終わった。石破はもっと短いかもしれねえ。高市、用意しとけ」との助言をもらったという。

石破政権が持続するかどうかは、当面の内閣支持率次第だろう。今後の国会対策、来年の参院選をにらんで、菅氏や森山氏らがどう政権を支えていくのか。麻生氏や高市氏らがどう反転攻勢を仕掛けるのか。何があってもおかしくないという情勢は続く。

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小田 尚(おだ・たかし)
政治ジャーナリスト、読売新聞東京本社調査研究本部客員研究員
1951年新潟県生まれ。東大法学部卒。読売新聞東京本社政治部長、論説委員長、グループ本社取締役論説主幹などを経て現職。2018〜2023年国家公安委員会委員。
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(政治ジャーナリスト、読売新聞東京本社調査研究本部客員研究員 小田 尚)