『海に眠るダイヤモンド』「日給社宅」「外勤」って何? 知っておきたい端島ワードを解説
俳優の神木隆之介が主演を務める、TBS系日曜劇場『海に眠るダイヤモンド』(毎週日曜 後9:00)。物語の舞台となる端島は、長崎港から船で約40分のところに位置しており、「明治日本の産業革命遺産 〜製鉄・製鋼、造船、石炭産業〜」の産業遺産群の一つとして、世界文化遺産に登録された人工の島。岩礁の周りを埋め立てられて造られた海底炭鉱の島には、日本で初めて高層鉄筋コンクリートのアパートが建てられた。最盛期には約5300人もの人が住み、世界一の人口密度を誇るほど賑わっていた。さらに、端島炭鉱の石炭は非常に良質で、日本の近代化に大きく貢献した。
【写真】マジで別人…ホストを演じる神木隆之介
そんな端島での暮らしは一体どんなものだったのだろうか。“端島の伝道師”として活動し、本作の監修を手掛ける黒沢永紀氏の解説も交えて深掘りしてみよう。
――知っておきたい端島ならではの文化と社会構造
端島の社会は、人々が自然と集まって作り上げられたものとは違い、企業が炭鉱経営のために土地や人員、建物などを管理する特殊なものだった。島の面積は現代のJR新宿駅ほどで、その中に、小中学校、病院、郵便局、食堂、床屋、購買部、ビリヤード、映画館、派出所などの都市機能が凝縮されていた。
劇中の端島も「鷹羽鉱業」という会社の所有物。神木隆之介演じる鉄平が書いていた図のように職種によって住む場所や待遇などが異なっており、黒沢氏は「その構図はまるで、一国の縮図のよう」と語る。
島の一番上に住む炭鉱長に対して、炭鉱夫で鉄平の父・一平(國村隼)が上を見上げながら放った「あんなよ、人気取りして見せたって、所詮は上っ面よ。同じ空気が吸えるかってんだ」というセリフから取れるように、島民の階層は住む場所の高さにも比例していた。
島の上のほうに住むのは、3、4年ほどで入れ替わる鷹羽鉱業の「職員」や、社立病院の先生など。そして、その下には島民の約8割を占める「炭鉱員」とその家族、末端には食堂や個人商店を営む「社外者」がいる。
島全体が企業の私有地だったため、全ての住居は社宅や寮。炭鉱業で高収入が担保され、生活費も安くあがっていたことで、島民たちは豊かな生活をおくることができた。最先端の電化製品の普及は東京よりもはるかに早かった。一方で、「社外者」は会社の福利厚生を受けられなかったため、その生活は「職員」や「炭鉱員」らほど裕福ではなかったといわれている。
――キーワードでひも解く端島…主人公が従事する“外勤”の仕事内容
ここからは、特殊な環境で暮らしていた鉄平たちの暮らしをひも解くために、劇中に登場した場所やワードを、実際の端島とリンクさせながら振り返ってみよう。
◆ドルフィン桟橋
端島には数々の“日本初”がある。第1話冒頭で帰島した鉄平や幼馴染・賢将(清水尋也)などをはじめ、訪れる人々が最初に降り立つ島の入り口・ドルフィン桟橋もその1つ。防波堤などがない沖合に杭を打ち込んで作られた係留施設で、波や潮の干満に合わせてタラップが上下する構造を兼ね備えている。本来はタンカーが石油の荷役を行うために使われることが多い技術だが、防波堤のない端島では、人間が乗り降りするときにも使えるのではないかという発想で造られた。ちなみに、初代と2代目は台風で流され、3代目が閉山まで活躍した。端島に現存する桟橋の躯体は3代目だが、観光上陸のために改造したもので、当時の姿は残っていない。黒沢氏曰く、日本全国どこを探しても、この方式で人が船を乗り降りしたのは端島だけなのだという。
◆銀座食堂
杉咲花演じる鉄平の幼馴染・朝子が働く「銀座食堂」は、端島に実存した「厚生食堂」がモデルとなっている。劇中の鷹羽鉱業のように、1950年代当時に端島を所有していた企業の福利厚生施設としてできた食堂で、戦後「社外者」に委託されたが、慣れ親しまれた屋号はそのまま残すことになった。
家庭のある人たちは基本的に自宅でご飯を食べていたため、単身の炭鉱員が訪れることが多かった。ちゃんぽんやうどんをはじめ、親子丼、豚丼、パンやかき氷まで提供し、幅広く島民の食生活に貢献していた。
◆島唯一の寺
第1話で端島を訪れた謎の歌手・リナ(池田エライザ)が身を寄せることになった寺。彼女や職員クラブの管理人・町子(映美くらら)が下宿している寺は、「泉福寺」がモデル。寺は劇中同様に独身女性のための寮になっていて、当時の様子がわかる写真も残されている。
◆端島銀座&宮ノ下階段
島のメインストリート。青空市場が開かれ、対岸の野母半島高浜から農民が行商に訪れていた。同場所に位置し、劇中でも象徴的な、長く急勾配な宮ノ下階段は上るのが大変だったため、当時の島民たちから「地獄段」と呼ばれていた場所をモデルにしている。最頂部まで登ると「端島神社」にたどり着く。
◆昭和館
島の映画館。映画のフィルムは福岡から直送されていたため、長崎市内よりも早く上映されることが多かった。端島の有名な逸話の中には、人を降ろす船が天候の関係で着岸できなかった際にも、映画のフィルムだけはクレーンで引き渡すなんてこともあったそう。それだけ島民にとっては大切な娯楽の1つだったのだ。また、昭和館は映画の上映だけではなく、演劇やコンサートなど多目的に使われていた。
◆メガネ
第1話で鉄平と兄・進平(斎藤工)がサイダーを飲んでいた場所。防波堤にある穴で、古い時代の桟橋の出入口。穴越しに隣の島を見ると錯視効果で拡大して見えることからそう呼ばれた。戦後はゴミ捨て場と化し、該当シーンをよく見ると後ろでゴミが投げ捨てられている様子も映っている。そのため周辺の海の衛生状態は非常に悪かったのだが、多くの人が気にせず泳ぎ、感染症にかかることもあった。
◆日給社宅
島内でも特に古い住宅である日給社宅。炭鉱員とその家族が住む建物で、当時の炭鉱員が日給月給制だったことが名前の由来となっている。日本初の9階建ての鉄筋コンクリート造高層住宅なのだが、現代の建物とは違い柱と床だけがコンクリートで造られており、中は全て木造。各部屋の間にコンクリートの壁はなく、全255戸の部屋を区切る壁は、“こまい壁塗り(竹や木を組んだ小舞下地に、自然の色土や漆喰などの上塗りをして、仕上げた壁)”という造りだった。思いきり叩くと穴が開いてしまうほどの強度で防音効果も一切ないため、生活音は筒抜け状態だ。
第1話で鷹羽鉱業の勤労課外勤となった鉄平は、炭鉱員の父・一平ら家族で暮らしていたこの日給社宅を出て、職員社宅で暮らし始めた。
◆勤労課外勤
鉄平が鷹羽鉱業で就いた職種。主な業務は、住宅棟エリアに常駐し、主に炭鉱員家族の管理を行うこと。特に、炭鉱員の出欠勤を管理して無断欠勤を防ぎ、出勤率を上げるのは重要な仕事の一つだった。
また、職場のみならず生活面のサポートも行い、炭鉱員家族が安心して満足できる日常生活を送れるように生活環境を整えるのも外勤の仕事だったのだ。
さらに、島内を巡回して異常や不審者をチェックし、事故や犯罪を未然に防ぐのも外勤の役割。炭鉱員同士の喧嘩なども、そのほとんどは警察沙汰になる前に外勤が仲裁して収めていた。
◆端島弁
劇中では方言が混じったようなセリフも印象的。鉄平が説明していたとおり、端島には九州を中心に各地方からさまざまな人が集っていた。“ちゃんぽん”のように各地の言葉が混ざり合い、お互いが話すうちに少しずつ変化していったため、具体的に「これが端島弁」というものはないのだそうだ。
ちなみに、第1話で朝子と鉄平の幼馴染・百合子(土屋太鳳)が言っていた「やぐらしか」には、「面倒くさい」「うるさい」などの意味がある。
◆一島一家
島に住む人々全員が1つの企業のために働く特殊な環境。だからこそ島民には強い連帯感があり、支え合いながら懸命に暮らしていた。それゆえに島内で起きた事件はもちろん、色恋沙汰などのプライベートな噂話もすぐに広まったという逸話がある。
日本の発展に大きく貢献した石炭。地底の闇を切り拓きながら、それを産出し続けた端島。鉄平が愛したそんな端島での生活は、ホストの玲央(神木隆之介)が暮らす現代・東京の生活とは少々かけ離れている。島の歴史や背景、そこで暮らしていた人々の生活を知ることで、より一層物語に没入することができるだろう。
そんな端島での暮らしは一体どんなものだったのだろうか。“端島の伝道師”として活動し、本作の監修を手掛ける黒沢永紀氏の解説も交えて深掘りしてみよう。
――知っておきたい端島ならではの文化と社会構造
端島の社会は、人々が自然と集まって作り上げられたものとは違い、企業が炭鉱経営のために土地や人員、建物などを管理する特殊なものだった。島の面積は現代のJR新宿駅ほどで、その中に、小中学校、病院、郵便局、食堂、床屋、購買部、ビリヤード、映画館、派出所などの都市機能が凝縮されていた。
劇中の端島も「鷹羽鉱業」という会社の所有物。神木隆之介演じる鉄平が書いていた図のように職種によって住む場所や待遇などが異なっており、黒沢氏は「その構図はまるで、一国の縮図のよう」と語る。
島の一番上に住む炭鉱長に対して、炭鉱夫で鉄平の父・一平(國村隼)が上を見上げながら放った「あんなよ、人気取りして見せたって、所詮は上っ面よ。同じ空気が吸えるかってんだ」というセリフから取れるように、島民の階層は住む場所の高さにも比例していた。
島の上のほうに住むのは、3、4年ほどで入れ替わる鷹羽鉱業の「職員」や、社立病院の先生など。そして、その下には島民の約8割を占める「炭鉱員」とその家族、末端には食堂や個人商店を営む「社外者」がいる。
島全体が企業の私有地だったため、全ての住居は社宅や寮。炭鉱業で高収入が担保され、生活費も安くあがっていたことで、島民たちは豊かな生活をおくることができた。最先端の電化製品の普及は東京よりもはるかに早かった。一方で、「社外者」は会社の福利厚生を受けられなかったため、その生活は「職員」や「炭鉱員」らほど裕福ではなかったといわれている。
――キーワードでひも解く端島…主人公が従事する“外勤”の仕事内容
ここからは、特殊な環境で暮らしていた鉄平たちの暮らしをひも解くために、劇中に登場した場所やワードを、実際の端島とリンクさせながら振り返ってみよう。
◆ドルフィン桟橋
端島には数々の“日本初”がある。第1話冒頭で帰島した鉄平や幼馴染・賢将(清水尋也)などをはじめ、訪れる人々が最初に降り立つ島の入り口・ドルフィン桟橋もその1つ。防波堤などがない沖合に杭を打ち込んで作られた係留施設で、波や潮の干満に合わせてタラップが上下する構造を兼ね備えている。本来はタンカーが石油の荷役を行うために使われることが多い技術だが、防波堤のない端島では、人間が乗り降りするときにも使えるのではないかという発想で造られた。ちなみに、初代と2代目は台風で流され、3代目が閉山まで活躍した。端島に現存する桟橋の躯体は3代目だが、観光上陸のために改造したもので、当時の姿は残っていない。黒沢氏曰く、日本全国どこを探しても、この方式で人が船を乗り降りしたのは端島だけなのだという。
◆銀座食堂
杉咲花演じる鉄平の幼馴染・朝子が働く「銀座食堂」は、端島に実存した「厚生食堂」がモデルとなっている。劇中の鷹羽鉱業のように、1950年代当時に端島を所有していた企業の福利厚生施設としてできた食堂で、戦後「社外者」に委託されたが、慣れ親しまれた屋号はそのまま残すことになった。
家庭のある人たちは基本的に自宅でご飯を食べていたため、単身の炭鉱員が訪れることが多かった。ちゃんぽんやうどんをはじめ、親子丼、豚丼、パンやかき氷まで提供し、幅広く島民の食生活に貢献していた。
◆島唯一の寺
第1話で端島を訪れた謎の歌手・リナ(池田エライザ)が身を寄せることになった寺。彼女や職員クラブの管理人・町子(映美くらら)が下宿している寺は、「泉福寺」がモデル。寺は劇中同様に独身女性のための寮になっていて、当時の様子がわかる写真も残されている。
◆端島銀座&宮ノ下階段
島のメインストリート。青空市場が開かれ、対岸の野母半島高浜から農民が行商に訪れていた。同場所に位置し、劇中でも象徴的な、長く急勾配な宮ノ下階段は上るのが大変だったため、当時の島民たちから「地獄段」と呼ばれていた場所をモデルにしている。最頂部まで登ると「端島神社」にたどり着く。
◆昭和館
島の映画館。映画のフィルムは福岡から直送されていたため、長崎市内よりも早く上映されることが多かった。端島の有名な逸話の中には、人を降ろす船が天候の関係で着岸できなかった際にも、映画のフィルムだけはクレーンで引き渡すなんてこともあったそう。それだけ島民にとっては大切な娯楽の1つだったのだ。また、昭和館は映画の上映だけではなく、演劇やコンサートなど多目的に使われていた。
◆メガネ
第1話で鉄平と兄・進平(斎藤工)がサイダーを飲んでいた場所。防波堤にある穴で、古い時代の桟橋の出入口。穴越しに隣の島を見ると錯視効果で拡大して見えることからそう呼ばれた。戦後はゴミ捨て場と化し、該当シーンをよく見ると後ろでゴミが投げ捨てられている様子も映っている。そのため周辺の海の衛生状態は非常に悪かったのだが、多くの人が気にせず泳ぎ、感染症にかかることもあった。
◆日給社宅
島内でも特に古い住宅である日給社宅。炭鉱員とその家族が住む建物で、当時の炭鉱員が日給月給制だったことが名前の由来となっている。日本初の9階建ての鉄筋コンクリート造高層住宅なのだが、現代の建物とは違い柱と床だけがコンクリートで造られており、中は全て木造。各部屋の間にコンクリートの壁はなく、全255戸の部屋を区切る壁は、“こまい壁塗り(竹や木を組んだ小舞下地に、自然の色土や漆喰などの上塗りをして、仕上げた壁)”という造りだった。思いきり叩くと穴が開いてしまうほどの強度で防音効果も一切ないため、生活音は筒抜け状態だ。
第1話で鷹羽鉱業の勤労課外勤となった鉄平は、炭鉱員の父・一平ら家族で暮らしていたこの日給社宅を出て、職員社宅で暮らし始めた。
◆勤労課外勤
鉄平が鷹羽鉱業で就いた職種。主な業務は、住宅棟エリアに常駐し、主に炭鉱員家族の管理を行うこと。特に、炭鉱員の出欠勤を管理して無断欠勤を防ぎ、出勤率を上げるのは重要な仕事の一つだった。
また、職場のみならず生活面のサポートも行い、炭鉱員家族が安心して満足できる日常生活を送れるように生活環境を整えるのも外勤の仕事だったのだ。
さらに、島内を巡回して異常や不審者をチェックし、事故や犯罪を未然に防ぐのも外勤の役割。炭鉱員同士の喧嘩なども、そのほとんどは警察沙汰になる前に外勤が仲裁して収めていた。
◆端島弁
劇中では方言が混じったようなセリフも印象的。鉄平が説明していたとおり、端島には九州を中心に各地方からさまざまな人が集っていた。“ちゃんぽん”のように各地の言葉が混ざり合い、お互いが話すうちに少しずつ変化していったため、具体的に「これが端島弁」というものはないのだそうだ。
ちなみに、第1話で朝子と鉄平の幼馴染・百合子(土屋太鳳)が言っていた「やぐらしか」には、「面倒くさい」「うるさい」などの意味がある。
◆一島一家
島に住む人々全員が1つの企業のために働く特殊な環境。だからこそ島民には強い連帯感があり、支え合いながら懸命に暮らしていた。それゆえに島内で起きた事件はもちろん、色恋沙汰などのプライベートな噂話もすぐに広まったという逸話がある。
日本の発展に大きく貢献した石炭。地底の闇を切り拓きながら、それを産出し続けた端島。鉄平が愛したそんな端島での生活は、ホストの玲央(神木隆之介)が暮らす現代・東京の生活とは少々かけ離れている。島の歴史や背景、そこで暮らしていた人々の生活を知ることで、より一層物語に没入することができるだろう。