高齢化率日本一の群馬県南牧村。かつてはこんにゃく芋の生産で栄えた豊かな村だった(記者撮影)

長かった残暑が影を潜め、少し肌寒くなり始めた10月10日。東京都内から車を走らせること数時間、午前10時頃に群馬県南西部にある南牧村(なんもくむら)の特別養護老人ホーム「かのか」に着いた。最寄りの上信電鉄・下仁田駅(群馬県下仁田町)から車で10分ほどの距離だ。

直前に立ち寄った下仁田駅では、南牧村と下仁田町を結ぶコミュニティバスを見かけた。山間部に位置する南牧村内の医療機関やスーパーは限られている。村出身の男性運転手(62)によると、運行頻度は1時間に1本ほどだが、車を運転できない高齢者にとっては地域の重要な足になっている。


群馬県南牧村の特別養護老人ホーム「かのか」(記者撮影)

2018年に開設されたかのかは、隣接する軽費老人ホーム「いこい」(2016年開設)とともに、村から委託を受けたNPO法人「MINNAなんもく」が運営する。施設長で同法人職員の市川淳さん(38)が、出迎えてくれた。村出身者の市川さんは高校卒業後に上京し、家族の介護のために2019年に帰村した「Uターン組」だ。

市川さんの小中学校時代の同級生は13人。そのまま村に残った同級生はほとんどおらず、いったん県内の高崎市や富岡市、東京に出る人が多かったという。「都会に憧れがあったし、やりたいことの選択肢が村には少なかった」(市川さん)。

「消滅可能性自治体」ワースト1位を維持

施設の玄関前で話していると、建物の窓越しに、ベッドに寝ている高齢女性の姿が数人目に入った。21床を擁するかのかは現在19床が埋まっており、歩行困難だったり、認知症が進んでいたりする90代が入居者の中心で、女性が多数を占める。


南牧村は、65歳以上が人口に占める「高齢化率」が7割弱に上り、「日本で最も高齢化が進む村」と言われる。人口減少も急速に進み、1955年には1万人を超えていた村の人口は1440人(今年9月現在)まで減少。2014年に民間団体「日本創成会議」が市町村別に将来の若年女性(20〜30歳代)の人口減少率を分析したところ、「消滅可能性自治体」として全国ワースト1位となり、2024年4月の同様の再検証でも同じく最下位だった。

村では、男性よりも平均寿命が長い女性の数が753人と、男性(687人、いずれも9月末時点)を大きく上回る。かのかでは、子どもが村外に出た世帯で夫と死別した女性が入居するケースが多く、毎年数人が施設で最期を迎えるという。

村には長期入所50人を定員とする「さわやかホーム」(1995年開設)も存在するが、高齢化が進む中で新たな老人ホームが必要とされていた。市川さんは「ここは、村にいる人のために作られた施設なんです。施設を運用することで職員が増え、村外の人が勤めたり、自分のように外から出戻ってきたりした人もいる」と説明する。かのかといこいでは35人程の職員が働いており、地域の有力な雇用創出先にもなっている。


市川さんは、NPOの一員として「地方創生」にも取り組む。10月1日に発足した石破茂新政権では、初代地方創生担当相も務めた石破首相の下、地方創生が肝煎り政策の1つになりそうだ。10月11日には自身が本部長を務める「新しい地方経済・生活環境創生本部」を設置。今後10年間で取り組む地方創生の基本的な考え方を年内にまとめる方針だ。

国内で最も過疎が進む地域は今、どのような課題に直面するのか。市川さんに、これから故郷の再生に何が必要かを尋ねると、「村とお金を稼ぐ手段が切り離されている。もう正直、どうしようもないと思うんですよね……」と言葉を詰まらせた。将来も村に残るかどうかについては、「戻ったときは親が亡くなったら出ていこうと思っていたが、こういう立場になったので、そのときにならないとわからない」。

夫婦で喫茶店運営する30代の移住者

市川さんから、地域おこし協力隊員を経て、村に移住した人がいると聞いた。施設の近くに建つ「村の喫茶店もくもく」という真新しい喫茶店に移動すると、傍でコーヒー豆を焙煎している男性を見つけた。奈良県生駒市出身の鰐渕元貴さん(31)だ。


群馬県南牧村で喫茶店を運営する鰐渕元貴さん(記者撮影)

2019年に協力隊員になってから夫婦で喫茶店運営を開始し、2022年に協力隊を卒業後も定住している。店は土日月の営業で、村外から訪れる客も多いという。鰐渕さんは「隊員募集の自由度が高く、(村側が)この喫茶店の建物を建て、運営する人を募集するタイミングだったので、南牧村でやってみようと思った」と振り返る。

地域おこし協力隊は、都市部から過疎地に移住した隊員が、地場産品の開発や農林水産業などに従事しながら、その地域への定住や定着を図る取り組みだ。2009年度から開始し、各自治体が隊員を任期付きの公務員として雇うなどしたうえで、活動経費などの一部を国が助成している。

鰐渕さんは「これまでの村の隊員は10人ほどだろうか。非常によい制度で、なければ私もこの村に来ることはなかった」と説明する。「地域のつながりが多く、人がいいのが一番」と村の魅力を語り、今後も住み続けるという鰐渕さんの存在は、村の移住促進政策が成功したケースと言えそうだ。

喫茶店を後にして、県道沿いにあった道の駅「オアシスなんもく」に立ち寄った。この施設もMINNAなんもくが運営し、現在10人ほどの職員が働いている。


県道沿いに立つ道の駅では、特産のこんにゃくなどを販売。地域の有力な雇用創出先でもある(記者撮影)

売店では数人の高齢者が買い物をしており、特産であるこんにゃくや野菜が売られていた。店内の会話が耳に入ってくる。

「最近、中学校と小学校が一緒になったんですよね」「そうなんですよ。村にまだ何とか学校が存続しているのは嬉しいんですけどね」

道の駅からほど近い場所に、「なんもく学園」という真新しい標識が立っていた。児童・生徒数が減った村立南牧小学校と南牧中学校が統合される形で、1〜9年生が所属する義務教育学校として今年4月にスタートした。現在の児童・生徒は合計20人にとどまる。

近づいてみると、学校の児童だろうか、校舎前に腰掛ける2人の子どもが目に入り、甲高い話し声だけが静かな構内に響いていた。

村長が語る「地方創生」の現在地

午後1時頃、村役場を訪問し、長谷川最定(さいじょう)村長(71)から話を聞いた。南牧村出身の長谷川村長は、村役場の職員を経て、2014年に村長選で初当選し、現在3期目だ。

長谷川村長によると、村は急傾斜地が多く、水はけのよい立地条件から、高度経済成長期まではこんにゃく芋の生産で高収益を上げた。しかし農業の機械化が進むと、こんにゃく芋の価格は下落。平地が少なく、交通の便も悪い土地柄もあって、他の農業への移行といった新産業創出や産業誘致もままならず、時代が進んだ。

高度成長期からすでに人口が減少していた南牧村は1990年頃には、高齢化率が現在の日本平均(29%)並みに達していた。長谷川村長は「国全体で高齢化が進む3倍、5倍のペースで進み、35年かけ高齢化率は70%近くになった」と説明する。

1999年から2010年まで続いた「平成の市町村合併」の際には、日本全国で小規模自治体の編入合併が進み、3200以上あった自治体は1700程度まで減少。南牧村でも隣接する下仁田町と合併の話が浮上したが、下仁田町側で反対運動が起こり、構想は頓挫した。

「下仁田にしてみたら、(規模が大きい)富岡市と合併するならいいけど、多くの貧乏人を抱えてどうするんだといったイメージになり、それで合併しなかったという経緯がある」(長谷川村長)。産業に恵まれなかった南牧村にとっては、「合併」という選択肢を得ることすら難しかったといえる。


群馬県南牧村の長谷川最定村長。村で生まれ育ち、10年前に村長に就任した。寺の住職も兼務している(記者撮影)

一方で合併しなかったぶん、高齢化率が他自治体よりも相対的に高まったとの見方もできる。当時編入合併された過疎地はその後、合併しなかった自治体に比べて人口減少が進む傾向にあったとも指摘されている。合併後に地域間の学校が統廃合し、役場も廃止されることで、地域の雇用が一気に萎んだからだ。

いったん「自治体」という立場を失うと、「周縁部」としてその存在は見えづらくなる。結果的に、南牧村が合併して「下仁田町南牧」になったほうが幸福だったかはわからない。

就任早々に「ワースト1位」と名指し

長谷川村長が就任したのは、2014年春だった。その後10年間は、国が推進した「地域創生」の時代と重なっている。就任からわずか約1週間後、「消滅可能性自治体」のワースト1位として名前が上がり、「びっくりはしないけど、『どうせ消滅しちゃうんだから』と諦めムードに拍車をかけてしまうようで残念だった」(長谷川村長)。

その後、国は自治体の地方創生を支援する交付金制度なども創設した。自治体が主体的に行う取り組みを国が後押しする立て付けで、村は交付金も活用し、移住者を増やす取り組みを進めた。長谷川村長は「大変な地方でも、若干かもしれないが創生のチャンスが出てきたのはよかった」と振り返る。

結果的に、現在は村外からの移住世帯が毎年数世帯誕生し、ゼロの年もあった出生数は年2〜3人に回復したという。

毎年60人程度が亡くなる南牧村でこの先人口減からの反転は考えにくいが、若年層の人口規模が極めて小さいぶん、こうした流入を地道に繰り返せば、15年後に人口は現在の半分程度の700〜800人で安定すると見込む。「最近移住した2人の女性がともに外で男性を見つけて結婚し、村で子どもが生まれている。微々たる数だが、少し明かりが見えてきた」(長谷川村長)。

とはいえ足元の人口減は止まらず、高齢者を支える行政サービスや人材を確保し続けられるか、課題は深刻さを増す。過去15年ほどで、村役場の正式な新卒採用はゼロ。かのかのような老人ホームも将来的な働き手不足が想定され、外国人労働者の雇用が求められる可能性もある。

地域社会そのものの存続も脅かされつつある。南牧村は小規模な行政区単位で自治が運営されているが、少し前まで60あった分区は、人口減や統合でいくつかなくなり、現在は55に減ったという。分区長を担える村民がいない集落もあり、長谷川村長は「区がないと祭り1つも行えない。コミュニティ崩壊が起き始めている」と将来を危惧する。

「ここもそのうち消滅する」

気が付くと、長谷川村長と面会して2時間半が経っていた。村役場を出た後、消滅したという「大入道区」に向かった。


村内にある消滅集落。廃墟と化した空き家が点在する(記者撮影)

村の奥へと入る県道から離れ、うねるような小道に入り、急峻な山道を登る。路傍にいくつかの建物が点在していたが、人の気配はなく廃墟と化し、放置され錆びついた車が目に入った。坂を上りきると、途切れた道の先に空き家が1軒。携帯電話に目を移すと、電波のアンテナが1本しか立っていなかった。

近接する「大倉区」でも、空き家が目立った。住民の黒澤義明さん(72)は、「大入道は何年か前に消滅したが、大倉区も人が減っている。去年、この家の旦那が亡くなり、角の家の人も亡くなったから、男はこの中で俺1人だけ。8軒あるが、ほとんど女性の1人暮らしだ」と集落を見渡す。女性の単身入居者が多いという話を聞いた、かのかでの記憶が甦った。


群馬県南牧村の大倉区に住む黒澤さん。実家がこんにゃく芋農家を営んでいたという(記者撮影)

黒澤さんは昨年まで群馬県安中市の会社で働き、過去にこんにゃく芋農家を営んでいた実家に住む。「ウチは親父がいなくて、お袋がひとり、こんなところで農業をやっていたんで、しょうがないから村に残って手伝ったが、百姓じゃ食べていけないからやめてしまった」

2人の子どもはいずれも離村し、孫とともに時折訪れてくれるのが楽しみという。車で村外に買い物や通院に出かけ、生活に不便は感じていないが、「今は大丈夫だけど、車に乗れなくなったら大変になる」と黒澤さん。「ここもそのうち、消滅しちゃうんじゃないかと思うよね」と寂しそうに笑った。

集落が消えゆく中、外からの移住者に小さな希望を見いだす――。「日本一高齢化が進む村」が直面する現状は、日本各地の過疎地で起きているはずだ。これから国は10年先の「地方創生」の姿をどう描くのか。地方の実情を踏まえた丁寧な議論が今、求められている。

(茶山 瞭 : 東洋経済 記者)