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 【関本 賢太郎氏(上) 球児にYELL】阪神・藤川新監督とゆかりのある人物が思い出を語るとともに、激励のメッセージを送る「球児にYELL」の第2回。新指揮官よりも2学年上で、若手時代にともに鳴尾浜で汗を流し、グラウンド外でも多くの時間を共有した関本賢太郎氏(46=本紙評論家)が、意外な第一印象や、趣味に興じる際に見せる横顔などを上下2回にわたって語った。

 阪神の世代交代が進んだと感じる藤川監督の誕生だ。セ・リーグ最年長の66歳の岡田前監督から44歳の新監督にチームのバトンが渡った。どんなチームに生まれ変わるかが、楽しみだ。

 藤川監督は98年ドラフト1位で阪神に入団した。私は96年のドラフト2位。ともに高卒入団で2年違い。今年でウエスタン・リーグ公式戦が最後となった鳴尾浜で、汗を流した間柄だ。

 第一印象で記憶に残るのは、のちに「火の玉」といわれたストレートではなく、カーブだった。「めっちゃいいカーブを投げるやん」というイメージが残っている。一級品の球だった。入団当初の寮生活では好き嫌いが多く、偏食気味だったことも覚えている。

 だが、2人とも、とんとん拍子でプロ人生を進んだわけじゃなかった。「いつになったら1軍でプレーできるのか」と厚い壁を感じていた。苦しい2軍時代だった。昇格、抹消を繰り返す選手を見て「なんで定着できないのか」「何が求められるのか」を考え、1軍で空きそうなポジションはどこかを探した。ウエスタン・リーグで対戦した広島やオリックスの投手が1軍で実績を挙げるようになると、それを物差しにして自分の打撃を工夫した。藤川監督も同じように、観察を続けていたはずだ。

 私がたどり着いたのは、バットを短く持って、ミートに徹する打撃。そして一時は戦力外、トレード要員だったという話もある藤川監督は、1イニングをしっかり抑え切ることで1軍ベンチへの道を切り開いた。原点への思いは監督になっても変わらないと思う。

 2軍からの叩き上げで、生存競争を勝ち抜いただけに、藤川監督は2軍に落とされるつらさ、一投一打で選手生命が一変する怖さといった選手心理に通じている。その独自の視点で、伸び悩む選手に生きる場所をイメージさせる監督になると期待している。同じドラフト1位入団の西純や森木が変わるきっかけをつかむ可能性を感じている。(スポニチ本紙評論家=(下)に続く)