中日ひと筋13年 「タジ魔神」田島慎二のプロ野球人生を振り返る

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田島の引退セレモニーは10月5日に開催予定だ(C)産経新聞社

 中日は9月16日、田島慎二が今季限りで引退する旨を発表した。入団以来、ドラゴンズひと筋で投げ抜いてきた右腕。中継ぎ・抑えでフル回転する姿に、ファンは親しみを込めて「タジ魔神」と呼んだ。今回は田島の13年間にわたるプロ野球人生を振り返ろう。

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■生粋の「名古屋っ子」が地元で躍動

 名古屋市天白区で生まれ育ち、中部大第一高〜東海学園大と生粋の「名古屋っ子」である田島。2011年秋のドラフトで地元球団の中日に3位指名されるや否や、込み上げる感情を抑えきれずに涙を流した。大学4年時に右肩痛を発症し、指名されるか不安だったそうだ。

 独特なスリークォーターから繰り出す快速球と、曲がりの大きなスライダー、打者の手前で消えるスプリットの3球種でプロの世界を渡り歩いてきた。キャリア中盤からは腕を下げて、サイドスロー気味に。直球のスピードは150キロを割るものの、その分制球力が増した。

 ルーキーイヤーから1軍で活躍。勝ちパターンの一員に入り、56試合登板で30ホールドを記録。防御率1.15と抜群の数字を残し、チームのCS進出に貢献した。以降も浮き沈みはありつつ、毎年のように40試合以上に登板。4年目の2015年にはキャリアハイとなる64試合に投げた。

 絶頂期は2016〜17年になるか。16年は開幕から31試合連続無失点のプロ野球記録を樹立。ファン投票でのオールスター選出も果たした。翌17年はクローザーとして34セーブを記録。「タジ魔神」と呼ばれたのもこの頃だ。

■キャリア後半は勤続疲労、故障と戦う

 キャリアの後半は勤続疲労と故障との戦いが主たるものになった。プロ入りからの6年間で334試合に登板。年平均で55試合以上投げている計算に。少年野球から捕手を務め、本格的に投手となったのは高3の時とはいえ、短い期間でたくさん腕を振り続けると少なからず代償は払うのだろう。

 2018年は春の侍ジャパン強化試合メンバーに選出。幸先の良い出だしだったが、公式戦では背信投球が続き、6月に新人の鈴木博志にクローザーを明け渡す事態に。15セーブを挙げるも、防御率7.22に終わった。

 翌年も低迷から脱せずにいると、コロナ禍に入った2020年に右肘のトミー・ジョン手術を決断。この年はキャリア初のシーズン登板なしとなった。もっともリハビリは順調にこなし、翌21年は春先から実戦復帰。夏場には1軍に上がり、2年ぶりのホールドと4年ぶりの勝利投手に輝いた。また、同年の9月7日には史上36人目の通算100ホールドを達成。復活を印象付けた。

■引退セレモニーは10月5日を予定

 この頃になると、中日のリリーフ陣はライデル・マルティネスを中心に、若い才能が勝ちパターンを占めていた。田島も勝負どころで打者1人を斬るストッパー的役割で存在感を示していたが、今季は登板機会がガクンと減少。交流戦明けの阪神戦で1回投げて、すぐに抹消されていた。

 9月16日、田島の今季限りの現役引退が発表された。球団を通してのコメントは下記の通り。

「13年間たくさんの方に支えていただきここまでこれました。球団からはセレモニーもしていただけるということで、最後バンテリンドームで元気な姿を皆様へお見せしたいです。13年間ありがとうございました」

 引退セレモニーは10月5日の本拠地最終シリーズ、DeNA戦で予定されている。願わくは通算462試合目のマウンド姿も見たいが、果たして。

[文:尾張はじめ]