ちょっぴり古めかしい店構えや、常連らしき人たちが吸い込まれていく「町の定食屋」。魅力を感じつつも、なんとなくためらってしまう…なんて経験もあるのはないでしょうか。「それはもったいない! 大人になった今だからこそわかる、定食屋の“愉しみ方”をぜひ体験してほしいですね」と話すのは、エッセイストの大平一枝さん。今回は大平さんに、最新刊についてのお話や、定食屋の魅力について伺いました。

人生の酸いと甘いを知り尽くす「定食屋」

台所のルポルタージュなど、食をとおして「ふつうの人の暮らし」を追うことも多い大平さん。味はもちろん、おいしさの奥にある店の歴史や店主たちの生きざままでを独自の視点でとらえていて、おなかもすきつつ、切なくほろ苦い気持ちにも。

「最初は、このご時世にいまだ存在し続ける、定食屋のあの値段が実現する理由を知りたかったんです。いったいどんなからくりがあるんだろうって。多くは、代々受け継いだ土地と店、いわゆる“持ち店”と家族経営だからギリギリ成り立っているのだと思われます。でも、それだけじゃ、決してない。皆さん毎日、愚直に体と手を動かしているからこそ、なんですよね。そう、本当に手間ひまかけて成り立たせているんです」(大平さん、以下同)

「とくに都内だったら、店舗ごと貸したり、なんだったら駐車場にした方が、ずっと安定して稼げてラクなはずなのに、あえてそれをせず、10円20円の値上げを悩みに悩んで決断する日々を送るという…結局はその“物語”においしさというか、お店の味がつながっていくと思うんです」

コロナ禍を経て、変わったもの、変わらないもの

最新刊『そこに定食屋があるかぎり』(扶桑社刊)は、最初に取材を始めてから出版に至るまでに5年近くの年月を費やしたといいます。

「コロナ禍があったことがいちばんの理由ですね。あの頃、営業時間の短縮や休業を迫られたりして、じっくり取材できる状況ではなかった店も多かったし、コロナ禍が過ぎたあと、もう一度話を聞きに行くと大きく変わってしまった店ありました。残念ながら閉めてしまった店もあって…。あの自粛期間に、大きなあおりをくらったのが定食屋だと思うんですね。薄利多売できず、かなり弱い存在だったというか。

そのなかでも、おいしさと満足感だけはなにがあっても変えられない、変えたくないという思いだけで、家族やスタッフ一丸となって乗り越えてきたのも定食屋だったんです。時間はかかりましたが、取材しながらたくさん学べて勇気をもらえたこと、記録に残せたことは幸せでした」

同書に掲載されているのは20数店舗とのこと。どうやって、「お気に入り」が定まっていったのでしょう?

「じつは、掲載までこぎつけたのがこの数というわけなんです。実際はこの4〜5倍くらいのお店に通いましたね。まずはネットではなく、まわりのうまいもの好きからリサーチすることから始めました。あとは、前から気になっていた店だとか。ひとりだったり、編集者と一緒だったり。あ、ここまではすべて自腹です(笑)。

そのうちに、“ここは間違いない”というのがなんとなくわかるようになってきたというか…。お店の理想に客を当てはめるのではなく、客に合わせて店がつくられていく。私が好きなお店は共通してそんな感じでした。そして、とにかく忙しいのも共通点。だから、ぜひ取材を、とお願いしても、忙しいからムリって断られてばかりなんですよ。“そりゃそうだ、仕方ないわ”と素直に納得したりして(笑)」

定食屋は大人の女性のアミューズメントパーク

取材が終わった今も、定食屋には足を運んでいるのでしょうか?

「もちろんです! 定期的に女性3、4人で“定食屋飲み”をしています。私たちの世代ってもう、毎日手の込んだ料理をいくつもつくる気力も体力もないじゃないですか。でも定食屋は、あの値段で煮物が3種類、ちょこっとずつ出てきたりもする。そして3枚におろしたアジフライがどーんとあって、シャキシャキに刻まれたキャベツや、ときにはホワイトアスパラガスが隠れているサラダが添えられていたりもする。なんてありがたいことかと。

旬のもの、温かいもの、冷たいもの、ほっとできるもの、そしてご飯もたっぷり食べてね、って、定食にはまさに『お母さん』の思いがつまっていますよね。今までは家族にその思いを伝えていた側の人たちが、今度はその思いを定食屋で思いっきり受け止めていいと思うんです。大人になった今、女性が改めて定食屋でおいしさと安さをかみしめる…。一緒にお店の歴史や愛情を感じながら、さらに味わい深く楽しむ。すてきだと思いませんか?」

私たちのために、今日もそこに定食屋はある。さあ、思いきってあの店のドアを開いてみましょう!