法服姿が様になっている(「虎に翼」公式Xより)

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 現在放送中のNHK連続テレビ小説『虎に翼』で伊藤沙莉が演じている主人公、猪爪寅子のモデルとなっているのは、日本初の女性裁判官、判事、裁判所所長となった三淵嘉子(1914〜84)。

 第68回放送では、寅子の恩師であり、1950年当時に最高裁判事となっていた穂高重親(小林薫)が、尊属殺人の重罰規定は合憲か違憲かの判断を迫られ、違憲と主張したことに触れる場面がある。

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 当時の刑法第200条には「自己又は配偶者の直系尊属を殺したる者は死刑又は無期懲役に処す」と定められていた。単なる殺人と異なり、血縁関係で上の世代にある者を殺害することは強盗殺人並の重罪であるとされていた。穂高はこの規定が憲法14条に定める「法の下の平等」に反していると主張したのである。

法服姿が様になっている(「虎に翼」公式Xより)

 穂高のモデルとなったのは民法を専門とする法学者、穂積重遠(1883〜1951)だ。彼は1950年10月、ある尊属傷害致死事件の最高裁判決において、尊属殺人の重罰規定は違憲とする少数意見を付しており、この判決文は現在も裁判所ホームページで閲覧することができる。

 この判決時は多数決によって合憲との判断が下ったが、それから23年後、最高裁(石田和外裁判長)は3件の親殺しに対し「尊属殺人の重罰規定は違憲」であるとの真逆の判決を下す。これは日本で初めて最高裁が法令に違憲判決を下した画期的な判決であり、多くの教科書に掲載されている。

 うち1件、栃木県で父親を殺害したとして尊属殺人に問われていた女性は、長らく実父から性暴力を受け、5人の子を産まされていた。
【高橋ユキ/ノンフィクションライター】【前後編の前編】

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異様な父娘の生活

 事件は1968年10月5日の夜、栃木県矢板市の市営住宅六畳間で起きた。身動きがままならないほどに酔い潰れていた53歳の父親を、当時29歳だった実の娘・A子が、枕元にあったももひきの紐で絞殺し、自首した。A子の取り調べが進むにつれ、殺人に至るまでの異様な父娘の生活が白日にさらされていった。

夜のくるのが怖い

 地獄の始まりはA子が中学2年、三学期のころ。A子は父親に乱暴された。供述調書にこうある。

《当時の家は二間で、私が四畳半の間に一人で寝ているとき、隣に母と寝ていた父が、夜中に私の寝床に入り込み無理に乱暴されてしまい、それが始まりで母の目を盗んでは一週間に一度、十日に一度くらいの割で乱暴され続けたのでした》(以下、《》内、供述調書)

 7人きょうだいの2番目として生まれたA子は、長女が早くに死んだため、事実上の長女として扱われていた。父親は職業を転々としており、一時は農業に従事していたこともあったが、A子が中学2年の頃は宇都宮市で、食料品、雑貨類の店を持っていた。翌年、父親は事業に失敗。家族で引っ越しをする。そのときA子は初めて、母親に苦しみを打ち明ける。しかし母親は夫の異常なふるまいを知っても《「どうりで私のところにこなくなったからおかしいと思っていた」といったまま特に怒りの表情を見せていない》という。

 A子による母親への告白をきっかけに、夫婦の間で諍いが繰り返されるようになった。喧嘩が始まると刃物を持ち出す父から逃れるため、母と子供たちは幾度となく家を逃げ出す日々を送る。それでも父親は、A子への乱暴をやめることはなかった。そしてA子が16歳になったころ、父親は再び事業に失敗。母親は実家の兄を頼り、A子の弟たちを連れて北海道へと転居してしまった。A子は鬼畜となった父親と、妹たちと、宇都宮市内を転々としながら生活する。望んでいたわけでもないのに妹たちの母親代わりとなってしまったA子に、父親は乱暴を続けた。

《父は毎晩酒を飲みましたが、泥酔したときでも一日に二度、ほろ酔のときは三度と交渉を要求するほどでした。酒を飲んで荒れている日など、夜のくるのが怖いほどでした》

夫婦のように父と

 A子が17歳になったとき、母親たちが北海道から戻ってきた。母親の実家の屋敷に掘立小屋を建て、家族全員での生活が再び始まったが、父の悪癖が止むことはなかった。酒を飲んではA子の体を求め、止めに入った母親と諍いが絶えない状態になった。そんななか、A子は父親の子を妊娠したのである。

 実の父親からの性暴力という耐えがたい苦しみのなかにあって、A子はこの当時、まだ抗う気力があった。掘立小屋に住んでいた時期、彼女は二度、脱出をはかったのだ。しかし半狂乱になって探す父に見つかり、連れ戻されてしまった。そのうえ父親は、母親の留守を見計らって、無理やりA子と妹のうちの一人を連れ、掘立小屋からの引っ越しを図る。引っ越し先は部屋がひとつしかなかったこともあり、父親から同じ布団で寝ることを強いられ《夫婦のように父と一緒に寝ていた》というA子はそれでも、また何度か家を飛び出したが、そのたびに父親から連れ戻された。やがてA子は長女を出産。17歳だった。

 子供が産まれたことにより《逃げても逃げきれないとあきらめてしまい、父のいう通りになっていました》と逃げる気力を失ったA子。惨劇の現場となる矢板市の市営住宅に移り住んだのち、立て続けに4人の子を出産。そのうち下の2人は産まれて間もなく死んだ。妹は中学を卒業すると千葉県の工場に就職し、父親とA子、その子供3人で市営住宅に暮らした。実態はいびつでありながら“夫婦と子供3人”の平凡な家族のように見えていた。

 どんなにあがいても、この生活からは逃れられない……そんなあきらめの境地に至っていたA子だったが、ふたたび、自分の人生を取り戻したいと思い直すようになる。印刷工場に勤め始めたことで生まれた、ある男性への恋心がきっかけだった。

 後編では、A子が実父を殺害するに至る経緯と事件の“その後”を記す。

※執筆に当たり、週刊サンケイ(1971.10.4、1973.4.27)のほか、週刊読売(1972.6.10)、週刊ポスト(1973.4.20、1973.6.22)、サンデー毎日(1973.4.22)、女性セブン(1988.1.1)の各誌を参考にしました。

高橋ユキ(たかはし・ゆき)
ノンフィクションライター。福岡県出身。2006年『霞っ子クラブ 娘たちの裁判傍聴記』でデビュー。裁判傍聴を中心に事件記事を執筆。著書に『木嶋佳苗劇場』(共著)、『つけびの村 噂が5人を殺したのか?』、『逃げるが勝ち 脱走犯たちの告白』など。

デイリー新潮編集部