●『めざましどようび』で「気圧予報をちゃんとやりたい」

今年4月に入社した新人ながら、その落ち着きと貫禄で画面に登場するたびに視聴者を驚かせ、20〜21日に放送された『FNS27時間テレビ』グランドフィナーレの提供読みでもトップバッターの責任を無事果たしたフジテレビの上垣皓太朗アナウンサー。

入社1週間後の特番収録で明石家さんまに「15年目?」とイジられ、先輩アナウンサーたちにも「局長!」と愛されているが、今回ロングインタビューを試みると、見た目のインパクトだけに終わらない好奇心と行動力の持ち主であることが伝わってきた。

初めてのレギュラー番組『めざましどようび』(毎週土曜6:00〜)で担当するお天気キャスターに懸ける思いや、アナウンサー志望に導かれていった幼少期から学生時代、そして今後の目標に至るまで、たっぷりと話を聞いた――。

フジテレビ新人の上垣皓太朗アナウンサー


○『27時間テレビ』で提供読み「感謝の気持ちをもって」

――初めてのレギュラーが『めざましどようび』のお天気キャスターということですが、新人の男性アナウンサーとしては異例の起用だと思います。この話を聞いたときは、いかがでしたか?

予想だにしないところからのオファーで、本当にびっくりしました。でも喜びが大きくて、もちろん自分が毎週お天気をお伝えする中で気象災害のことを学んでいけるということもあるのですが、「お天気キャスター」であれば、いつでも局内の気象センターに行って、気象予報士さんに話を聞けると思ったんです。土曜日だけではなく、平日に行って「すみません、これちょっと教えてほしいのですが…」と聞けるのは、すごくいいなと。

なので以前、平日の『めざましテレビ』に見学に行ったときに、天達(武史)さんが朝5時からスタンバイしてらっしゃるので、気象センターに行って「これからいろいろお話を伺わせてください」とご挨拶させてもらいました。

――防災士の資格をお持ちだということですが、お天気キャスターはそれが生きますよね。

大学時代、愛媛県西予市の野村という町で行われた「全国高校生まちづくりサミット」の運営協力をさせてもらったのですが、その年のテーマが防災だったんです。野村は、2018年の西日本豪雨で大きな被害を受けた地域だったので、この協力をするのであれば、自分もしっかり知識を持っておかないとダメだと思って、この資格を取得しました。

『めざましどようび』の初めての担当日が7月6日だったのですが、西日本豪雨からちょうど6年の節目に重なり、めぐり合わせも感じました。

――初めての生放送はいかがでしたか?

西山(喜久恵)さん、生田竜聖さん、 阿部華也子さん、大川立樹さんに、スタッフの皆さんも温かく迎え入れてくださって、穏やかさがある番組だと思うので、ここに入れて良かったなと思いました。

あと、自分の反省なのですが、初回の放送を見返してみたら、ちょっと読みを流しているところがあり、反省しました。テレビでは『めざど』がやり始めた6時台の気圧予報をちゃんとやりたいという気持ちがあるんです。世の中タフな人ばかりではなく、気圧の変化で体調を崩しやすい人がたくさんいると思うので、その中で生活と戦っている人にこそ情報を届けたいという気持ちがあるのですが、まずはその場に合わせるので精いっぱいだったので。

――とても落ち着いて伝えているように見えましたが、志が高いですね。反響はいかがでしたか?

視聴者センターやホームページに届いた声が確認できるのですが、好意的な声をいただいているようなので、ホッとしました。自分にできる仕事をこれからもしていけたらいいなと思います。

――アナウンス室の先輩からは何か言われましたか?

実はその前日が歓送迎会で、皆さん3次会まで盛り上がっていたそうなので、朝の6時は誰も起きていないという話を聞きましたが(笑)、みなさん録画を見てくださって、「落ち着いてたよ」と言っていただけました。



――昨日は『FNS27時間テレビ』フィナーレの提供読みという大舞台を経験されました。本番はいかがでしたか?

緊張しましたが、提供してくださった会社に感謝の気持ちをもって読み上げました。特に今年の会場は、ダンス企画「カギダンススタジアム」のために集まった高校生の皆さんのボルテージが最高潮に達していました。伝統の『FNS27時間テレビ』の熱気に包まれて、改めてフジテレビに入社したことを強く実感する機会となりました。

●フジ男性アナの系統に入っていないと思っていた



――アナウンサーを目指したきっかけは、何だったのですか?

いろんな経緯があって、どの部分からお話ししたらいいのか迷ってしまうのですが…。一番さかのぼると、家に一枚のCDがあったんです。それは『JET STREAM』(TOKYO FM)のイージーリスニングを集めたもので、母親がよく聴かせてくれたのですが、僕はその曲ではなく間に挟まる城達也さんのナレーションのほうが気になっていたんです。小学1年生くらいの時なのですが、それが心をとらえて離さなくなってしまって、声で伝えるってすごく面白いなと思ったのを覚えています。

――「夜の静寂(しじま)の、なんと饒舌なことでしょうか」というフレーズで有名ですが、小学1年生で意味は理解していたのですか?

意味は分かってないのですが、素敵だということは何となく分かっていた感じです(笑)。そのものまねをやったりしていたのが、最初のきっかけだったと思います。

それから小学校高学年になると東日本大震災があって、同じ年に紀伊半島の大水害があったんです。もともとテレビが好きでよく見ていたのですが、テレビを見る中で災害報道を見る時間が多くなって、そこでアナウンサーが目の前に出てきてしゃべるという機会がすごく増えました。この頃は、アナウンサーが起きたことを伝えるだけでなく、命を守るための呼びかけもするという役割になりつつあるときで、「尊敬できる大人って、こういう人たちのことを言うのかもしれない」という気持ちとつながって、すごく意識するようになりました。

――趣味に「AMラジオを聴く」とありますが、やはりラジオとの出会いも大きかったですか?

そうですね。高校生の時、たまたまNHKの『ごごラジ!』という神門光太朗アナウンサーがやってらっしゃった番組を聴いて、投稿を送ってみたら、生放送中に電話がかかったのですが、それが取れなかったんです。

――「5コールの間に出てください」みたいなやつですね。

はい。その時に神門アナウンサーが放送中に留守電を残してくれていたのですが、取り逃したもったいなさもあって、しばらく聴かないと気が済まなくなってしまって(笑)。それから他の番組も聴いていくうちに、ラジオはアナウンサーの人格がすごく前面に出てくるのが面白いなと思って、自分は話すことも言葉も好きですし、これはもうアナウンサーの採用試験を受けることになるんだろうなと思ったんです。

――運命を感じたと。

そうですね。それで自分の中でやりたいこととして、防災報道、ラジオ、競馬実況の3つの柱があって、どれかができる局に行きたいという気持ちがあったので、競馬中継のあるフジテレビに採用していただけて、すごくうれしかったです。

――競馬実況にも興味があったんですね。

大学生の時、2021年のエリザベス女王杯を見ていたら、人気薄だったアカイイトという牝馬が予想に反して勝ったんです。そのときに、カンテレの岡安(譲)アナが「これは運命の赤い糸」とドラマチックな実況をされていて話題になったのですが、競技としての魅力が実況でさらに引き立つというのを感じて、もし自分がアナウンサーになったら絶対やりたいなと思いました。

――いろんな経緯からアナウンサーになりたい思いがどんどん募っていったのが伝わってきますが、それだけに内定の連絡がきた時は、喜びもひとしおだったのではないでしょうか。

まずは本当にびっくりしました。正直、「フジテレビには受からんやろ」と思っていたので。

――それはなぜですか?

やっぱりフジテレビの男性アナウンサーの何となくの系統があると思っていました。自分はその中に入っていないだろうから、一つの場数として経験を積ませてもらって、カメラテストまで行かせてもらえたらうれしいなという気持ちでした。

『お台場冒険王』で和太鼓パフォーマンスを披露(右は椿原慶子アナ)

○研修中に大失敗「非常に反省しています」

――入社わずか1週間で、さんまさんの特番『FNS明石家さんまの推しアナGP』の収録に参加されて、見事グランプリに輝きました(笑)

もう緊張というか、何をやっていいのか分からない場でした(笑)。「自己紹介してね」と言われていたものの、見学するつもりで行ったのですが、最終的にトロフィーを持っていて(笑)。自分が何をしたのかも覚えてなくて、完全に浮き足立っていました。

――反響も大きかったのではいでしょうか。

いろんな人から電話が来たりしました(笑)

――あの番組をきっかけに、YouTubeやインスタグラムの内容がネットニュースに取り上げられるようになりましたが、ご覧になってますか?

あんまり積極的には見ていないのですが、友達から「こんなの出てたよ」と送られてくるので、どうしても見ちゃいますよね。戸惑っていますが、ちょっとうれしい気持ちもあります。

――以前、佐々木恭子部長に、上垣さんの研修期間中での失敗談を伺いました(笑)。ぜひその話を詳しく伺いたいです。

とても恥ずかしいのですが、佐々木部長との入社後初めての個別面談があったんです。自分がやりたい仕事や悩みなども聞いていただける大事な面談なのですが、「外郎売り」(※)に熱中してすっぽかすという、社会人としてあるまじきミスを犯してしまいました…。

その日は系列局のアナウンサーと一緒の研修が始まる日で、全国からたくさん同期が来ているので、「朝から発声練習しよう!」とやっていたのですが、やはり「外郎売り」はものすごく引き込まれるところがあるわけなんです。それで夢中になってやっていたところに、気づいたら佐々木部長が来て「上垣くん?」と…。これは非常に反省しています。

(※)…滑舌練習によく使われる口上

●教職課程の経験が生きる「入念な準備」

――資格の一覧を見ると教員免許もお持ちなんですね。

大学に入って最初のガイダンスで教職課程に入るかどうか決めるように言われて、一応行ってみるかという感覚だったのですが、そこにいた大阪弁の教授に「教職課程はとにかくおもろいよ」と言われて、まずその人にすごく興味が出てしまって。それで実際に入ってみたら面白かったんです。「地域に出ていきなさい」と言われて、いろんな学校にお邪魔して子どもたちと交流して、素敵なお仕事だと思いました。その時はアナウンサーを目指していたのですが、教職免許も取っておいて、選択肢を増やそうと思ったんです。

――対象は子どもたちですが、「伝える」という点で、アナウンサーの仕事と通じるのではないかと思います。教職課程の経験が生きると思うことはありますか?

絶対に生きると思います。例えば、授業一つにしてもどれだけ準備するかが大事で、先生方がみんな授業作りに魂を込めてらっしゃったんです。遠足でも一度下見に行って、雨の時の行程はどうするか、トイレはどこにあるのか、浜でこの時間になったらお調子者がはしゃぎ始めて、注意しに行ったらクラスが盛り上がって先生を海に落とすから、海パンの替えを1枚持っていく…というところまで計算するんですよ。

そしてアナウンサーは、1つ1つのOAに対して入念に準備をするんです。『めざましどようび』では週末の天気がどうなるのかというのはもちろん、ロケも行かせてもらえるので、会議で場所が決まり次第すぐにできる下調べをして臨んでいます。

○アナウンサーはどんなこととも結び付けられる仕事

――プロフィールを拝見すると他にも気になる資格があるのですが、「酒類販売管理者」というのは?

これも西日本豪雨の被災地とつながりがあって、地域のシンボル的な酒蔵が水害を受けて廃業せざるを得なくなってしまったので、そこの日本酒を大学で売って、売上を復興支援に回すという活動をすることになったんです。それで、自分で売れるように取得しました。

――どんなところで売ったのですか?

居酒屋に売り込みにも行きましたが、大阪の百貨店では店頭販売をしました。そこで被災地のことを知ってもらって「応援するよ」と言われることもあるのですが、なかなか足を止めてくれる人がいなかったので、「自分の前を横切られる10秒の間に、何と言ったら心をつかめるだろうか」といろいろ考えるんです。「珍しく学生が売ってることをアピールしよう」とか、「“愛媛”と言ったら愛媛出身の人が食いついてくれるかも」とか、何とか人に引っかかるポイントはないかなと。

――その経験もアナウンサーに生きますよね。

そうなんです。自分が興味を持っているものだから、図らずもつながっているのかなと思います。それと、おそらくアナウンサーという仕事は、どんなこととも結び付けることができるのではないかと思っているんです。新しいことを知りに行って、それを仕事の中に取り込んでいければと思っています。

●河田町旧社屋周辺を歩いて高低差を楽しむ

――「高低差のある地形を偏愛しているので、1年目のあいだに、東京・河田町のフジテレビ旧局舎跡地周辺を歩いてみたいものです」とコメントされていましたが、これは実行されましたか?

はい。曙橋駅と若松河田駅の間でおそらく10mかそれ以上の高低差があるのですが、その間の斜面の上にかつてのフジテレビ社屋があったんです。そこから、「これはやはり電波を出すから丘の上に作ったんだろうか」とか、推測するんです。「他の局はどうだったっけ?」とか、いろいろ考えるのが面白くて。

――お天気キャスターをやる上でも、地形を知って大雨の時に水が溜まりやすいところなどを把握しておくのは役立ちますよね。

間違いないですね。いろいろ調べていくと、東京の地形は面白いなと思いました。

――高低差を偏愛していると、お台場は面白くないのでは?(笑)

いや…(笑)。でも、ここが埋め立てられてからの変遷などを考えだすと、いろいろ歴史があって面白いんですよ。

――高低差が好きで、二級小型船舶免許もお持ちだというのを聞いて、タモリさんとの共通点も感じますが、目標とされるアナウンサーは、どなたになりますか?

青嶋達也さんです。最近、「何を話すか」以前に「何を見ているか」が大事だとすごく思っていて、こと実況となると、基本的には見たものについてしか話すことはできないので、同じ場所から見ても、実際に目に入っていないと伝えられないんです。例えば競馬で「ブロードアピールが差してきた」と言うには、後方まで見てないといけない。そういう意味で、青嶋さんは“見るプロ”でいらっしゃると思うので、ゆくゆくはいろんなことを教えていただけたらと思います。

(左から)上垣アナと、同期の宮本真綾アナ、高崎春アナ、梶谷直史アナ=『お台場冒険王』オープニングセレモニーにて

○「この人たちに向けて伝えているんだ」という気持ちを込めて

――いろいろ興味深いお話を聞かせていただき、ありがとうございました。最後に月並みではございますが、抱負をお願いします。

傑出したアナウンサーになりたいという気持ちはそんなにないんです。自分の素直な気持ちとしては、地域に出ていきたいというのがすごくあります。人が生活をする場は地域であると信じているので、全国に向けて何となくお伝えするのではなく、“この人たちに向けて伝えているんだ”という気持ちを込めていきたいと思っています。そういう意味で、「東京のローカルアナウンサー」になりたいと考えているので、そのためにもいっぱいいろんなことを知っていきたいと思います。

――『めざましどようび』で担当する、天気や季節に関する現場からリポートする「新人上垣アナの実況してみた!」は、その目標に向けてうってつけのコーナーですね。

そうなんです。このコーナーでも地域のことをいろいろ知ることができると思うので、積み重ねていけたらいいなと思っています。

――いろんなことに興味を持って、実行する行動力を感じるので、今後またインタビューする機会があった時に、どんなテーマでお話を伺えるのか楽しみです。ちなみに、先輩のヤマケン(山本賢太)アナへの初めてのインタビューは『ぽかぽか』について、2回目は筋肉美のお話でした。

ヤマケンさんがいらっしゃるおかげで、僕ら後輩は「ここまで枠にとらわれないで自由にやっていいんだ」という気持ちになれるので、とてもありがたいです。

――先輩も立てて素晴らしい…。それでは、今後のご活躍をお祈りしています。

ありがとうございます。同期の3人も、一人ひとりめちゃくちゃ面白いので、ぜひよろしくお願いします!



●上垣皓太朗2001年生まれ、兵庫県出身。大阪大学文学部卒業後、24年にフジテレビジョン入社。趣味は銭湯で長風呂、AMラジオを聴く、歌ネタ漫才のカバー。特技は地形図を見ながら街を歩く、テストづくり(架空の学校を想定して)。教員免許(高校地理歴史・高校国語・中学国語)、防災士、二級小型船舶免許、酒類販売管理者などの資格を持つ。モットーは「かかわらなければ路傍の人」(塔和子さん)