田村瑠奈被告(小学校の卒業アルバムより)

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 デイリー新潮は7月2日、「父親が法廷で語った田村瑠奈被告の精神構造『死んだ瑠奈の身体をシンシアという人が借りている状態が10年以上続いていた』【ススキノ首切り裁判】」との記事を配信した。2023年7月に札幌市・ススキノのホテルで男性が殺害され、頭部を切断された事件では、同市の親子3人が逮捕された。

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 娘の田村瑠奈被告は男性を殺害、その頭部を自宅に持ち帰ったとされ、殺人や死体損壊、死体遺棄などの罪で起訴されている。

 父親の修被告は瑠奈被告の犯行を手伝ったとされ、殺人幇助罪などの罪で起訴。母親の浩子被告は死体遺棄幇助と死体損壊幇助の罪で起訴された。

田村瑠奈被告(小学校の卒業アルバムより)

 7月1日、浩子被告の第2回公判が札幌地裁で開かれ、修被告が弁護側の証人として出廷した。担当記者が言う。

「6月4日に開かれた初公判では、“瑠奈ファースト”と呼ばれる特異な家族関係が明らかになりました。瑠奈被告は怒りが爆発すると手が付けられなくなり、修被告と浩子被告は娘の言いなりになっていたのです。浩子被告が『私は奴隷です』という誓約書を娘に書かされた、ゴミを片付けただけでも怒られるので家がゴミ屋敷と化した──こうしたエピソードが法廷で紹介されました。新聞やテレビは“いびつな家族関係”、“異常すぎる親子関係”と詳報し、第2回公判に対する関心も高まっていたのです」

 修被告の証言を、デイリー新潮の記事を中心に振り返ってみよう。幼いころから瑠奈被告は《虫も殺さないような子》だったという。ところが中学生で不登校になってしまい、精神科を受診するようになった。

「追い詰めないかかわり」

 治療を受けても、「外出は可能だが、長期間の就労や就学はできない」という“社会的引きこもり”の状態は改善されなかった。瑠奈被告は次第に両親に暴言を吐き、暴力を振るうようになった。「王様」や「女王様」などと自称し、父親の修被告は「ドライバー」などと呼ぶようになった。

 弁護側が《奴隷のように扱われていたか?》と質問すると、修被告は《心がこれ以上壊れないようにしたくて、どのように接するのがいいか考えて行動していた。無理強いされたり、暴力で支配されていたわけではない》と答えた。

 さらに《両親で瑠奈を好き勝手させ、甘やかしていた?》との質問には、“瑠奈は死んだというゾンビ妄想”が出た18歳より前は《それなりにしつけていたつもり。言うべきことははっきり言ってきたつもり》と反論した。

 一方、ソンビ妄想が出てからは《自傷やオーバードーズなどを繰りかえすようになり、「これ以上生きていたくない、早くお迎えが来てほしい」と訴えるようになった。本人の精神状態が追い詰められると取り返しがつかない。追い詰めないかかわりをするのが望ましいと感じていた》と説明した。

 事件と関係のある証言では、修被告は娘が被害者と特殊な行為に及んでいることを把握していたことが明らかになった。

むしろ典型的な一家

 修被告は弁護側から当時の気持ちを訊かれ、《手放しで喜ばしくはないが、許容していた》と回答している。

《(瑠奈は)社会的に何も関心がなく、閉じ籠っていて、「こんなつまらない人生、早く終わらせたい」と言っていた。本人が社会と繋がりたいと思ったのであれば、こちらもしたいことを許容したいと思った》

 こうした家族関係を、テレビ局でさえ“いびつ”という表現を使って報じている。一般的な世論となると、被告一家に対して抱いた違和感は相当に強いようだ。

 Xを閲覧してみると、《家族3人が完全に崩壊してる》、《家族の行動が理解不能過ぎて色々追いつかない》、《一般的に考えても異常のオンパレード》──といった投稿が圧倒的に多い。

 精神科医で、昭和大学附属烏山病院の特任教授を務める岩波明氏は「被告一家を特異な存在と見なす傾向は報道にも世論にもありますが、こうした視点に違和感を持つ専門家や関係者は少なくないのではないでしょうか」と指摘する。

「猟奇的な殺人事件で、社会的なインパクトが非常に強かったという特殊な背景があります。裁判でも真相解明のため被告一家の家族関係に焦点が当てられ、特異な3人だという印象が強まってしまいました。しかし、そうした特別な要素を全て取り除き、純粋に家族関係の骨格だけを浮かび上がらせると、むしろ『引きこもりの子供がいる家族』の典型例ではないかと思います」

引きこもりの子供がいる家庭

 内閣府は2022年11月、引きこもりに関するアンケート調査を実施。翌23年の3月に「いわゆる“ひきこもり”の人は、15歳から64歳までの年齢層の2%余りにあたる推計146万人に上る」との結果を発表した。

 146万人の引きこもりが暮らす家庭の表面的な“かたち”はそれぞれだろうが、その骨格部分は被告一家と共通する点が多いという。

「修被告は裁判で『18歳より前はそれなりにしつけていた』と述べたようですが、これは引きこもりのいる家庭で多く見られるパターンです。我が子が小学生や中学生で不登校になると、父親や母親は何とかしようと努力を重ねます。カウンセリングを受けさせたり、精神科に通院させたりする。それが功を奏するケースもあれば、うまくいかないこともあります。改善が見られないまま子供が10代後半に成長すると、親の言うことを聞かないことが多くなります。『病院に行こう』と提案しても拒否されます。子供が親に罵詈雑言を浴びせたり、暴力を振るったりすることも珍しくありません。瑠奈被告の暴言や暴力の実態は裁判で明らかになりましたが、まさに典型例だと言えます」(同・岩波氏)

「私の首を絞めることが責任だ」

 北海道新聞は6月27日の朝刊に「瑠奈被告 精神科受診拒む*ススキノ殺人*事件5カ月前」との記事を掲載した。

 記事によると、瑠奈被告は不登校だった中学生のころに精神科医を受診。20代半ばまで通院していたが、担当医が病気になったことなどから約6年前に治療が途絶えたという。

 通院を再開させたい修被告は、治療に役立てようと瑠奈被告との会話を断続的に録音していた。それによると、昨年1月下旬に修被告が「なるべく早く診察してくれる病院を予約しよう」と提案したが、瑠奈被告は「囚人みたいに独房に突っ込めば、お払い箱になって楽になると思っているでしょ」と抵抗を示した。

 他にも精神状態が悪化した瑠奈被告が「私の首を絞めることが責任だ」などと強要し、修被告が「私は誰も殺しません。私にはできません」と拒否するやり取りが確認されているという。

 北海道新聞は録音を弁護側が注目していると報じ、その内容から《娘が自傷行為を繰り返す中、行為が激しくなるのを避けるため、両親が暴言や暴力に耐えざるを得ない状況が長期に及んでいた》と法廷で主張する可能性を伝えた。

「医師として診察にあたっていると、引きこもりの子供が暴力や暴言で親を支配しようとするケースは、よくみかけます。子供の支配に服従する親は珍しくありません。私の診た患者さんでは、親に自分で指定した精神科へ連れて行くよう強要。診察が始まると、これまでの病院や医師の悪口を並べ立てる。診察が成り立ちませんので、“ドクターショッピング”を繰り返し、その結果として患者さんは全国の病院を回っていました。そして診察の際、病院や医師の文句を言うのは患者さんである子供だけでなく、親も一緒になって文句を言っていました」(同・岩波氏)

「首。拾った」

 いわば“子供に取り込まれてしまう”親は珍しくないというのだ。その一方、子供の家庭内暴力に耐えられず、子供を見捨てる親も多いという。

「文字通り、親が子供を捨て、別の場所に逃げだしてしまうのです。何とかして、わが子と向かいあおうとする両親でも、わが子が引きこもりであるという事実から無力感に苛まされ、暴言や暴力を恐れて文字通り“腫れ物に触るよう”にして子供と接します。修被告の証言からも、そうした親の傾向が浮き彫りになっています。殺人事件という特別な事案が発生しなければ、瑠奈被告と修被告、浩子被告の日常生活は続いていたと思います。それこそ高齢の親が年を取った子供の世話をするという『8050』問題に直面しても全く不思議ではなかったのではないでしょうか」(同・岩波氏)

 第2回公判では、修被告が「私の手で警察に突き出すのは娘を裏切ることになる」と弁護士に答えたことも議論を呼んだ。

 昨年の7月2日、瑠奈被告は被害者を殺害した後、迎えに来た修被告と帰宅した。その際、瑠奈被告はキャリーケースから小ぶりの黒い袋を取り出し、修被告と浩子被告に「首。拾った」と言った。2人は「まさかね」と信じなかったという。

限られていた“打つ手”

 その後、遺体の一部が入った小瓶を見せられ、修被告は殺人事件が起きたことを確信。だが、通報はしなかったことを弁護士に質問されると、《すぐにでも娘は逮捕されると思っていた。私の手で突き出してしまえば、娘を裏切る、突き放すことになる。娘が抱えていた重荷を考えると、裏切る行為になると思ってできなかったすぐにでも逮捕されると思った。私の手で警察に突き出すのは娘を裏切ることになる》」と答えたのだ。

「これも修被告の“普通の父親”としての素顔が出た証言だと思います。我が子が人を殺めたとは分かっていても、心のどこかで否定したい気持ちがある。我が子が殺人者だと認めたくないのが本音でかばおうとする。修被告と同じ状況になればどんな人でも、彼と同じように警察への連絡をためらうのではないでしょうか」(同・岩波氏)

 警察に通報する以前の問題として、「娘の暴言や暴力がひどくなった時、何か手を打つべきだったのではないか」という意見は根強い。修被告は精神科医でもある。プロの知見を我が子に活かすことはできなかったのだろうか。

「それでは実際に瑠奈被告を入院させようと決断します。抑え込んで病院に連れて行こうとしましょう。瑠奈被告は女性ですが、成人した女性が本気で抵抗すると、やはり大変な力を発揮します。大の男が4〜5人は必要でしょう。しかも瑠奈被告の場合、解離性同一性障害(註:かつては多重人格と呼ばれていた症例)の可能性がありますが、この診断では強制入院を受け入れない病院が多いと思います。統合失調症の症状が顕著で、被害妄想から他者への攻撃性を公言しているような状況でなければ難しいでしょう。そういう意味では、修被告と浩子被告の“打つ手”も限られていました」(同・岩波氏)

20人クラスの意味

 この殺人事件から即効性のある“教訓”、“対策”を導き出すのは難しそうだ。迂遠な道かもしれないが、「教育現場の改善」が最も効果を発揮しそうだという。

「引きこもりになってしまった人は、学生の時に不登校を体験していることが多いことが分かっています。となれば、生徒が不登校になりにくい教育環境を整えれば、引きこもりの減少も期待できます。様々な専門家が今も研究を重ねていますが、20人クラスの実現を求める声が増えています。小規模のクラスは生徒の一人一人に先生の目が届くため、不登校の子供が減ることが明らかになっているのです。小規模のクラスであれば、悪質ないじめも減少すると考えられています」(同・岩波氏)

デイリー新潮編集部