人の欲求に最大限応え形作られた日本のラブホ

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筆者が東京都内で行った昭和のラブホテルの展示の様子(写真・那部亜弓)

先日まで東京・下北沢のとある飲食店で昭和のラブホテル写真の展示を行っていた。これまで訪れた350カ所のラブホテルから、心を揺さぶられた部屋をチョイス(ほぼすべて昭和時代のホテルになってしまった)、1面に30枚の写真をぎっしり詰めた。

割と最近に撮影したものも多いので、8割ぐらいは今も営業している部屋の写真だ。展示方法は、ラブホに入店すると、フロントでまず目に留まる料金が書かれた宿泊料金表をイメージさせたもの。

料金表のイメージに近づけるため、写真の下に部屋名と「休憩○円 宿泊○円」の記載も忘れない。展示の客層の年齢の幅は広く、50代以上の方はバブル時代の六本木での思い出や昔のラブホテルでの甘い記憶を語ってくれた。

「ベッドはなぜ丸いのか?」

若いカップルも多く訪れた。「ラブホにこんな部屋あるの!?」というのが、最も多く聞こえた声だった。「お2人が行くホテルにはほど遠いデザインかもしれませんね。これらは日本が景気が良かった昭和40年から50年代(1970年代から80年代)に、製作も運用コストも一切無視してつくられた内装なんですよ」と切り出し、私のラブホテルうんちく話はこのように始める。

一番多かった感想は、若いカップルを中心に「ラブホにこんな部屋あるの!?」。次に多かったのは「料金は今もこの値段でやっているの?」。以降はこのような内容が多く聞こえた。

「ベッドはなぜ丸いのか?」「回転ベッドはなんのために回転するのか?」「どうしてこの撮影活動を始めたの?」「都内近郊にこんなお部屋はあるの?」「那部さんがこの中でさらに最も思い入れのあるお部屋はどれですか?」

これらは一般的で率直なラブホテルに対する疑問であり、自分の経験と知識の範囲で答えよう。

6年前、フリーでカメラマンをしていた私の元に、あるカップルから依頼が舞い込んだ。私はこれといった実績のない無名のフリーカメラマンだが、撮影者が女性だと、彼女が安心するという理由で選ばれることが多い。

きっかけは不倫カップルからの撮影依頼

「2人だけの秘密の結婚写真が欲しいんです」と。撮影場所に指定されたのは、「川崎迎賓館」というラブホテルだった。


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「秘密の結婚写真」という依頼を受け、撮影場所として指定された「川崎迎賓館」(写真・筆者)

ただのホテルではない。ロココ調メゾネットの部屋には、お姫様が下りてきそうな美しくカーブした白い階段があり、見上げれば天使が描かれた天井画と、ベネチアングラスのシャンデリア。その名にふさわしく、桁外れの豪華で息をのむほど美しい内装。こんな世界があったのか・・・と仰天した。

まさに昭和の豪華絢爛な世界観が反映された最高峰のラブホテルだった。「思い出を形にしたかった」と女性は言った。実らぬ恋、せめて2人だけの秘密の結婚写真が欲しい。私はカップルの幸せそうな姿をシャッターに納め続けた。

その時に、私は「カップルの向かう先は結婚だけではない。カップルの最高の思い出の地が必ずしも、ハネムーンや結婚式場とは限らない」と気づかされた。人目を避けて会いたい2人が、思い出を 刻む場所として選んだのが「川崎迎賓館」だった。

そんな2人を目の当たりにしてからラブホテルへの考えが変わった。それまでの私は「ラブホテル」はベッドと風呂があればいいという考えだったが、これを機に考えが大きく変わった。

要人が使うわけでも、文化遺産として残るわけでもない。名も知れぬカップルのためだけに用意された空間だ。この密室空間はあくまでカップルの思い出になる手助けにすぎない。

しかし、それが2人にとって最高の一夜になるように、空間を演出するためのデザインをはじめ、さまざまな叡智を重ねたパイオニアたちが存在したのだ。

どうすればカップルが喜んでくれるか、一生の記憶に残る営みになるか、検討を重ねて具現化してくれた愛の王国を建国した王様だと言っても過言ではない。

そんな王様たちに心からの敬意を表したいと思うようになった。何かと世間の風当たりが強いラブホテルだが、日本が誇る至極の文化だと言える。私にとってラブホテルはその方々と触れ合える「逢瀬の間」なのだ。

そうして、私のラブホテルのデザイン記録活動が始まった。対象は、「記憶に残る個性的なラブホテルの部屋」。

ラブホテルに魅了され全国をめぐり、かれこれ6年が経過した。北は北海道の稚内や釧路から南は鹿児島まで、これまで約350カ所ものホテルを訪れた。

元号で変遷を告げるラブホの内装

現在はネットであらゆる情報をみていくことができるが、いろんなホテルの扉を叩いても、必ずしも記憶に残るホテルというのはそうそう簡単には出会えない。

ネットのおかげで、事前にどんな部屋か写真である程度わかるようになったのはありがたいものの、まったく情報が出ていないところも一定数存在する。

そういうホテルはネット草創期よりも前の昭和から平成初期にかけて多い。ネットを使わないオーナーが多いことも影響している。情報のあるなしを含めて気になるところはひたすら門戸を叩くので、当然、費用も時間もかさむ。

行ってみたらビジネスホテルと変わらないような、シンプルで面白味のない部屋だったり、また、先客がいたり、メンテナンス中であったりお目当ての部屋が空いていない、ということもある。改装されて、掲示されていた写真と全然違っていることもある。

閉業したことを知らずに行ってみたら、跡形もなく更地になっていたこともあった。写真展で展示する作品として選ぶホテルは、数多く足を運んだ成果のごく一部、頂点の頂点から選んだものなのだ。

昭和、平成、令和と時代で明確に分類されているわけではないが、「どの世代の人間に合わせて作っているか」であれば、大体の分類分けは可能である。

?和風簡易旅館

旅荘、連れ込み宿(情事のための客を専門に営業する簡易旅館のこと)と呼ばれた時代の名残があるもの。


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旅荘・連れ込み宿と呼ばれた時代の名残を感じる和風簡易旅館(写真・筆者)

畳、襖、木製の座卓、布団があるところまでは普通の旅館と変わらないのだが、違いがあるとすれば、座卓スペースとは別に寝室スペースがあること、事前に布団が敷かれていること。そして、布団の横に襖鏡があることが多い。なお、ティッシュやコンドームなどの衛生用品の用意もある。1950年代から1960年代に多くみられたスタイルなのだろう。

?デラックス昭和ラブホ時代

1970年代から1980年代前半に作られたホテルを、こう呼んでいる。特徴を言えば、内装の華美さと遊び心を追求している点だ。


派手な装飾、鏡の多様…デラックス、あるいはゴージャスな1970、1980年代を代表するラブホ(写真・筆者)

派手な装飾、鏡の多用、風呂のガラス張り、動くベッドなど、視覚を刺激するものが多い。第2次ベビーブームで平均年齢はグッと下がり、若者が最もパワーをあり余らせていた時代だ。

マイカーの普及とともにラブホテルは乱立し、競争化が進んだ。テレビなどの電子器具が不十分なぶん、インテリアや壁紙、支柱などで電気が通わなくても存在するだけで華やかになるものを置いたのだろう。

例えると、オペラ劇場。実際に上映がなくても、劇場の装飾だけで楽しむことができる。

?改装済み昭和ラブホ

どんなにこまめに手入れをしていても、内装をオープン当時のまま維持していくことはたいへんなことだ。とくに壁紙はどこかでガタが来る。

大規模な改装はせずに、壁紙をきれいに変え、貴重な昭和ラブホのフォルムを多く残しつつも現在も安心して使える状態に残したホテルも多く存在する。懐かしさもあり、理想的な昭和の残り方とも取れる。

?シティホテル化の平成時代

次は平成だ。1985年の新風営法施工後のバブル期、さらに平成に入ると、シティホテルのような都会的なものが好まれるようになった。昭和に比べて内装はシンプルで、清潔感やサービスが重視されるようになる。


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1985年の新風営法施行後、平成の時代になるとシティホテルのような部屋が好まれるようになる(写真・筆者)

飲食の提供、健康器具やカラオケ設置、広い風呂、照明器具が発展し、ブラックライトなどの演出。清掃のしやすさ、衛生面でも気が使われるようになった。

また、内装よりもカラオケや健康器具、ジェットバスなど設備で満足度を上げているのが特徴。中にはプールがあったり。私がラブホテルに通った平成中末期はコスプレの無料貸し出しが全盛だった。

昭和ラブホがオペラ劇場ならば、平成はシアター(映画館)だと言える。シンプルな内装で、上映があることで楽しませる。逆に上映がないと視覚的に物足りなかったりもする。


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昭和のオペラ劇場的な内装から、平成はシアター、映画館的な内装に変遷する(写真・筆者)

地方を旅したときに、手頃なモーテルに宿泊しようとすると、この平成ラブホデザインが多く見られる。淡い優しい色で取り囲み、鈴蘭型のランプがよく置かれている。昔、子供の頃に家族旅行した清里や軽井沢のペンションを思い出して懐かしくなる。

?SNSで呼び込みたい令和のラブホテル

令和になると、SNS映えを意識したためか昭和時代の華美さを取り戻す。同時に、進化した技術を駆使し、快適に過ごせる空間作りを徹底している。平成と昭和のハイブリッドだ。


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「コンセプト」を重視し、SNS映えも……令和のラブホの一つ(写真・筆者)

令和の代表格として私が推しているのはSARAグループ。 異彩を放つホテルグループだ。東京・五反田、錦糸町をはじめ、千葉・南船橋、埼玉・川越などで展開する。最大の魅力はハイクオリティなコンセプトルームと奇天烈なルーム名で、「教室」「電車」「診察室」「社長室」などのコンセプトルームは運が良くないと入れないほど人気だ。

病院、電車、映画館など、実際の場所ではできないけれど、ここなら実現できることがある。昭和は非現実的な夢を見せてくれるが、令和では現実の延長にある夢を見せてくれるのかもしれない。

ラブホの料金表も魅力の1つ

昭和ラブホテルの料金表形式の展示をしていると、次によく聞かれた質問はこうだ。「今もこの値段でやっているんですか?」。

答えはイエス。地域差はあり多少の変動はあるものの、地方郊外の価格はほぼ同じではないかと思う。つまり日本の経済が伸びていないのか、と考えてしまうが、単純に内装には大きな手を加えていないので、上げていないと考えられる。

最近は原油や燃料の高騰などで、500円ほど上乗せするところもあるが、それは致し方ない。最先端をいく令和のレジャーホテルは、サービスも充実して、清潔な空間が求められるので、それなりに価格帯が上がる。

地方遠征した際に最もよく利用しているのは、平成時代のホテルだ。昭和に比べると冷暖房、水回りのインフラはしっかりしており、かつそこそこきれいだ。とはいえ、最新の内装デザインではないので価格は抑えめなところが多い(すべてあくまで私見です)。

私は、ラブホに入ったときの料金案内表が大好きだ。全部屋の写真と料金が1カ所に詰め込まれ、視界に入り切れないほどの情報量が詰まっている。どの部屋をチョイスしようか、学生のように悩んでしまう。

最近のホテルは、画面のタッチパネルになっている。少し物悲しくもあるが、それも時代なのだろう。


『HOTEL目白エンペラー』(那部亜弓/東京キララ社/2000円+税/128ページ)

「なぜ、ラブホテルの写真を撮っているんですか?」ともよく聞かれる。史料価値として高い写真を撮影し、記録・保存している。これらのラブホテルも老朽化が進めば、廃業してしまうかもしれない。

現に活動を始めた6年弱の間に多くのホテルが閉業している。でも50年後、100年後にまた昭和のようなホテルが作られるようになるかもしれない。あるいは、再現したいと思う人が出てくるかもしれない。その時、私の撮り溜めた写真を活用してもらえたら嬉しく思う。

(那部 亜弓 : フォトグラファー)