なぜJリーグ中継はDAZN独占なのか…Jリーグが「恩義のあるスカパー!」より「無名のDAZN」を選んだ真意
※本稿は、宇都宮徹壱『異端のチェアマン 村井満、Jリーグ再建の真実』(集英社インターナショナル)の一部を再編集したものです。
■「インターネットとの絡み」を模索していた
「11年ぶりのCS(チャンピオンシップ)では、地上波の視聴率が2桁に届きました。それはひとつの成果なんだけど『今後はTVだけでなく、インターネットと絡ませていかないと、僕らの価値は上がっていかない』とも考えていました。そんな時、向き合うこととなったのが、パフォーム(現・DAZN)との契約交渉だったんです」(中西大介元Jリーグ常務理事)
今では日本でも高い知名度を持つDAZNだが、もともとはパフォーム・グループが提供するサービス名であった。2019年4月、パフォーム・グループの事業再編に伴い、一般消費者向けの事業をDAZNグループとして独立、社名変更している。
つまり、当初Jリーグが放映権契約の交渉相手として向き合っていたのはパフォーム・グループだったわけだが、本稿では以後「DAZN」で統一する。
■ホリエモン、三木谷氏がTVを買いにいったワケ
2ステージ制導入以降、中西はIT業界の著名人と毎晩のように会食を繰り返していた。そして、彼らとのディスカッションから「Jリーグ×インターネット」によって何が可能なのか、自問自答を繰り返してきたという。
果たして、地上波での露出の必要性を主張していた中西は、なぜネット配信の方向に舵を切ったのか。私のこの疑問に対して、当人は「自分の中では矛盾はまったくないです」と語り、こう続ける。
「元ライブドア社長のホリエモン(堀江貴文)や楽天会長の三木谷(浩史)さんが、なぜニッポン放送やTBSの株を買いに行ったかというと、リーチを取るためにTVが必要だったからですよ。
サッカーも同じで、まずは地上波でのリーチ、そしてネットでの深掘り、両方欲しかったわけです。加えて言えば、Jリーグのように同時進行で何試合も行われている場合、やっぱりネット中継のほうが相性はいいわけですよ」
■日本でもインターネット配信が主流になる
DAZNとの交渉に際し、Jリーグを代表して直接向き合うことになったのが、機密保持のために厳選された5人のメンバーによる、通称「チーム5」。その筆頭であった中西には、スポーツ中継のOTT(オーバー・ザ・トップ=インターネット配信)が、日本でも主流になるという読みがあった。
Jリーグの苦しい時代を支えてくれた、スカパー!には深い恩義を感じていた。
しかし一方で、「日本では地上波から衛星放送のステップを踏まず、一気にOTTが普及する」という、揺るぎない確信が中西にはあったのである。
確信の背景にあったのは2点。ちょうどネットフリックス(Netflix)が日本に上陸して人気を集めていたこと。そして日本とヨーロッパとの間に、放送環境をめぐる違いがあったことである。
■ヨーロッパは地上波のチャンネルが少なかった
「なぜヨーロッパでは、サッカーの衛星中継でカネが取れるようになったかというと、もともと地上波のチャンネルが少なかったから。たとえば英国だとBBCを含めて4社しかない。そこにルパート・マードックによる多チャンネルの概念が注入されたら、みんなそっちに流れていったわけですよ」
ルパート・マードックとは、アメリカでフォックス放送を立ち上げた、世界的メディア王のことである。
「でも日本の場合、地上波が多チャンネルだったので、WOWOWやスカパー!が広まるよりも早く、インターネットのほうに向かっていくだろう、というのが当時の僕の読み。村井さんも、僕の考えに同意してくれました」
DAZNとの大型契約については「10年間で2100億円」という数字ばかりに、つい目を奪われがちだ。確かにDAZNマネーが、Jリーグに豊穣な潤いを与えることとなったのは事実。
■DAZNマネーの流入でJリーグの収益が倍増
それは、Jリーグの経常収益にも表れている。
村井がチェアマンに就任した2014年が122億6700万円。2ステージ制導入後は、2015年が133億3410万円で16年が135億6000万円と、10%ほど増加している。
ところが、DAZNマネーの流入が始まった2017年には、273億3100万円。前年から実に倍増である。
ただし、Jリーグの経営改善と同じくらい重要なのが、これからのスポーツ放送が「インターネットのほうに向かっていく」と、2016年の時点で中西が予見し、村井もそれに同意していたという証言である。
■起こった時のインパクトが大きいものに投資
日本でOTTが普及し、視聴環境が劇的に変化する――。
その発想の源は、どこにあったのだろうか。私の問いに、中西は「シナリオプランニングです」と答えてから、紙ナプキンに縦横のマトリクス図を描き始めた。
「シナリオプランニングというのは、縦横の軸で考えると理解しやすいです。縦軸は、それが起こる可能性。横軸は、それが起きた時のインパクト。『右上』だと、起きる可能性が高くてインパクトが大きい。たとえば大地震の備えなんかは、ここですよね。シリコンバレーでは『右下』、つまり可能性は低いけれど、起こった時のインパクトが大きいものに開発投資していく傾向がある。DAZNをはじめとするOTTサービスって、まさに『右下』のシナリオプランニングだったんですよ」
「可能性は低いけれど、起こった時のインパクトが大きい」とは、具体的にどういうことか。あえてサッカーにたとえると、守備の選手がゴール前までオーバーラップしたら、フリーの状態でラストパスを受けた、というシチュエーションが近いのかもしれない。
つまり多くの人にとっては、起こる可能性が低いと考えられるものに対して、中西は「必ず起こる」という確信があった。
ここでの確信とは「日本でOTTが普及する未来」。多くの日本のスポーツ団体に足りていない、このようなベンチャー気質というものが、当時のJリーグには間違いなく存在していた。
そして、それこそが、DAZNとの交渉の大前提だったのである。
■影響を与えた「YouTube動画のバズ」
JリーグとDAZNとの交渉が行われたのは、2016年の4月から7月にかけて。その伏線となった、ふたつのエピソードについて、まずは言及しておく必要がある。
すなわち「反動蹴速迅砲(はんどうしゅうそくじんほう)」の再現動画、そして「ミャンマーでのファーストコンタクト」である。
どちらも交渉の2年前、2014年の出来事であった。
まずは「反動蹴速迅砲」について。これは世界的な人気を誇るサッカー漫画『キャプテン翼』とJリーグによるコラボレーション企画で、作品に登場する必殺シュートを現役Jリーガーがリアルに再現して、その動画をYouTube上に公開するという動画企画である。
3月12日に第1弾として公開された「カミソリシュート」がファンの間で大きな話題となったため、その第2弾として「反動蹴速迅砲」が、5月1日に公開された。
再現を試みたのは、川崎フロンターレ所属の中村憲剛と大久保嘉人。相手が蹴ったボールを正面から蹴り返すことで、威力を倍増させた必殺シュートが生まれる、というものだ。
■3本合わせて1000万再生
雨の麻生(あさお)グラウンドで撮影された1分間の動画では、中村憲剛が蹴ったボールを大久保嘉人が即座に蹴り返し、そのままゴールに吸い込まれていく。一発で成功させたように見えるが、実は何度もテイクを重ねていたと、のちに中村憲剛が明らかにしている。
「あの日は、土砂降りだったんですよ(笑)。撮影日がそこしかなくて、台風みたいな大雨の中で嘉人と30分以上、ボールを蹴っていましたね」
そうした苦労の甲斐あって、この「反動蹴速迅砲」の動画は、1週間で400万再生を記録。
反響は国内のみならず、海外にまで及んだ。
さらに5月26日には、第3弾として「ツインシュート」も公開。3本合わせて、あっさり1000万再生をクリアしてしまう。
これに驚いたのが、チェアマンの村井だった。多くの予算や手間をかけず、ある意味「遊び感覚」で撮影した自分たちの映像に、これだけの反響が寄せられる。この時の経験が、村井にある決断を促すこととなる。
■試合映像の著作権を持っていなかった
「この頃のJリーグは、地上波で取り上げられる機会は、ほとんどありませんでした。ネットで発信しようにも、中継映像はスカパー!に著作権があったので、彼らの許諾がなければ試合映像を使えない。ところが、何気なく作った動画があれだけバズった。『なんだ、自分たちで作って、著作権も持てばいいんだ』と思ったわけです(笑)」
もし「反動蹴速迅砲」の成功体験がなかったら、DAZNとの契約の際、映像の制作や著作権は、慣例に従って手放してしまったかもしれない――。
そう、村井は実感を込めて回想する。歴史的なイノベーションというものは、往々にして、こうした遊び心から生まれるものである。
■DAZNの担当者はニュージーランド出身の元ラガーマン
続いて「ミャンマーでのファーストコンタクト」。こちらは、ブラジルでワールドカップが開催されていた時の出来事である。
クイアバで行われた対コロンビア戦で、日本のグループステージ敗退が決したのが、6月24日のこと。現地での視察を切り上げた村井は、サンパウロまで移動して、そこからアメリカのダラス、成田、シンガポールと飛行機を乗り継ぎ、ミャンマーの首都・ヤンゴンにたどり着いた。
「この時のミャンマー出張には、ふたつの目的がありました。まず、Jリーグのアジア貢献活動として、サポーターの皆様から寄付していただいたユニフォームを、現地の子供たちに寄付すること。もうひとつは、日本とミャンマーの外交関係樹立60周年を記念して行われたチャリティマッチ。ミャンマー代表とセレッソ大阪による『ヤンマーカップ』の視察でした」
そんな村井を現地で待ち伏せていたのが、のちにDAZNのアカウント・ディレクターとなる、ディーン・サドラーである。
サドラーは、ニュージーランド出身の元ラガーマン。東芝の社員選手としてプレーしていたこともあり、日本語が堪能であった。自分たちのビジネスを知ってもらうべく、サドラーはヤンゴンまで飛んで、村井に面会を求めたのである。
■まだサービス開始していなかった
その熱意と行動力に驚きつつも、村井は当初、相手の真意を測りかねていたという。
「というのも、彼らがOTTのサービスを開始するのは、それから2年後の話です。もちろん、DAZNというブランド名もありませんでした。当時の彼らは、サッカーを中心としたコンテンツサービスの『ゴール・ドットコム(Goal.com)』や、スポーツのデータを扱う『オプタ・スポーツ(Opta Sports)』を買収していて、ディーンは『いずれJリーグと一緒に仕事がしたい』とは言っていました」
DAZNは当時、プレミアリーグ(イングランド)やラ・リーガ(スペイン)やセリエA(イタリア)といった巨大マーケットを避けて、ブンデスリーガをはじめとするドイツ語圏をターゲットとしていた。
そして早い段階から、日本にも目を向けていたため、東京のオフィスにいたサドラーの出番となったのである。
ミャンマーでの元ラガーマンとのファーストコンタクトから2年後、10年間でおよそ2100億円という大型契約に発展することなど、当時の村井は予想もしなかったはずだ。
■スカパー!と契約しなかった理由
2007年から16年まで、10年(2回の5年契約)にわたって放映権を獲得していたのは、スカパー!である。
これまでの実績と恩義を考えるなら「引き続きスカパー!で」という可能性は十分にあった――。
そう教えてくれたのは、当時Jリーグメディアプロモーションの代表取締役社長だった、小西孝生である。ではなぜ、そうはならなかったのか?
「具体的な数字は言えないですが、われわれは放映権収入の増額を望んでいたんです。その金額をクリアしていたら、スカパー!さんが2017年以降も放映権を継続されていたかもしれない。
けれども彼らが提示した金額は、残念ながらわれわれが期待していた額との間に開きがあったんです。それで『スカパー!さんとは引き続き交渉させていただきますが、他の候補とも交渉させてください』ということで了承をいただきました」
■ロンドンのDAZN本社を視察
実は小西は、2015年の12月、ロンドンのDAZN本社を視察している。
「仕事ではなく、あくまで個人的な趣味で(笑)」とは本人の弁だが、OTTがビジネスとして成立するかどうか、見極める意図はあったようだ。
この時点では、DAZNがJリーグの次期放映権入札に加わる展開を「予想していなかった」と小西。
それでも、スカパー!との単独交渉の線がなくなったことで、年明けからJリーグ内に、少数精鋭の特命チームが立ち上がる。
すなわち、小西と中西のツートップ、Jリーグメディアプロモーションから勝澤健(かつざわけん)と岩貞和明(いわさだかずあき)、そしてJリーグから樋口順也(ひぐちじゅんや)。のちにDAZNとの交渉に向き合うこととなる、チーム5の面々である。
■交渉期間は3カ月に及んだ
メンバー構成と役割について、小西に解説してもらおう。
「勝澤はJクラブ(東京ヴェルディ)で働いていた経験があって、広報などのマネジメントもできる。岩貞はOTTなどのIT系ビジネスに強くて英語もできる。樋口はJリーグでも珍しい理数系で、資料作りや交渉の記録をまとめるのにうってつけの人材でした。対DAZNのフェイズでは、僕が向こうの要求を聞いてきて、それを中西が潰していくという役割分担。今にして思えば、いいチームでしたよ(笑)」
このチーム5の証言と樋口の記録から、入札に至るプロセスを整理してみよう。
・3月18日、入札候補の企業にチーム5からオリエンテーションのメールを送信。
・4月4日、各社に入札の意思を確認。
・4月6〜7日、各社によるプレゼンテーション。
このあと、再度のオリエンテーションをメールベースで行い、各社の回答を得た4月13日以降から、今度は個別の交渉がスタートする。最終決定が7月19日なので、交渉期間は3カ月に及んだことになる。
■「明らかにDAZNは異質でした」
この時点で、次期放映権獲得に名乗りを上げていたのは、スカパー!とDAZN、そしてもう1社あったとされる。この国内企業は、早々に撤退しているが、DAZNと同じくOTTでの提案だったという。
「プレゼンに臨んだ事業者の中で、明らかにDAZNは異質でした」と語るのは、チェアマンの村井。その理由について、こう続ける。
「まず、唯一の外資であったこと。そしてOTTによる配信を提案していたこと。ただし、この段階でDAZNは、まだOTTのサービスを始めていません。つまりオリエンの時点では、実績もなければ実体さえもなかったわけです」
■「新しい視聴環境」「フットボールへの理解度」が心を動かした
実績もなければ実体もなく、しかも外資。にもかかわらず、なぜJリーグはDAZNを選んだのか?
DAZN側の提示した金額と契約期間が、最も魅力的だったことは想像に難くない。そのことは暗に認めつつ、しかし「それだけではなかった」として、村井はふたつの理由を挙げている。
まず「新しい視聴環境」。
「DAZN側がプレゼンで見せた動画が、実に衝撃的でした。ベッドから飛び起きたら視る、電車の通勤中に視る、休み時間にみんなで視る。家族がTVの前に座って、番組が始まるのを待つという、それまでの視聴環境とは明らかに違う。いつでもどこでも、好きな時に好きな場所で、デバイスを通してスポーツ中継が楽しめるわけです」
今となっては、当たり前の光景に思えるかもしれない。しかし、DAZNのプレゼンテーションを見た村井は「これが次の時代の視聴環境なのか!」と感銘を受けたという。
もうひとつ、Jリーグの心を動かしたのが「フットボールへの理解度」。
「動画を見て、フットボールの理解度が高いことが伝わってきたんです。カメラワークしかり、スイッチングしかり、アングルや切り取り方しかり。もともとゴール・ドットコムで各国リーグのクリップ動画を集めたり、オプタ・スポーツでの膨大なスタッツデータを持っていたり、というのがDAZNでした。そうした彼らの知見やノウハウといったものも、われわれには魅力的に感じられたんですね」
■Jリーグが世界に追いつくための道標
当時のJリーグが目指していたのは、実績よりも放映権の増額。その意味で、DAZNが提示した条件は、確かに魅力的だった。
しかし、それとは別の期待感も村井たちにはあった。
それは、DAZNであれば「Jリーグが世界に追いつくための道標(みちしるべ)になるかもしれない」というものであった。
実績で言えば、スカパー!は申し分ないし、スカパー!を選べば10年間にわたってJリーグを支えてくれた恩義を反故にすることもない。放映権料の増額は限定的となるが、外資との契約はリスクが高そうだから、これまでどおりの粛々とした運営を続けていこう――。
■ベンチャーマインドにあふれていた
以前のJリーグであれば、このような決着を見た可能性は高かっただろう。
わが国のスポーツ団体は保守的かつ排他的で、しかもベンチャー気質に乏しい。革新的に見えるJリーグでさえ、村井がチェアマンに就任する以前は、そうした傾向を色濃く残していた。
しかし2016年のJリーグには、海外とのハードな交渉経験を持つ村井、そして「タフネゴシエーター」の中西がいた。しかも、両者ともベンチャーマインドにあふれ、視聴環境の未来像も共有できていた。
こうした条件が揃っていたからこそ、これまでJリーグが(というよりも日本スポーツ界が)経験したことのない、外資企業との大規模な放映権交渉を決断できたのである。
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宇都宮 徹壱(うつのみや・てついち)
写真家・ノンフィクションライター
1966年生まれ。東京藝術大学大学院美術研究科を修了後、TV制作会社勤務を経て1997年に独立。国内外で「文化としてのフットボール」を追い続け、各スポーツメディアに寄稿。「フットボールは世界を知る窓」を信条に、今も少しずつ取材領域を広げている。2010年に著書『フットボールの犬』(東邦出版)で第20回ミズノスポーツライター賞最優秀賞、2017年に『サッカーおくのほそ道』(カンゼン)でサッカー本大賞2017を受賞。個人メディア「宇都宮徹壱ウェブマガジン」、オンラインコミュニティ「ハフコミ」主催。
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(写真家・ノンフィクションライター 宇都宮 徹壱)