範宙遊泳『心の声など聞こえるか』

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演劇集団「範宙遊泳」が、2024年7月6日(土)~14日(日)東京芸術劇場 シアターイーストにて、2021年に書き下ろした“愛”の戯曲『心の声など聞こえるか』を上演することを発表した。

本作は、第66回岸田國士戯曲賞作家・山本卓卓が演出を手がける最後の劇団公演。

炎上して社会的制裁を受けたコメンテーターの夫を演じるのは、KAAT神奈川芸術劇場プロデュース『ジャズ大名』(福原充則演出)、ロロ『BGM』『オムニバス・ストーリーズ・プロジェクト(カタログ版)』(三浦直之演出)など、劇団外でも様々な世界観の中で新境地を開拓し続けている福原冠。隣人のゴミ捨てに異様な執着をみせるその妻に、演劇ユニット・モメラスのメンバーであり『バナナの花は食べられる』(2021.2023)や本作初演(2021)に続く範宙遊泳出演となる井神沙恵 。隣人トラブルや夫婦間のささいなすれ違いに悩みながら新築の隣家で暮らす若夫婦に、多彩な小劇場演劇に参加し自身でも演劇とダンスの間の表現を探究し創作を行っている石原朋香と、「三転倒立」所属、演劇ユニットせのび、ザジ・ズーなど今もっとも勢いのある最若手劇団に出演歴を持つ狩野瑞樹 。そして夫婦を執拗に追いかけるパパラッチを、作・演出の山本卓卓が自ら演じる。

音楽を手がけるのはミュージシャンの曽我部恵一。お互いの創作物のレビューをしあう機会に恵まれ、あいだに作品を挟んでの交流から、初めての共作へと発展する。
 
本公演では、隣接する2つの一軒家に暮らす2組の夫婦。ゴミ捨てをめぐるご近所トラブルから見え隠れする、それぞれの秘密や亀裂。夫婦という最小単位のコミュニティから日本社会を浮かび上がらせ、罵倒や暴力の先にある人間の優しさと愛を描く。

作・演出・出演:山本卓卓 コメント

山本卓卓

ひとつの言葉に複数の意味や魂を込めるのが私の仕事のひとつであると私は考えています。これは言葉の絶対性を放棄したいということではありません。例えば愛という言葉は絶対的であることを私は疑いません。けれどもその愛も、私とは違う人間ひとりひとりの実感が生まれることによって相対的なものになっていきます。その実感の確認をするために人は人と関係をします。あるいは関係を断絶します。そうしていくうちに絶対的な愛が、相対的な物語となっていくわけです。それを私は表現したい。してきた。というか今作でもします。なるたけやわらかく、やさしく、でもスパイシーで重層的なものに。

出演者コメント

■福原冠

福原冠

不安や不満、期待や予感は紙に書く。考えてること、考えても意味のないことも含めて頭に浮かんだことは全部書く。そんな習慣がもうかれこれ数年続いています。書かないと自分の気持ちが分からない。立ち止まらないと心の声に気づけない。書くとすっきりするからという理由で続けているこの習慣は、もしかしたら自分の心の声に耳を傾けるためのトレーニングなのかも。じゃあ他人の声はどうだろう。聞こえなくとも想像ならできるかな。あれこれ考えつつ悩みつつ、想像しつつ妄想しつつ、思いっきり創作にのめりこみたい。そんな気持ちで今はいます。

■井神沙恵

井神沙恵

いまの私は、この作品のことを、愛と祈りの物語だと思っています。
2021年、川口智子さんの演出のもとで本作を届けることができ、今回新たに山本卓卓さんの演出によってみなさんへお届けする機会に恵まれたこと、そこに参加できること、心が光るような気持ちです。
すばらしいキャスト、スタッフのみなさんと稽古を重ね、劇場へお越しくださるみなさんに作品と出会っていただくときが楽しみでなりません。
2024年7月、どうぞよろしくお願いします。

■石原朋香

石原朋香

ここ数年、ずっと頭の片隅に、いくつかの問いがあります。
身近な誰かが大きな悲しみや怒りにぶちあたったとき、そばにいる自分がその人の味方になるためには、なにをすればよいのか。どういう状態であればよいのか。
味方であることを、その人にどうやって伝えればよいのか。
誰かの味方になることで、知らず知らずのうちに他の誰かを傷つけはしないか。
そもそも相手は、私が味方でいることを求めているのか。
(…てか、さっきから「味方」ってなんだ?)
 今回の作品は、それらの問いについて、はっきりとは言えなくとも、自分なりの答えを探してみんなで旅に出るようなものになるのではないかな、と、台本を読んでまず感じました。

■狩野瑞樹

狩野瑞樹

電車とか喫茶店とか、聞こえてくる会話がしんどいと、イヤホンをします。耳を塞げば、ぜんぶが自分には関係なくなるからです。でもそうやって、自分には関係ないことにすればするほど、沢山とりこぼします。だから耳を塞ぎたくないです。でもでも、耳を塞がなければ自分の身と心を守れないときがあります。でもそれでもどうしても聞かなきゃいけないときがあって、特に自分にとって大切な人の声だけはちゃんと聞きたい、それを怠ることだけは絶対やばい、でも自分にはちゃんと聞けているか、ちゃんとがなんなのかもかなり怪しいです。
諦めないようになりたいです、よろしくお願いします。