「死に化粧姿」も…日本ボクシング連盟元会長・山根明の夫人が明かす「死ぬまで男・山根でした」

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「納骨でお寺に行ったときはだいぶ泣きましたね。なんともいえない悲しさがあったけれど、すべてを終え、今は頑張って生きていかないと、と思っています」

こう語るのは、1月31日にこの世を去った日本ボクシング連盟元会長・山根明さん(享年84)の28歳下の妻・智巳さんだ。4月上旬に納骨を済ませ、一つの節目を迎えたなかで、改めて現在の心境を語った。(以下、「」内の発言はすべて智巳さん)

「会長の闘病が始まったのは去年の11月29日でした。ステージ4の腎臓がんが見つかり、肺への転移も確認された。診断を受けた帰り道、二人で立ち寄った喫茶店で、会長と一緒に涙を流したことを覚えています。それでも会長は病気に勝とうと、緩和ケアではなく抗がん剤治療を選択しました」

闘病中も生きざまは変えなかった。病室にはトレードマークの『ボルサリーノ』のハットにサングラスを置き、訪問客が来るたびに身なりを整えて出迎えた。

しかし、百戦錬磨の山根さんでも病魔との闘いでは苦戦が続いた。今まで骨折したときでさえ「痛い」と言ったことがないという山根さんが、弱音を漏らすこともあったという。

「病室で二人きりになると、突然『ママ、こんなに大きな病気になってごめんな』と言ってきたことがあります。私に詫(わ)びることなんてこれまであまりなかったので、記憶に残っています。そうやって二人で涙を流すことが、1月半ばごろから増えていきました」

最期は智巳さんの連れ子の次女も病室に駆け付けた。喋(しゃべ)れないほど衰弱していたが、次女が「お父さんの子供で本当によかった。生まれ変わってもお父さんの子供になるからね」と語ると、山根さんの頬(ほお)を涙が伝ったという。そのまま家族に看取(みと)られ、静かに息を引き取った。

「男だから、痛みも辛さも乗り越えてやるといった気概で、亡くなる直前まで生きることを諦(あきら)めていませんでした。最期まで″男・山根″でした」

2月に行われた告別式では、代名詞であるハットとサングラスも棺(ひつぎ)に納められた。その「死に化粧姿」をFRIDAYに提供してくれたのはなぜか。死者への冒涜(ぼうとく)と非難の声もあがるかもしれないなか、理由を聞くと、少し間を置いてこう続けた。

「亡くなった人を見ることって避けたいじゃないですか。気持ちが落ち込むし、恐怖感もある。私もそうでした。ところがご縁のあった遺体保全士の方のおかげで、本当に生きているようで、いつまでも見ていたいって思えたんです。私自身の死生観が変わったと思えた経験をしたから、今回お渡しさせていただきました。
弔問に来てくださった方から『会長の元気だったときの姿そのもので、エネルギーをもらえました』という言葉もいただきました。会長の生きざまと一緒で、写真を通じて実際に見て、語り合って、何か感じてほしいと思うんです」

最後に山根さんへの想いを聞くと、記者の目を真っ直ぐ見つめながら語った。

「会長には何度も助けてもらいました。たくさんの恩がある。これからは私も、周りの人を大切にして、会長みたいにかっこいい生きざまを目指したいです」

亡くなってもなお、残された人々に強い影響を与える山根さん。その魂は、これからも人々の心の中で生き続ける。

『FRIDAY』2024年4月26日号より