名古屋市に本社を構えるブラザー工業(編集部撮影)

投資ファンドと組んだMBO(経営陣が参加する買収)に、「待った」をかけたのは協業関係にあった事業会社だった――。投資ファンドに普通の事業会社が噛みつくという構図の異例の事態が起きている。

ミシンで知られるブラザー工業は3月13日、産業用印刷中堅のローランド ディー. ジー.(DG)に対抗TOB(株式公開買い付け)を行う予定であると発表した。

ローランドDGに対しては、2月13日から3月27日までの期間で、タイヨウ・パシフィック・パートナーズによるTOBが行われている。タイヨウはアメリカの投資ファンドでローランドDGの大株主。ローランドDGのMBOの一環としてTOBが実施されている。TOB価格は1株あたり5035円だ。

一方のブラザーは5200円のTOB価格を提示した。タイヨウによるTOBが継続中もしくは不成立であることを条件に、5月中旬をメドに開始する。買収総額は640億円の見込み。これは2015年に買収したイギリスの産業印刷機メーカーの約10.5億ポンド(当時の為替レートで約1930億円)に次ぐ金額規模となる。

注力分野の1つが産業印刷機

ブラザーの売り上げ規模は8000億円超。世界的なミシンメーカーとして知られる同社だが事業領域は幅広い。

売り上げの過半を占めるのは家庭用インクジェットプリンターを中心とするプリンター関連で、ほかに産業印刷機、工作機械、通信カラオケの「ジョイサウンド」なども手がける。この中で近年注力しているのが産業印刷機と工作機械だ。

その産業印刷の分野で、広告看板向けの大型インクジェットプリンターに強みを持つのがローランドDG。布に印刷するガーメントプリンターや歯科用ミリングマシンなども手がけており、2023年12月期の売上高は540億円だった。

ブラザーはTOBの意義について、両社の資産共有によるローランドDGの競争力強化を第一に掲げる。開発にブラザーのインクジェット技術を活用、共同購買を通じた製造コストの削減が期待できるなど、同じ印刷業界だからこそ可能な価値向上施策を実施できるとする。

ブラザーにとっては産業印刷の強化にもつながる。ペーパーレス化が逆風といえるオフィスや家庭用のプリンターとは異なり、新興国で工業製品の消費が増えることなどによる市場の拡大が見込める。ブラザーの事業ポートフォリオ的には、産業印刷領域の拡大は望ましい。

2度拒否されたTOB提案

今回のブラザーによる対抗TOBはローランドDGの同意を得ていない。いわゆる「同意なきTOB」だ。しかしブラザーの佐々木一郎社長は、「両企業にとって、さらにはお互いのお客様にとってもWin-Win-Winの関係を構築できる」との内容でコメントを出した。

実はブラザーはこれまでに2度、ローランドDGにTOB提案を拒否されている。1度目の提案は2023年9月。1株あたり4800円でTOBの提案を行った。2019年の1月頃から、ローランドDGとの親和性について意識し始めたという。同12月からは製品の共同開発を始め、関係を強化していた。

しかしローランドDGは提案に慎重な姿勢を示した。理由に挙げたのが「ディスシナジーの発生懸念」だ。ブラザーとの協議を繰り返すも、やはり懸念が拭えないことを理由に今年2月2日、協議の中止をブラザーに伝達した。

2度目の提案は協議中止から4日後の2月6日。TOB価格を1株あたり4850円に上げると伝えた。だがローランドDGの意思は変わらず、2月9日に再度TOBについての検討中止をブラザーに伝達した。

その日、タイヨウがMBOを前提としたローランドDGへのTOBを2月13日から始めると発表した。ブラザーは1度目の提案を行った昨年9月頃から水面下でMBOの準備が進んでいたことについて知らされていなかった。


もはや執念すら感じる今回の対抗TOBだが成功する可能性はある。

ローランドDGの株価は3月19日の終値で5460円。タイヨウはおろかブラザーが提示したTOB価格をも上回る水準だ。ローランドDGが当初描いたMBOには暗雲が漂う。

TOBに応募するかどうかを決めるのが株主である以上、その判断はTOBの価格に大きく左右される。このままMBOを進めるのであれば、タイヨウがブラザーよりも高いTOB価格を提示する必要がある。

ローランドDGは今後、取締役会などでの検討を経てブラザーの対抗TOBに対する推奨・非推奨の意を表明する予定だ。もし非推奨として3度目の拒否をする場合には、「ディスシナジー」についても踏み込んだ説明が求められるだろう。

過去の巨額買収は利益創出に課題

一方のブラザーも宿願成就の後が本番だ。

先述した2015年買収のイギリス産業印刷機メーカー、ドミノ・プリンティング・サイエンシズ社はブラザー入りして以降、売り上げ成長は続けている。ただ、利益創出に時間を要している。

買収後に投資がかさんでいる影響で、2023年3月期においてもドミノ事業の実質的な営業利益は56億円。100億円近くあった買収前の営業利益に遠く及ばない。

このブラザー史上最高額の買収となったドミノ社の事業統括は当時社長だった小池利和・現会長が就いた。今回のローランドDGへのTOBも小池会長が陣頭指揮を執っているとみられる。

ローランドDGのMBO、そしてブラザーの対抗TOBの行方を握るのは現状、タイヨウの出方にかかっている。勝敗が決するまでにもう一波乱ありそうだ。

(吉野 月華 : 東洋経済 記者)