「CHELSEA(チェルシー)」販売終了のニュースに、消費者の動揺が広がっている(出所:明治HP)

明治のキャンディー商品「CHELSEA(チェルシー)」が販売終了となることが明らかになり、消費者の動揺が広がっている。50年以上も愛されてきた長寿商品で、テレビCMでも親しまれていたことから、「突然のお別れ」となったことに、ネット上では嘆きともいえる声が飛び交っている。

筆者が長年のネットメディア編集者の経験で感じるのは、商品への「愛」は、ときに販売促進につながる一方で、コミュニケーションの仕方によっては、かえって悪印象を残しかねないということだ。

53年間にわたり愛され…2024年3月末で販売終了

チェルシーは1971年誕生。商品公式サイトによると、「キャンデーの新しい分野を切り拓く」ことを目的に、市場調査を経て開発された。

作詞・安井かずみ、作曲・小林亜星によるCMソングは、初代の「シモンズ」を皮切りに、その時々の人気歌手に歌い継がれてきた。「あなたにも、チェルシーあげたい」のキャッチフレーズとともに、多くの人が耳にした機会があるだろう。

そんなチェルシーが、2024年3月末で販売終了になるという。各社報道によると、明治は販売終了の理由として、市場環境や顧客ニーズの変化による収益性の悪化を挙げている。

実際、本件を受けて筆者と担当編集者で、スーパーマーケットやコンビニ等に足を運んでみたが、どこも売っていなかった。売り切れていたのではない。そもそも、取り扱いがなかったのだ。ネット上では「最近見てないような……」という声も多く見られたが、気づかぬうちに姿を消していっていたのだろう。

そんなチェルシーだが、それでも心の奥底に記憶として残っていた人は少なくなかったようで、販売終了のニュースが3月4日ごろ報じられると、X(旧ツイッター)ではトレンド入りした。

53年間にわたり愛された商品とあって、SNS上では「惜しむ声」が相次いでいる。加えて、終了まで1カ月を切ってからと、あまりに短すぎるお別れのときとあって、早くも店頭では品薄になっているとの投稿も流れ、「メルカリ」などのフリマアプリで高額転売されるなど、ある種の社会現象になりつつある。

長寿商品にも大鉈を振るってきた明治

そんなチェルシー終売の報を聞いて、筆者がまず抱いたのは「明治の販売終了は、いつもニュースになるな」との感想だった。裏を返すと、どれだけの長寿商品であっても、容赦なく大なたを振るうからこそ、消費者には衝撃を与えてきたのだろう。

ここ10年を振り返っても、ポポロンやカルミン(2015年)、サイコロキャラメル(2016年、後に北海道限定商品として復活)、ひもQ(2019年)、もぎもぎフルーツグミ(2023年)といった知名度の高い商品が、生産・販売終了となった。

また、XYLISH(キシリッシュ)ブランドがガムからグミへ移行したり、カールが西日本限定商品になったりなど、ブランドそのものは継続するものの、大きく方向転換するケースも相次いでいる。

ちなみにカールの販売エリア変更時も、今回のチェルシー同様に、市場環境や顧客ニーズの変化による販売低迷が理由として挙げられていた。

公式サイトのQ&Aでは、「完全に販売を終了せざるを得ない状況」だったものの、「長年ご愛顧いただいた商品であるため、ブランドを残す方向で検討」した結果、グループ企業の四国明治株式会社で生産し、関西以西で販売すれば「何とか収益性が確保できる」と判断したと、かなり赤裸々に説明されている。

こうした終売の歴史でもわかるように、明治は「思い出補正」にとらわれず、比較的シビアに経営判断を行っている印象を受ける。

しかし、消費者の視点に立ってみると、ノスタルジーのような「エモさ」は、ときにスパイスとなり、購買の原動力となり得るのも事実だ。

消費者の思いが、商品の味になる。その一例として、同じく明治の「きのこたけのこ戦争」が挙げられるだろう。姉妹商品である「きのこの山」「たけのこの里」をめぐって、どっちが好みかと争う人気投票。

もともとは消費者が勝手に論争していたのだが、企業側も「総選挙」としてライバル構図を明確にさせることで、さらなる購買意欲がかき立てられた。

しかし、感情ベースの関係性は、好調時には売り上げをアシストする一方、終売や「改悪」のような際には、落胆を招くマイナス要因となってしまう。

エモさに乗っかるメーカーも、いいときだけファン心理を利用しているのであれば、本当の意味で消費者に向き合っているとは言いがたい。たとえ悲しい結末であっても、少しでも衝撃を和らげ、軟着陸できるよう、消費者を導くほうが望ましいだろう。

その点で言えば、チェルシーの「お別れ」は唐突感を残し、だからこそショックが広がっているのではないか……そんなふうに、筆者には感じられた。

「突然の幕引き」はショックが大きい

嘆き悲しむ消費者は、商品がなくなることそのものより、むしろ「突然の幕引き」となったことにショックを受けているのではないか。心の準備期間が十分に設けられていれば、またその印象は異なったように思える。

商品にともされた危険信号に気づいていれば、買い支えの余地もあっただろう。そうすれば、メルカリ等での転売も目立つことにならなかったかもしれない。さりげなくSOSを伝えるメーカーと、言われなくても察する消費者で、良好な関係性を築ければいいのだが、なかなかそうはいかない現実が見て取れる。

宣伝戦略としても、落ち目より、売れ筋や新商品をアピールしたほうが効果的。結果として、消費者は販売終了を決定事項として知り、「もっと早く教えてくれていれば、なんとかなったのでは」との後悔が残り、メーカーへの不信感へと変わることもある……というのは筆者の考えすぎかもしれないが、とはいえ、ロングセラーの販売終了は、それだけ難しいものなのだろう。

たとえば、心の準備という意味では、「一定期間後の終売」をアナウンスするのはひとつの選択肢だろうが、期間の設定を見誤ると、ネガティブな印象を残しかねない。ちょっとでも「最後にひと稼ぎしようとしているな」とか「引き留めてもらいたいだけか」などと感じさせてしまえば、むしろ企業イメージの悪化につながってしまう。たまに街中で見かける、いつまでも閉店セールが続く店のようなものだ。

また、メーカー側の事情なのに、エモく演出しすぎるのも逆効果となりかねない。明治の競合である森永製菓は、かつて「ハイチュウ」のグリーンアップル味が生産終了(アソートタイプでは継続)になると、大々的なキャンペーンを行った。人気声優を起用したウェブ動画では、入れ替わるように登場した新製品「うまイチュウ 青りんご味」との世代交代が描かれていたが、これも人によっては拒否感を示す可能性があるだろう。


「生産終了を決めたのはそっちでしょ…」と思わなくもなかった、ハイチュウのグリーンアップル味(スティックタイプ)終売

であれば、どのような見せ方がベストなのか。全国規模で販売される物流面でも、SNS上で一斉拡散される情報流通の面でも、ほどよいあんばいでコントロールするのは至難の業だ。

そう考えると、今回のチェルシーのように、終売直前に公表するというのは、それなりに正攻法なのかもしれない。過去には、数カ月後になって終売が報じられた老舗菓子も存在した。「とっくに消えていた」と知らされるときの喪失感と比較すれば、アナウンスがあるだけ良心的に感じられる。

ただ、希望を言えるのであれば、「一部エリアでの販売終了」的なイベントを挟みながら、それとなく終売に近づいているサインを出してくれると、消費者のショックも和らぐのでは……と筆者は思うのだ。それだけ、明治は愛されている商品を、多く抱えている会社なのだから。

長寿商品の最後が「メルカリで高額転売」は悲しい…

終売はもちろん、閉店やサービス終了など、惜しむ声はSNSで話題になりがちだ。一方で、こうした発表の際には「それだけ悲しむのなら、売り上げが減る前に買っておけよ」といった水を差す声も、ほぼ必ずセットで投稿される。

そうした指摘も、たしかに一理ある。ノスタルジーだけでは飯が食えない、これまた悲しい現実だ。しかしながら、消費者側が「いつまでも存在し続ける」と錯覚していたのであれば、市場原理だけを理由に批判するのは、あまりに短絡的な気もしてしまう。

いまメルカリに目を向けると、通常200円前後で売られている袋入り商品が、1袋1200円ほどの値付けで出品されている。本来のファンに届かないとなれば、半世紀にもわたって愛された人気商品の最期としては、あまりに悲しすぎる。

どうにかして、少しでもいい別れにできないものか。「最近買ってなかったけど、なくなるなら最後に買いたい」と思う気持ちを、うまく軟着陸させる手法を、誰もが待ち望んでいる。

(城戸 譲 : ネットメディア研究家・コラムニスト・炎上ウォッチャー)