画廊と美術館での学芸員経験をもち、現在は美術エッセイストとして活躍中の小笠原洋子さん。高齢者向けの3DK団地でひとり暮らしをしています。持たない暮らしをしている小笠原さんですが、その理由のひとつに実家の大がかりな片づけを経験したからだと語ります。小笠原さんの新刊『財布は軽く、暮らしはシンプル。74歳、心はいつもエレガンス』(扶桑社刊)より、60歳前に経験したという実家の片づけについて抜粋で紹介します。

実家の片づけを経験してみて

今でこそ、持たない暮らしが板についていますが、それは大がかりな実家の片づけを体験してこそでしょう。私が60歳になる前に、家族はそれぞれ独立したり亡くなったりして、実家を処分することになりました。

ひとり身となった病身の母と数年間同居し、母の亡き後、最後に残ったのが私だったのです。50年前、7人の家族が暮らし始めたこの住まいは、半世紀後にはガラクタで満ち満ち、その処分には相当なエネルギーを要しました。

私には、気軽に手助けしてくれるような友人や仲間はいません。人づき合いの下手な性分は、自ら「あくまでひとり」の人生を選択したせいでもありました。ここに至ったのは、私はなんでもひとりですることが好きな結果です。さあ、とにもかくにもやるしかありません。

第一に、家屋を解体するために家具を片づけること
第二に、土地を売却すること
第三に、自分の転居先を決めること
これが当時の私に課せられた仕事でした。

 

大がかりな家族全員ぶんの家具の片づけ

第一課題の、家族の大量の細かい遺品を捨て、大型家具を処分すること。私がひとりで行ったことは以下です。

・むやみに廃棄できず、裁断などを要する文書や証書などと、そのまま捨てられるものを分別
・廃品を袋に入れたり、ヒモ掛けして、ゴミ収集場まで運ぶ
・大小多種の雑貨類を分別。それぞれの廃棄法の検索
・家族の膨大量の衣類、その他個人の書籍などの分類と廃棄
・家電や応接セットなど大型家具の処分。それらを再利用できるか選別

それぞれ混在しないように一部屋にまとめ、私の力では動かせない家電や家具類は、引き取り業者に助けを求めました。各々の廃棄プランを練りながら、細かいものから開始し、半年かけて全部処分しました。

その途上では、引き取り業者との折衝や、10畳分カーペットの扱いや、伸び放題のまま隣家を脅かしていた庭樹の伐採、板塀の倒壊、10か所に及んだ雨漏り、扉や窓のガラスが割れる事件やネズミの到来事件など、予想もできないことが起こりました。それらに対応するのには、それぞれ数日、数週間かかり、生涯であれほど身を削るような労働をしたことはなかったでしょう。今振り返ると、じつはおもしろかったのです。

実家の土地の売却

第二課題の土地売却は、不動産屋とできるだけ密に打ち合わせながら数か所の買い手候補から、一つの建築業者を選びました。土地の値段が下がりだした頃の時期に当たり、予想どおりの安値でした…。

ひとり住まいの新居探し。選んだ場所は郊外の団地

そして第三課題。実家を売却したお金で購入する私自身の新居探しです。当時もう高齢だったこともあり、不案内の土地よりは、実家に近いところに住んだほうが地の利がいいと思いましたが、東京23区内では、手頃な物件がありませんでした。

実家の遺品廃棄料に予想以上のお金がかかったため、捨てきれなかった家具などが残され、手の届きそうな中古物件でもワンルームマンションには、とても収まらない量だったのです。

そのとき不動産屋が、私にも買えそうな郊外の分譲団地はどうかという案を出してくれました。かなり遠地のイメージがある、しかも慣れない巨大団地などは、当初とんでもないと思ったのですが、見学も勉強だと思い直して案内してもらうと、なんと緑豊かな土地柄と、行政規模での林野の手入れ。じつに都会的な街並みと自然とのハイセンスな混合体に驚きました。

物件の広さも、改装されていた間取りも想像以上で、私には理想的でした。
この地との遭遇は、まさに「出合い」だったのです。

とはいえ、その後10年で売却をすることになるのですが…。