三浦颯太が最新!川崎フロンターレ、全員日本代表の“裏番”「背番号13の系譜」
ヴァンフォーレ甲府から今季加入した川崎フロンターレにおいて、早くも欠かせない戦力となっている三浦颯太。
23歳の左サイドバックは、今年1月1日の親善試合タイ戦で日本代表デビューを飾ったことでも知られる。
彼が川崎でつけている13番は、実は過去20年以上にわたり、日本代表、もしくは後の日本代表しかつけていない背番号だ。
「14番」がエースナンバーとして有名な川崎だが、その“裏番”とも言える「13番」を三浦颯太以前につけていた5名の名選手を紹介する。
寺田周平
1975年6月23日生まれ(48歳)
「13番」着用期間:2003-2010
今季から福島ユナイテッドFCの監督に就任した寺田周平は、13番を着用した年月は今回の中で最長。いまだに「川崎フロンターレの13番」として真っ先に思い浮かべる人も多いことだろう。
ただ、1999年に東海大学から加入した当初の背番号は6番。13番はFC東京から期限付き移籍で加入していた加賀見健介の後、2003年から寺田の手に渡り、クラブとともに成長して日本代表選手になっていった。
ちなみに、加賀見の前に3年間13番をつけていたのは浦田尚希。引退後、2013年から埼玉平成高校で監督を務めており、教え子の一人が2022年に川崎へ加入した佐々木旭である。
山瀬功治
1981年9月22日生まれ(42歳)
「13番」着用期間:2011-2012
今季、レノファ山口FCでプロ25年目のシーズンを戦っている山瀬功治もまた、川崎の13番を背負った選手だ。
2005年に加入した横浜F・マリノスで日本代表デビュー。国際Aマッチ13試合出場5ゴールという数字だけを見ても非常に優秀な攻撃的MFだったことが分かる。
2011年に川崎フロンターレへ移籍すると、前季限りで引退した寺田の13番を継承。1年目からリーグ全34試合に出場し6ゴールを決めた。
チーム自体が過渡期だったため2年目は思うような結果が残せなかったが、「背番号13の系譜」に相応しいタレントであることは間違いない。
大久保嘉人
1982年6月9日生まれ(41歳)
「13番」着用期間:2013-2016
山瀬が退団した年にヴィッセル神戸から加入。大久保嘉人自身はJ2へ降格した神戸でプレーする意思を固めていたが、クラブから移籍を勧められたため、熱心なオファーを送った川崎への移籍を決断した。
10代の頃からフットボーラーとしての才能を高く評価され、すでにスペインやドイツでのプレー経験もあった大久保。しかし、川崎の地で前年に就任した風間八宏監督のもと、“本当の姿”をついに現した。
独特の攻撃スタイルの中で点取り屋として開眼。2013年に自身初のJ1得点王に輝くと、そこから3年連続で王座を譲らず。
ゴール数を表す「ヨシメーター」が等々力の名物となった彼の大活躍もまた、13番という数字とともに記憶されている。
三好康児
1997年3月26日生まれ(26歳)
「13番」着用期間:2017
2015年にプロ入りした当時「アカデミー史上最高傑作」と評され、中村憲剛の大卒1年目と同じ26番を与えられた“天才”三好康児。
そんな彼がプロ3年目の2017年につけたのが、大久保がFC東京へ移籍したことで空いた13番。「13番をつけさせてもらうということは、今まで以上にこだわりや責任感を持たなければいけないなとは思っています」と当時クラブ公式で語っている。
翌2018年に北海道コンサドーレ札幌でブレイクすると、同じく期限付き移籍で加入した2019年の横浜F・マリノス時代、日本代表として参加したコパ・アメリカのウルグアイ戦で2得点。
夢だった欧州への道を切り拓き、ベルギーのロイヤル・アントワープで4年間プレーしたのち、今季からイングランド2部バーミンガムの一員となっている。
山根視来
1993年12月22日生まれ(30歳)
「13番」着用期間:2020-2023
最後は、三浦颯太の前任者である日本代表サイドバック。13番に2年の空白期間があったのは三好の移籍がいずれも期限付きだったためだとみられる。
桐蔭横浜大学からプロ入りした湘南ベルマーレで3バックにコンバートされた山根視来。川崎でいきなり右サイドバックに起用されると、あっという間に不動の存在となった。
その高い攻撃性能に、森保一監督も着目し、コロナ禍の2021年3月に開催された韓国との親善試合に初招集。山根は鮮烈な初ゴールで期待に応えてみせた。
その後も川崎の中心選手として活躍し、2022年のカタールワールドカップ出場。今年、自身初の海外挑戦として、MLSのLAギャラクシーへ移籍し先日デビューを果たした。