江川卓が20奪三振 完敗の敵将はなんとか1安打で「完全試合にならなくてホッとした」
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衝撃の甲子園デビューから4日後の3月31日、大会5日目第2試合、作新学院(栃木)対小倉南(福岡)戦。
朝からどんよりした天候にもかかわらず観客の出足は好調で、第1試合が始まる頃には一塁側スタンドを除いて、入場券は完売。「大会5日目で入場券完売はいまだかつてない。これも"江川人気"のおかげでしょう」と、大会関係者はほくほく顔で話す。
自身初の甲子園でも怪物ぶりを発揮した江川卓 photo by Sankei Visual
約5万人の観衆が見守るなか、江川卓が第1球を投じた時に事件は起こった。まだプレーボールのサイレンが鳴りやまないうちに、小倉南の1番打者・山内達幸がドラッグバントを仕掛けたのだ。「コツッ」と鈍い音が鳴った。打球は力なく一塁線に転がりファウル。その時だ。約5万人の大観衆が一斉に拍手喝采。
「当たった! 江川の球を当てたぞ!」
「すごいすごい、当てた!」
「初球から当てたぞ!」
球場のあまりの騒ぎに、山内は何が起こったのかわからない顔をしながら、再びバッターボックスに入る。いきなり当てられたことが癇(かん)にさわったのか、江川は力の入った剛球を投げ込み空振り三振。それでも観客から「でかしたぞ!」と賛辞の声が送られた。
3回表、この回先頭の日高正文が三塁側にセーフティーバントを決め内野安打で出塁すると、小倉南応援団はお祭り騒ぎ。
「これでノーヒット・ノーランはなくなったぞ。よくやったぁ〜日本一!」
「江川からヒットを打ってくれるだけで満足だぞ!」
もはや勝負は二の次。いかに無様な負け方をしないかが、応援団にとっては重要だったのだ。
一方の江川は、走者が出ると途端に目の色を変えてストレート中心に投げ込み、打者はスピードにつられて高めの球を空振りする。試合途中から小倉南はバント戦法に出るが、球速に押されて打球はことごとくフライになり、江川攻略どころかむしろ助ける形になってしまった。打たれたヒットは3回の内野安打だけで、7回まで計10奪三振。
8回からは控えの大橋康延が登板し、結局8対0のワンサイドゲームで作新が勝利した。
試合後、江川の表情から完全に笑顔が消え、報道陣の矢継ぎ早の質問に対しても「別に記録もつくれませんでしたし、これといって話すこともありませんので......」と、相変わらずぶっきらぼうに答える。想像以上に押し寄せるファンとマスコミの対応に、困惑気味の江川であった。
【四国の雄から20奪三振】4月3日、準々決勝は四国の雄・今治西高(愛媛)との対戦となった。四国大会を圧倒的な勝ち方で甲子園出場を決めた、優勝候補の一角である。選手たちは「絶対に江川を打ってやる!」と、対戦を楽しみにしていた。
1回裏の今治西の攻撃、1番の曽我部世司が「江川と言っても、同じ高校生だろ。オレが打ってきてやるから見てろよ!」と威勢よく打席に入るが3球三振。それでもベンチに戻ってくると「打てるぞ!」と檄を飛ばすが、試合終盤には「打てるか」と言い出す始末。結局、曽我部は3打数3三振。
立ち上がりは寝不足で体が重いと感じていた江川はスピードが乗らず、2回にこの回先頭の渡部一治に甘く入ったストレートを芯でとらえられ、レフトにいい角度で打球が上がった。「行ったかぁー」と今治西ナインは思ったが、フェンス手前で失速してレフトフライ。だが渡部は抜けたと思い、二塁ベース上で悠々と立っている。審判の「アウト」のコールに「えっ??」と驚きの表情を見せて、納得いかない様子でベンチへと戻っていった。これが江川から打った打球のなかで、一番の会心の当たりだった。
江川は3回の攻撃で、右方向へ強烈なライナーを放ち、今治西のライト・渡部隆史が目測を誤り、頭上を越す二塁打となった。この一打で気をよくした江川は、ピッチングにも熱が入りテンポよく打者を抑えていく。
7回一死までパーフェクト。球場内もざわめき始め大記録への期待が高まるものの、江川が投じた99球目のど真ん中のストレートを3番・田鍋良忠が緩いハーフライナーでセンター前に運び、惜しくも大記録達成はならなかった。
今治西のエース・矢野隆司は、同じピッチャーとして江川の球の回転に驚いた。
「1打席目の初球、ど真ん中にドーンときました。速かったです。キャッチャーを見たら、ホップするボールをこぼさないようにミットをしっかり押さえているんです。『速いなぁ』ってついこぼすと、キャッチャーは『これで5から6分程度かな』と。そして次に投げたボールがワンバンドになると思ったら、途中からグググッとホップして『もう失礼しました』って感じですよ」
8回二死から代打で出場した1学年下の宇高隆は、この打席が強烈な印象として記憶に残っている。
「強がりでもなんでもなく、最初はボールが見えていました。『来たっ!』と思ってスイングしたらファウル。それでツーストライクからカーブが来て、体を崩されて空振り三振です。全然見えませんでした」
試合は3対0で作新の完勝。江川は142球を投げ、被安打1、四球1、奪三振20。四国王者の今治西でさえ、江川に対して手も足も出なかった。
4番の渡部が、江川との対決の思い出を語ってくれた。
「江川のすごさは言葉では表現しにくいんです。とにかく選手、監督時代も含めて、あれだけ速いボールを投げるピッチャーを見たことがありません。たまに1・2・3のタイミングで打てるピッチャーはいますけど、江川は早い始動で1・2・3とやってもボールはもう目の前ですから。でも甲子園球児として、江川のような伝説的なピッチャーとやれたことは幸せですよね」
試合後、今治西の監督・矢野正昭はこんなコメントを残している。
「選手には内緒ですが、完全試合にならなくてホッとしましたよ」
じつは矢野はこのセンバツを最後に退任する予定だったが、20三振の雪辱を果たすため、夏まで延期してもらったという。
「このままでは引き下がれません。夏、必ず作新は出てきますから、甲子園で雪辱を果たすまではやらせてください」
センバツから戻った今治西は、県下屈指の進学校ということもあり、練習に長時間割くことができず、効率のいい練習法を心がけるしかない。4月下旬から新たな練習メニューとして、腕立て、腹筋を各100回ずつ。江川のスピードに負けないためには、パワーをつけるしかないと、矢野は体力強化を図ったのだ。それもこれも、すべては「打倒・江川」のためだった。
江川卓(えがわ・すぐる)/1955年5月25日、福島県生まれ。作新学院1年時に栃木大会で完全試合を達成。3年時の73年には春夏連続甲子園出場を果たす。この年のドラフトで阪急から1位指名されるも、法政大に進学。大学では東京六大学歴代2位の通算47勝をマーク。77年のドラフトでクラウンから1位指名されるも拒否し、南カリフォルニア大に留学。78年、「空白の1日」をついて巨人と契約する"江川騒動"が勃発。最終的に、同年のドラフトで江川を1位指名した阪神と巨人・小林繁とのトレードを成立させ巨人に入団。プロ入り後は最多勝2回(80年、81年)、最優秀防御率1回(81年)、MVP1回(81年)など巨人のエースとして活躍。87年の現役引退後は解説者として長きにわたり活躍している