ギラヴァンツ北九州・小林伸二前監督インタビュー 後編

ギラヴァンツ北九州で5年間スポーツダイレクターと監督を務めた小林伸二氏をインタビュー。後編ではJ2やJ3などJリーグの「下位チーム」が直面する現状と、この先とるべき対策について聞いた。

前編「小林伸二が語るJ2・J3の沼の正体」>>

【「どんどん選手が変わっていなくなる」】

 2021年、前年の主力が2人だけ残ったチームがスタートした。チーム人件費は4億4900万円。前年から1億2000万円近くアップさせ、シーズンに臨んだ。

 小林は再びトレーニング強度を上げ、チームを構築していこうとした。キャンプでは手応えもあった。しかし、体力的に続かない。また、2年間かけて積み上げてきた戦術は、新加入選手には浸透しきれなかった。22チーム中21位で、再度J3降格となった。


ギラヴァンツ北九州の小林伸二前監督に、J2・J3の苦しい現状を聞いた photo by Getty Images

 この年のオフ、小林は地元の「胸スポンサーとなってくれるような大きな企業」の関係者からこんな話を聞いて、ドキッとした。

「2年前に会社の人がギラヴァンツの選手のことを好きになった。でもどんどん選手が変わっていなくなるんだったら、誰を応援していいかわからないと言うんです」

 Jリーグは地域密着を謳っているけど、本当にそれを目指しているのか、という強い意見だった。地域にいる選手だから好きなのに、すぐにいなくなる。やっと好きになったのに、すぐに次、というわけにもいかない。こんなに選手の回転が早いとついていけないと。

 小林はなんとか「クラブ自体を好きになっていただけないでしょうか」と答えるしかなかった。

 再びJ3で戦うこととなった2022年、小林自らは強化担当のスポーツダイレクター専任となり、自らの下でヘッドコーチを務めてきた天野賢一を監督に据えた。

「ちょっとお金がかかってても1年で上がりたかったシーズン」のトップチーム人件費は3億700万円。前年比8300万円減だったが、J3で3番目、Jリーグ全体でも38位で、J2の下位3チームよりも多い金額だった。しかし昇格争いに絡むことなく13位に終わった。

【J3最下位に逆戻り】

 2023年はより難しい状況となった。

「本当はヘッドコーチとGKコーチに残ってほしかったんですよ。でも...指導者すら引き抜かれる時代ですから」

 自身はスポーツダイレクターとして、大卒の若い選手たちを集め、経験のある田坂和昭監督がそれを率いる体制をイメージした。今一度フィジカルを上げて戦っていく方針を示したが、うまくはいかなかった。

「2〜3年かけて選手を育てたのに、外に出ていく。そういった選手はシーズンの80%は試合に出場しているわけです。残った選手は1人を除いて、ほとんどが30%〜50%だけ出場してきた選手で、彼らでチームを構成しなきゃいけないんです。大まかに言うと、そこに大卒の新人選手を加えるという構成でしたね」

 田坂は最下位のチームが9月2日の第25節FC今治戦に敗れ、ひとつ上の21位と勝ち点6差になった後に辞任。小林が再び監督として指揮を執ることになった。

 小林はシーズン終盤、今季から導入されるJ3下位チームとJFL上位チームとの入れ替え戦(プレーオフ)を戦う覚悟までも決めていた。

「その時だけ勝とう、としても無理だと思っていました。だからリーグ終盤はプレーオフを想定した戦い方をしていました」

 11月26日のJ3リーグのホーム最終戦、試合中にスマホを見たコーチングスタッフが駆け寄ってきた。

「なくなりました」 
「何が?」 
「プレーオフです」

 プレーオフの対象となっていたJFL2位のレイラック滋賀が、試合終了間際の失点でドローに終わり、変わって2位に浮上したブリオベッカ浦安にはホームスタジアム規定によりJ3リーグ参加資格がなく、プレーオフ開催を免れたのだった。

 こうして小林の5年間は幕を下ろした。

【上位クラブへ選手が移る流れは止められない】

 昇格1年目に成績が急上昇。しかしここで上位カテゴリーへの昇格を逃すと「草刈り場」となり、翌年以降危機的状況が訪れる。Jリーグでは似た出来事がたくさん生じている。近年ではJ2のロアッソ熊本、J3のテゲバジャーロ宮崎が躍進の後年に大きく順位を落としている。

 その背景にはJリーグとヨーロッパとの関わりもある。小林はこう見ている。

「先ほども言ったように、Jリーグはいまや欧州5大リーグに選手を供給するリーグになっています。ではJリーグ自体がどうなっていくのか。世界のなかで『選手を供給する側』に回るなかで、『国内では1チームから2チーム、超ビッククラブを作ろう』という方向にすでに舵を切っていると思いますよ。

 国内の流れで言うと、30年の歴史のなかで1998年に横浜フリューゲルスが合併吸収された際には『共存共栄』という考え方が強かったですが、今は競争に向かっている。

 5大リーグに選手を供給するリーグという点で言えば、ポルトガルがそうですよね。限られた数のクラブが超ビッグクラブになっています。ベンフィカ、スポルティング、ポルトなどだけが世界に知られていて、放映権も獲得できる。フランスは5大リーグに違いありませんが、それでもパリ・サンジェルマンという突出した存在があり、その放映権によって国内リーグが潤うという。

 Jリーグもそうなった時に、J2やJ3のクラブは国内リーグの上位クラブに選手が移っていく流れをますます止められなくなると思います」

 一方で栄華を誇るチームはJリーグでもほんの一部だ。全60チームのうち、多くは決して潤沢ではない資金をやりくりしての運営となる。小林には現状を変えるため、ひとつの提案がある。

「もう少し複数年契約をした選手の移籍金の設定を考えたほうがよいのではと思うのです。現状は『この金額なら出ていける』という設定が先立っています。それと合わせて『この金額ならクラブに残せる』という設定ももっと考慮されたらな、と思います。

 今の制度だとお金が残るのは、選手が1番、ひょっとしたら代理人が2番、そして3番目に会社(クラブ)ということになっています。会社になかなかお金が残らない。選手がチームを移る自由を尊重する一方で、チーム側も選手を残してチームの成績を上げて、クラブの営業成績も伸びて、お金を作るという選択肢がもっと生まれてくれば、と思いますね」

 そんな考えが頭をよぎるが、目の前にある現場を戦わなければならない。小林が選んだ道は「地域に合うサッカー」だった。

「この北九州という地域がアグレッシブで、積極的なことを臨む地だと聞いて、やっぱりよく走る攻撃的なサッカーが喜ばれる。そう思ったんです。その基準に合った選手が入っていって、出ていく。そういう準備はやって、移籍マーケットに準備してきました」

【アカデミーの充実は必須】

 ただし、ひとつ小林がギラヴァンツでやりきれなかったことがあるとしたら、それはアカデミー組織の充実ではなかったか。2021年、J2からの残留の危機にある際にも小林に話を聞いたが、その際にもユースのことは心がけていた。

「極端な話、トップチームの選手が大量にいなくなったって、ユースの選手を全員昇格させれば、クラブは潰れないわけです。逆に言えば、ユースがしっかりしていなければ、クラブは潰れるでしょう」

 アカデミー組織の整備が「まだまだこれから」というギラヴァンツにあって、5年間のうちトップチームに昇格した選手は2人に留まった。

 強くならなければならない。結局はそういうことだ。その大きな要素は「カネ」だ。これが現実。Jリーグは30年かけて「欧州発祥のサッカー」の残酷さをじっくりと浸透させてきた。

 アメリカ発祥のスポーツのようにドラフトで戦力均衡化を図ったり、多くのチームに優勝の可能性が残るようにプレーオフを実施したりはしない。要はリーグの介入が最小限なのだ。日本では当然、先んじて発展した野球の事例から後者に大きな親しみがある。

 1993年にスタートしたJリーグでは、まずは「引き分け」を理解してもらい(初期はリーグ戦全戦でVゴールやPKによる決着をつけていた!)、昇格・降格の苦しみを理解してもらい(1998年から。プロ野球に降格なし)、そして今よりシビアな「下位チームが躍進したら、翌年はより資金力のあるクラブに選手が流出」という現実へ。それも主力が何人か引き抜かれるのではない。前年度のレギュラークラス8人が抜けてしまう。

 小林はそこに抗うために「地域のニーズから感じ取ったアグレッシブなサッカー」「アカデミーの充実」という手法を選択した。だが、取り組んで、結局は敗れた。J3最下位から始まり、J3最下位に戻った。Jリーグ参加資格を剥奪される寸前まで行った。

 小林は「北九州はJリーグでの苦しい経験を最初にやっているのかもしれません」という。

 確かに欧州リーグとの距離感が変わってきた今、Jリーグの大多数を占める下位クラブに及ぶ最大の変化は「アカデミー組織の存在意義の見直し」になるのではないか。そして「サッカースタイル」の選択と「明確な目標設定」が必要になってくる。
(おわり)