Jリーグ昇格請負人が悲痛な叫び「移籍の速さについていけない」 J2・J3「沼」の正体をギラヴァンツ北九州・小林伸二前監督が明かす
ギラヴァンツ北九州・小林伸二前監督インタビュー 前編
ギラヴァンツ北九州で5年間スポーツダイレクターと監督を務めた小林伸二氏をインタビュー。J3最下位から優勝&J2昇格、そしてJ3降格、J3最下位と激しい順位変動の裏で一体チームに何が起きていたのか。
【「選手を引き留めることができないんです」】「あした、引っ越しなんですよ」
そうやってホームタウンを去っていくJリーグ監督と言葉を交わしたのは初めてだった。
昨年12月中旬のことだ。
小林伸二は2023年12月いっぱいで5年間在籍したギラヴァンツ北九州を去った。すでに12月15日に来季の新監督が発表になっていた。これまでは「カントク」と呼んでいたのがこの日ばかりは「伸二さん」と呼んだ。
ギラヴァンツ北九州の小林伸二前監督に、この5シーズンで起こったことを語ってもらった photo by Yoshizaki Eijinho
1960年生まれの小林は長崎の島原商から大阪商業大を経て1983年にマツダに進み、FWとして活躍した。Jリーグ開幕前の1990年に引退後、指導者の道を歩み、サンフレッチェ広島のアカデミーの礎を築いたことでも知られる。
1999年からはトップチームの指導者に転じ、大分トリニータ、セレッソ大阪、モンテディオ山形、徳島ヴォルティス、清水エスパルスを率いた。C大阪以外では、いずれのクラブでもチームをJ1昇格に導いたことから「昇格請負人」の異名も誇る。
彼にとってのJリーグ6番目のクラブ・ギラヴァンツ北九州では、2019年からの5年間に渡り、監督、スポーツダイレクターとしてクラブに携わった。就任前年の2018年シーズン、J3で最下位だったチームを預かった後、こんな歩みを見せた。
2019年 J3 優勝 監督・スポーツダイレクター
2020年 J2 5位 同
2021年 J2 21位 同
2022年 J3 13位 スポーツダイレクター
2023年 J3 最下位 9月4日までスポーツダイレクター。以降は監督も兼任。
極端なアップダウン。この間起きた現象は、こういったものだった。
昇格直後の躍進。
→昇格にも手が届くところにありながら、結局できない。
→すると選手が大量に移籍し、翌年に大きく順位を落とす。
最後のシーズンはJ3最下位に終わった。本人のシーズンホームゲーム最終戦の言葉が強く印象に残っている。
「本当に難しく、5年前に来た選手が我々にはひとりしかいません。このJリーグの移籍の速さに我々はなかなかついていけていません。いい選手が育つ土壌がある。みなさんの応援、このピッチ、ここでプレーしたいという選手は本当にたくさんいます。みなさんの声援で選手は本当に伸びています。しかしまだ選手を引き留めることができないんです」
悲痛な叫びだった。
プロ野球よりも自由競争の要素が強いサッカー界の宿命なのか。そして「昇格を逃すと選手が大量流出」という現象は、北九州でだけ起きた特殊な事情でもない。J2やJ3の他クラブでも起き始めている現象なのだ。
【J3最下位からのJ2昇格】小林とギラヴァンツの縁は、2018年シーズン後に始まった。
この年、ギラヴァンツはJ3で最下位に終わっていた。2016年にまさかのJ3降格を喫し、再昇格は早いほうがいいに決まっているが、2017、2018年と2年連続でまともに昇格争いに関われなかった。なかでも2018年はフィジカルコーチを置かない体制を採ったこともあり、「相手ゴール前に選手が入り込めない」という有様だった。
一方の小林は2017年を最後に清水エスパルスの監督を退いた後、解説者として1年間、外からサッカーを見ていた。自身には「九州で仕事がしたい」という希望もあったなかで、「北九州が苦しんでいる」という話を聞いた。当時のクラブ社長と会い、話がまとまっていった。
「状況が厳しいというので、僕はやっぱり上げる(昇格させる)んだったら(強化責任者と監督の)兼任のほうが絶対いいと思ったんですね。要は現場の意見をそのまま社長に伝えながら早く上げていったほうがいい。本来は監督専任が正解だと思うけど、ギラヴァンツの状況を聞くとそちらのほうが良さそうだと感じたんです」
自ら選択した監督と強化責任者の兼任。小林は早速、「できることはすべてやる」といった考えから、スポンサー周りもとにかく挨拶して回った。強化費は多いに越したことはない。その現場で、地元企業から幾度か聞く声を通じて、チームのある実情を知る。
「最後にいつも点を獲られて負けるか、足が攣ってますよね」
小林はこれを聞くに「大変なことだ」と思った。だったら、やっぱり足が止まらないサッカーをやるしかない。でなくては地元で受け入れられない。もう引いたままで守れないとか、最後に動き負ける、とか、相手より多く足が攣っている姿は見せられないと。
かくして2019年のチームは新しく9人を加え、「フィジカルから鍛え直す」「攻撃的なスタイル」を標榜してキャンプからチームづくりを進めた。キャンプ序盤の徹底的なフィジカルトレーニング期間、1日2部練習。シーズンに入っても週中のウェイトトレーニングを積極的に行なっていった。
すると、守備時のプレスがハマり始め、多くの相手が当惑した。
小林の考えも変わった。開幕前は「1年目に6位あたりにつけておけば、一気に昇格も目指せるし、2年目にはJ2昇格の可能性がより高まる」と考えていた。シーズンの折り返しあたりから選手にはこう話していた。
「昇格できるから」
その他、4バックのスライド戦術や個々のポジショニングといった基本的指導も功を奏し、就任1年目での昇格を決めた。Jリーグ30余年の歴史のなかで、史上初の「前年最下位チームが優勝」という偉業だった。
【J2昇格後1年目の躍進と選手の大量流出】翌2020年シーズンは、チームとしては4年ぶりのJ2リーグでの戦いとなった。3月19日に新型コロナのパンデミックにより、早々と「降格なし」が決定した。一方で7節から15節まで9連勝、18節から21節まで首位に立つなど快進撃を見せた。
「戦術が前のシーズンから続いているからですよ。それで昇格して勝った経験が自信につながっていたんです。Jリーグでは他にも『昇格後すぐに躍進』という事例は多いですが、似た背景だと思います」
しかし、シーズン後半はそのプレスが相手に読まれ、対策をたてられた。失速し、最終順位は5位で「相手もJ3から上がってきたチームに好き勝手やられるか、という意地を見せてきましたね」
そして、このシーズンが終わる前から「引き抜き」の兆しはあった。12月に横浜F・マリノスからレンタル中だったMF椿直起(現ジェフユナイテッド千葉)の横浜FMへの復帰と、オーストラリアのメルボルン・シティへのレンタル移籍を発表された。
「本人は英語もずっと勉強していたくらいで...本人の意思がそこにあるんだったら、そこで頑張ってという話になりました」
シーズン終了後、FWディサロ燦シルヴァーノ(現湘南ベルマーレ)に対し、清水エスパルスからのオファーが届く。
「行ってみないことにはわからない。ダメだったら帰ってくればいいやっていうような感じで、行ってみろと言いました。最初に出ていくことになったのは彼ですね」
するとその後、GKの永井堅梧(現横浜FC)や、のちにカタールW杯日本代表となるFW町野修斗(現ホルシュタイン・キール=ドイツ)にオファーが相次いだ。DF福森健太(現栃木SC)やMF加藤弘堅(現長野パルセイロ)にも...いずれもJ1やJ2でより資本力のあるクラブなどからのオファーだった。
さらに、小林が「渋いライン」と称したMF藤原奏哉に当時J2だったアルビレックス新潟から声がかかり、チームのキャプテンを務めてきた川上竜(現FC岐阜)までもがSC相模原へと流出していく。多くはJ3時代に入団した選手たち。小林の下で個人のブランド価値を上げ、上のクラブから請われる存在となっていったのだ。
【「上に行くな」とは言いにくい】2020年シーズン終了後の契約交渉による"戦禍"は凄まじかった。気がつけば退団者は合計13人。同シーズンの出場時間上位11人のうち8人が退団、それら選手たちが同シーズンに挙げた得点の合計がチーム総得点のじつに3分の2以上だった。
最初のディサロ燦シルヴァーノを引き留めていれば...そんなことは思わなかったのか。そう聞くと、小林はこう答えた。
「それはできないですよ。今や『J2やJ3から国内でステップアップして、欧州リーグへ』という流れができつつあるんです。Jリーグはもうすでに、欧州5大リーグに選手を供給するリーグになっているからです。代表チームを見たって『日本はすごい』ということになっている。
そうなると、J2やJ3のクラブが他クラブからオファーのあった選手に対して『上に行くな』とは言いにくいですよ。どのみち国内に留まるのなら『ウチでいいじゃないか』とも言えるんですが。金額的にも対抗しようがないですし。北九州が大奮発して年俸1000万円に近づけようとしても、上のクラブはポンと1200万円を出してくるので」
躍進を遂げた2020年シーズンのチーム人件費の総額は3億3000万円。J3だった前年からは8000万円増だったが、それでもJ2平均の半分以下という水準だった。
後編「小林伸二が語るJリーグ下位クラブの生き残り策」へつづく>>