ライオット・ガールの象徴、スリーター・キニーが語る「喪失と鉄の絆」が生んだ新たな傑作
伝説のライオット・ガール・バンド、スリーター・キニー(Sleater-Kinney)が最新アルバム『Little Rope』をリリースした。メンバーの両親の事故死を乗り越え、グラミー賞受賞プロデューサーのジョン・コングルトンと共に制作。コリン・タッカーとキャリー・ブラウンスタインが歩んできた道のりは常に波乱に満ちていたが、2人のクリエイティビティは今作でかつてない高みに達した。
「コリンの歌声を、誰よりも私が必要としていたの」
去年の秋、キャリー・ブラウンスタインがロサンゼルスのレコーディングスタジオに向かっていると、友人でバンドメンバーのコリン・タッカーから電話があり、おもむろにイタリアの米国大使館に勤める人物の名前と連絡先を告げられた。同大使館は過去数日間にわたってブラウンスタインと彼女の妹に連絡を取ろうとしていたが、2人とも現在の電話番号がパスポートと紐づけられていなかったため、大使館員は緊急連絡先として登録されていたタッカーに連絡した。当初タッカーは何かしらの詐欺行為を疑ったが、そうでなかった場合のことを考えて電話をかけたのだった。
ブラウンスタインはその旨を妹に伝え、それから仕事に向かった。2時間後にセッションを一区切りさせた時、彼女は妹からの着信履歴に気づいた。電話を掛け直したブラウンスタインは、妹の口からショッキングな知らせを聞かされた。イタリアで休暇を楽しんでいた2人の母親と継父が、4日前に自動車事故によって命を落としたという。
左からキャリー・ブラウンスタイン、コリン・タッカー(Photo by Chris Hornbeck)
事故の発生前から、ブラウンスタインとタッカーはスリーター・キニーのアルバム制作を進めており、その時点で曲の大半が書き上がっていた。それでも、そのあまりに残酷な悲劇は、長年マイクを交換し合う中で培われてきた2人のクリエイティブプロセスを揺るがした。
「過去のアルバムの多くで、私たちはメインボーカルの役割を共有してきた」とブラウンスタインは話す。「互いにバトンを渡すみたいに」。母親が他界した後のことについて、彼女はこう打ち明ける。「ギターに専念したいと思った。当時の私に、歌うためのエネルギーはなかったから」。
1年後、ブラウンスタインとタッカーは遠隔取材の場で、1月19日にリリースされる11枚目のアルバム『Little Rope』の制作エピソードについて語っていた。晩秋の午後、オレゴン州ポートランドにある2人の自宅のカメラ脇では、飼い犬が静かに寝息を立てている。
「あの事故が起きたことで、アルバムの全体的なトーンが変わった」とタッカーは話す。「言葉にならないほどの喪失感を経験して、それがすべての曲に影響したと思う」
孤独と悲しみに打ちのめされ、大切な人からの愛を自分がどれだけ必要としているかを理解することで自分の脆さを知るという経験は、過去3年間の世界を生き抜いた人なら誰もが身に覚えがあるはずだ。そういった複雑な感情と、捻りの効いたメロディと楽曲を作り直すプロセスが、新作『Little Rope』を生み出した。その内容は実に見事だ。本作は興奮と切迫感に満ち、ギリギリのところで踏ん張っているという緊張感がみなぎっている。
スリーター・キニーの歩みと「家族」の絆
太平洋岸北西部を中心とするライオット・ガールのシーンが隆盛を誇っていた90年代半ばに登場して以来、スリーター・キニーはその猛烈なエネルギーで頭角を表してきた。彼女たちはシャープかつタフで脈打つような歌詞を紡ぎ、敬意を要求し、パーソナルな価値観と政治的見解に境目を設けようとしない。タッカーの唯一無二のシャウトと、ブラウンスタインの圧倒的なギターテクニックを武器に堅固なファンベースを築き上げた彼女たちは、特に女性によるロックバンドを切実に欲していた女性たちの共感を呼んだ。
1995年撮影のスリーター・キニー、左からジャネット・ワイス、コリー・タッカー、キャリー・ブラウンスタイン(Photo by Lindsay Brice/Getty Images)
1997年のライブ映像
ブラウンスタインとタッカーは、2006年に活動休止を発表するまでの10年間で7枚のアルバムを発表した。そして2015年発表の傑作アルバム『No Cities to Love』を皮切りに、バンドは第2期に突入する(今となっては第1期とほぼ同じ長さとなった)。だがこの間に、バンドは大きな変化をいくつか経験することになる。1997年発表の出世作以降活動を共にしてきたドラマーのジャネット・ワイスは、バンドにおける自身の存在意義の変化を理由に、4年前にバンドを脱退した(ワイスは出演したポッドキャストで、脱退の経緯について語っている。「『私はもうただのドラマーでしかないということ?』という私の問いに、2人はそうだと答えた。『バンドのクリエイティブ面にはもう貢献していないということ?』と訊くと、2人はノーと言った。だから私はバンドを去ることにしたの」)
当初は軋轢を生んだものの、3人は今も連絡を取り合っているという。「誕生日にはお互いにメールを送ってる」とブラウンスタインは話す。「家族みたいなものね。バンドのあり方が変わった今、それが私たちの関係を最も的確に表現する言葉だと思う」。
「彼女がスリーター・キニーの物語の一部であることは、これからも変わらない」とタッカーは付け加える。「私たち2人とも、彼女のことをいつも気にかけてる」。
本誌寄稿者のロブ・シェフィールドが「アメリカが生んだ最高のパンクバンドのひとつ」と評してから約30年間が経った今、タッカーとブラウンスタインはお互いが発する言葉を補完できるに違いない。2人がそうしないのは、相手が話す言葉に耳を傾けることが純粋に好きだからだ。長年にわたる努力の結晶であるこのクリエイティブなパートナーシップを、2人は生涯をかけて守ろうとしている。
新章の幕開け「立ち止まるつもりはない」
『Little Rope』の制作における背景は、これまで以上にタッカーのボーカルにスポットライトを当てることになった。「私は個人的に歓迎しているし、誰よりも私がそれを必要としていたの」とブラウンスタインは話す。
しかしタッカーにとって、アルバムのテンションに合致するだけのボーカルパフォーマンスを引き出そうとするプロセスは苦痛さえも伴った。「Untidy Creatures」や、2ndシングルの「Say It Like You Mean It」のような感情がダイレクトに伝わってくる楽曲を歌うには、並々ならない覚悟を必要とした。
彼女は「Say It Like You Mean It」を完成させるまでの苦労を口にするが、ブラウンスタインとプロデューサーのジョン・コングルトン(昔からスリーター・キニーの大ファンだと公言している)は、タッカーの背中を押し続けた。
「僕にとってのバンドの最大の魅力のひとつは、心の奥深くにある感情を呼び起こすようなコリンのボーカルだった」とコングルトンは話す。「耳馴染みの良さなんて気にせずに、全身全霊で歌ってほしい。そう伝えたんだ」。
その日タッカーは真夜中に目覚め、「Say It Like You Mean It」の別テイクをスマホに吹き込んだ。「この曲が持つ逼迫感、喪失への共感を表現するに足るメロディが浮かんだの」と彼女は話す。
「このアルバムでの彼女のボーカルは、バンド史上屈指の出来だと思う」とブラウンスタインは話す。「いちリスナーとしてもバンドメンバーとしても、このアルバムでの見事にコントロールされたボーカルには心を揺さぶられる」(彼女は笑ってこう続けた。「要するに、私自身がコリンの大ファンだってこと」)。
現在49歳のブラウンスタインと50歳のタッカーは、クリエイティブであり続けることが大切だと考えている。「アルバムを作るたびに、自分たちを再発明する必要はないと思ってる」とブラウンスタインは話す。「私たちはまったく新しい、ラディカルなものを作ろうとしているわけじゃない。フリージャズやカントリーに挑戦しようとしているわけでもない。このバンドでやるべきことを理解した上で、どこまで柔軟になれるかを見極めようとしているの」
その意味を説明する目的で、2人は最近聴いているアーティストたちの名前を挙げてくれた。ロザリア、ペイルハウンド、ブロンドシェル、オリヴィア・ロドリゴ等。その一方で、ルシンダ・ウィリアムスやニック・ケイヴ等、昔から尊敬しているアーティストたちの作品を聴くことも多い。「ルシンダ・ウィリアムスもオリヴィア・ロドリゴも、どっちも必要なの」。
「今の若い世代って、年齢をまるで気にかけていないと思う。それって素晴らしいことよね」とタッカーは話す。「私たちにとってもそう。私たちは立ち止まるつもりはないから」。
「私にとって、このアルバムはスリーター・キニーの新章の幕開けなの」とブラウンスタインは付け加える。「コリンと一緒に音楽を作ることの喜びが凝縮されたようなレコードだから。私は慎重に、でもとことん楽しむつもり。それがいつ終わりを迎えるのか、誰にもわからないんだから」。
From Rolling Stone US.
スリーター・キニー
『Little Rope』
配信:https://found.ee/2lwBcX
去年の秋、キャリー・ブラウンスタインがロサンゼルスのレコーディングスタジオに向かっていると、友人でバンドメンバーのコリン・タッカーから電話があり、おもむろにイタリアの米国大使館に勤める人物の名前と連絡先を告げられた。同大使館は過去数日間にわたってブラウンスタインと彼女の妹に連絡を取ろうとしていたが、2人とも現在の電話番号がパスポートと紐づけられていなかったため、大使館員は緊急連絡先として登録されていたタッカーに連絡した。当初タッカーは何かしらの詐欺行為を疑ったが、そうでなかった場合のことを考えて電話をかけたのだった。
ブラウンスタインはその旨を妹に伝え、それから仕事に向かった。2時間後にセッションを一区切りさせた時、彼女は妹からの着信履歴に気づいた。電話を掛け直したブラウンスタインは、妹の口からショッキングな知らせを聞かされた。イタリアで休暇を楽しんでいた2人の母親と継父が、4日前に自動車事故によって命を落としたという。
左からキャリー・ブラウンスタイン、コリン・タッカー(Photo by Chris Hornbeck)
事故の発生前から、ブラウンスタインとタッカーはスリーター・キニーのアルバム制作を進めており、その時点で曲の大半が書き上がっていた。それでも、そのあまりに残酷な悲劇は、長年マイクを交換し合う中で培われてきた2人のクリエイティブプロセスを揺るがした。
「過去のアルバムの多くで、私たちはメインボーカルの役割を共有してきた」とブラウンスタインは話す。「互いにバトンを渡すみたいに」。母親が他界した後のことについて、彼女はこう打ち明ける。「ギターに専念したいと思った。当時の私に、歌うためのエネルギーはなかったから」。
1年後、ブラウンスタインとタッカーは遠隔取材の場で、1月19日にリリースされる11枚目のアルバム『Little Rope』の制作エピソードについて語っていた。晩秋の午後、オレゴン州ポートランドにある2人の自宅のカメラ脇では、飼い犬が静かに寝息を立てている。
「あの事故が起きたことで、アルバムの全体的なトーンが変わった」とタッカーは話す。「言葉にならないほどの喪失感を経験して、それがすべての曲に影響したと思う」
孤独と悲しみに打ちのめされ、大切な人からの愛を自分がどれだけ必要としているかを理解することで自分の脆さを知るという経験は、過去3年間の世界を生き抜いた人なら誰もが身に覚えがあるはずだ。そういった複雑な感情と、捻りの効いたメロディと楽曲を作り直すプロセスが、新作『Little Rope』を生み出した。その内容は実に見事だ。本作は興奮と切迫感に満ち、ギリギリのところで踏ん張っているという緊張感がみなぎっている。
スリーター・キニーの歩みと「家族」の絆
太平洋岸北西部を中心とするライオット・ガールのシーンが隆盛を誇っていた90年代半ばに登場して以来、スリーター・キニーはその猛烈なエネルギーで頭角を表してきた。彼女たちはシャープかつタフで脈打つような歌詞を紡ぎ、敬意を要求し、パーソナルな価値観と政治的見解に境目を設けようとしない。タッカーの唯一無二のシャウトと、ブラウンスタインの圧倒的なギターテクニックを武器に堅固なファンベースを築き上げた彼女たちは、特に女性によるロックバンドを切実に欲していた女性たちの共感を呼んだ。
1995年撮影のスリーター・キニー、左からジャネット・ワイス、コリー・タッカー、キャリー・ブラウンスタイン(Photo by Lindsay Brice/Getty Images)
1997年のライブ映像
ブラウンスタインとタッカーは、2006年に活動休止を発表するまでの10年間で7枚のアルバムを発表した。そして2015年発表の傑作アルバム『No Cities to Love』を皮切りに、バンドは第2期に突入する(今となっては第1期とほぼ同じ長さとなった)。だがこの間に、バンドは大きな変化をいくつか経験することになる。1997年発表の出世作以降活動を共にしてきたドラマーのジャネット・ワイスは、バンドにおける自身の存在意義の変化を理由に、4年前にバンドを脱退した(ワイスは出演したポッドキャストで、脱退の経緯について語っている。「『私はもうただのドラマーでしかないということ?』という私の問いに、2人はそうだと答えた。『バンドのクリエイティブ面にはもう貢献していないということ?』と訊くと、2人はノーと言った。だから私はバンドを去ることにしたの」)
当初は軋轢を生んだものの、3人は今も連絡を取り合っているという。「誕生日にはお互いにメールを送ってる」とブラウンスタインは話す。「家族みたいなものね。バンドのあり方が変わった今、それが私たちの関係を最も的確に表現する言葉だと思う」。
「彼女がスリーター・キニーの物語の一部であることは、これからも変わらない」とタッカーは付け加える。「私たち2人とも、彼女のことをいつも気にかけてる」。
本誌寄稿者のロブ・シェフィールドが「アメリカが生んだ最高のパンクバンドのひとつ」と評してから約30年間が経った今、タッカーとブラウンスタインはお互いが発する言葉を補完できるに違いない。2人がそうしないのは、相手が話す言葉に耳を傾けることが純粋に好きだからだ。長年にわたる努力の結晶であるこのクリエイティブなパートナーシップを、2人は生涯をかけて守ろうとしている。
新章の幕開け「立ち止まるつもりはない」
『Little Rope』の制作における背景は、これまで以上にタッカーのボーカルにスポットライトを当てることになった。「私は個人的に歓迎しているし、誰よりも私がそれを必要としていたの」とブラウンスタインは話す。
しかしタッカーにとって、アルバムのテンションに合致するだけのボーカルパフォーマンスを引き出そうとするプロセスは苦痛さえも伴った。「Untidy Creatures」や、2ndシングルの「Say It Like You Mean It」のような感情がダイレクトに伝わってくる楽曲を歌うには、並々ならない覚悟を必要とした。
彼女は「Say It Like You Mean It」を完成させるまでの苦労を口にするが、ブラウンスタインとプロデューサーのジョン・コングルトン(昔からスリーター・キニーの大ファンだと公言している)は、タッカーの背中を押し続けた。
「僕にとってのバンドの最大の魅力のひとつは、心の奥深くにある感情を呼び起こすようなコリンのボーカルだった」とコングルトンは話す。「耳馴染みの良さなんて気にせずに、全身全霊で歌ってほしい。そう伝えたんだ」。
その日タッカーは真夜中に目覚め、「Say It Like You Mean It」の別テイクをスマホに吹き込んだ。「この曲が持つ逼迫感、喪失への共感を表現するに足るメロディが浮かんだの」と彼女は話す。
「このアルバムでの彼女のボーカルは、バンド史上屈指の出来だと思う」とブラウンスタインは話す。「いちリスナーとしてもバンドメンバーとしても、このアルバムでの見事にコントロールされたボーカルには心を揺さぶられる」(彼女は笑ってこう続けた。「要するに、私自身がコリンの大ファンだってこと」)。
現在49歳のブラウンスタインと50歳のタッカーは、クリエイティブであり続けることが大切だと考えている。「アルバムを作るたびに、自分たちを再発明する必要はないと思ってる」とブラウンスタインは話す。「私たちはまったく新しい、ラディカルなものを作ろうとしているわけじゃない。フリージャズやカントリーに挑戦しようとしているわけでもない。このバンドでやるべきことを理解した上で、どこまで柔軟になれるかを見極めようとしているの」
その意味を説明する目的で、2人は最近聴いているアーティストたちの名前を挙げてくれた。ロザリア、ペイルハウンド、ブロンドシェル、オリヴィア・ロドリゴ等。その一方で、ルシンダ・ウィリアムスやニック・ケイヴ等、昔から尊敬しているアーティストたちの作品を聴くことも多い。「ルシンダ・ウィリアムスもオリヴィア・ロドリゴも、どっちも必要なの」。
「今の若い世代って、年齢をまるで気にかけていないと思う。それって素晴らしいことよね」とタッカーは話す。「私たちにとってもそう。私たちは立ち止まるつもりはないから」。
「私にとって、このアルバムはスリーター・キニーの新章の幕開けなの」とブラウンスタインは付け加える。「コリンと一緒に音楽を作ることの喜びが凝縮されたようなレコードだから。私は慎重に、でもとことん楽しむつもり。それがいつ終わりを迎えるのか、誰にもわからないんだから」。
From Rolling Stone US.
スリーター・キニー
『Little Rope』
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