2024年1月2日・3日に行なわれる大会で100回という大いなる節目を迎える箱根駅伝。これまで数多のランナー、ドラマが生まれてきた中、観る者の心に残る箱根駅伝の記憶もまた千差万別だろう。今回は記念大会を前に、箱根駅伝を長年にわたり取材してきたスポーツライター陣にそれぞれの独断で区間別に「最強ランナー」を選んでもらった。
こちらは復路編。

選者(五十音順):生島淳、折山淑美、酒井政人、佐藤俊、和田悟志※本文内の通過記録は非公認。著者計測等を元にしたもの。
※本文関連の開催年大会回目安表:2019年=95回、2014年=90回、2009年=85回、2004年=80回、1999年=75回、1994年=70回、1984年=60回、1979年=55回


2012年に7区区間新の東洋大・設楽悠太(左) photo by Kyodo

【6区】「山下り」の激走

館澤亨次(東海大/2020年):生島、佐藤、和田

谷口浩美(日本体育大/1981、82、83年):折山、酒井

 谷口浩美は、キャプテンの意地を見せた山下りだった。館澤亨次は学生最後のシーズン、故障が続き、出走が危ぶまれたが6区で出走。最初の上り基調のコースを区間新記録の勢いで行くと下りに入ってもスピードを維持、ラスト3kmは歯を食いしばって全力で駆けた。57分17秒の区間新記録を達成。東海大を4位から2位に押し上げたが、その代償は大きく、元の故障と相まって復帰まで半年を要した。(佐藤)

 区間距離が20.5kmだった時代に3年連続区間賞。4年時は区間2位に3分20秒差を付ける57分47秒の快走。86年から距離変更で区間記録ではなくなったが、20.8kmに変更以降も2011年に千葉健太(駒澤大)が58分11秒を出すまでは実質的な区間記録だった。マラソンで五輪2大会に出場、91年世界選手権では金メダルを獲得し、6区の価値を高めた。(折山)

【7区】「つなぎ区間」を覆した熱走

武井隆次(早稲田大/1993年):折山、和田

林奎介(青山学院大/2018、19年):生島

工藤有生(駒澤大/2018年):佐藤

設楽悠太(東洋大/2012年):酒井

 2年連続1区区間新記録の後、3年時は7区。山梨学院大から先頭を奪い返し、区間新を打ち立て8年ぶりの優勝を決定づけた。15年後に佐藤悠基(東海大)に破られるまで、武井隆次はこの時の走りは失敗だったと思い込んでいた。つなぎ区間とされていた7区に武井のような選手が登場しては、他校はたまったものではなかったはずだ。(和田)

 2018年、林奎介は区間新記録を出して青学大の4連覇に貢献。だが、より印象に残るのは翌年だ。往路6位の青学大は追撃あるのみ。7区担当の林はとにかく突っ込んだ。「無謀」という文字が浮かぶほどに。前年、自身が樹立した区間記録にわずか2秒届かなかったが、激走で3位へ浮上。理工学部で研究に苦労していた林の大胆な走りが記憶に残る。(生島)

 工藤有生は箱根前、ケガでずっと苦しんでいた。主将として迎えた2018年、大八木弘明監督が親心から最後を走らせてやりたいと7区に置いた。工藤は指揮官の期待に応えるべく出走したが、足にぬけぬけ病(思うように動かせない疾患)が発症し、失速。駒澤大は総合12位でシード権を失ったが、必死の形相でもがき走る姿はファンの涙を誘った。(佐藤)

 大学2年時の2012年に佐藤悠基(東海大)が保持していた区間記録を3秒更新。設楽悠太は、区間2位の駒澤大・上野渉に57秒差をつけ、現在でも区間歴代4位となる1時間02分32秒で駆け抜けました。1万mで27分台をマークした4年時に7区を走るチャンスがあれば(実際には3区で区間賞)、もっとすごい走りが見られたと思います。(酒井)

【8区】三者三様の背景

古田哲弘(山梨学院大/1997年):折山、酒井、和田

小松陽平(東海大/2019年):佐藤

高橋宗司(青山学院大/2013、15年):生島

 5000m13分55秒54の高校記録(当時)を引っ提げて、古田哲弘は山梨学大に入学。関東インカレの1部1万mでいきなり優勝した怪物です。そのスーパールーキーが、復路が追い風となる中、強烈な走りを披露。従来の記録を1分43秒も塗り替える1時間04分05秒の区間記録を叩き出すと、22年間も破られることがありませんでした。(酒井)

「ヒーローになる瞬間だ」と小松陽平は思っていたという。小松は4秒差の2位で襷を受けると東洋大の背中を追い、並走する。すぐには追い抜かず、獲物を狙う獣のように冷静に相手の呼吸や状態を読み、15km地点でスパートした。楽しかったという8区は22年ぶりの区間新、東海大を初の総合優勝に導く完璧な走りだった。(佐藤)

 2013年、8区の区間賞は青学大の2年生、高橋宗司。実はこの記録、本来であれば2位だった。中大の永井秀篤がタイムはトップだったが、中大が途中棄権していたため参考記録に。そこで高橋が区間賞となったが、彼は永井に連絡を取っていた。「ごめん」。そこから彼らの交流が始まったというエピソードも心に残る。(生島)


復路の格を上げた8区区間新の山梨学大・古田哲弘 photo by Kyodo

【9区】「復路のエース区間」の衝撃

岸本大紀(青山学院大/2023年):酒井、佐藤

石津佳晃(創価大/2021年):折山

神林勇太(青山学院大/2020年):生島

高橋謙介(順天堂大/1999年):和田

 岸本大紀は2区で日本人1年生最高の1時間07分03秒をマークした逸材で、3年時の2022年は7区で区間賞を獲得しました。9区では前年にチームメイトの中村唯翔が樹立した区間記録(1時間07分15秒)に12秒届きませんでしたが、復路のエース区間を走ったランナーのなかで実力はナンバーワンだったと思います。(酒井)

 前年に続く2年連続の9区で最後の箱根。1万mの自己記録は29分34秒46で無名の存在だった石津佳晃が襷を受けたのは、2位・駒澤大に1分29秒差をつけた1位と想定外の展開だったが、10月に非公認ながら1万m28分39秒を出した自信で前半から突っ込み、逆に3分19秒差まで広げる走りを見せた。「ノーマークの創価大、優勝か」という驚愕の展開にした。(折山)

 期待を背負って青学大に入学した神林勇太。結果的に彼が走ったのは2020年の9区、一度だけだった。キックの効いた走りで区間賞。翌年は主将となったが故障で出走が叶わず。ただし、給水係としてこの9区を走った。原晋監督はこう言った。「給水係がいちばん長く走れるのが横浜駅前。神林に走ってほしかった」。(生島)

 高橋謙介は9区を3回走っているが、駒澤大の初優勝の夢を打ち砕いた1999年の走りが最も心に残っている。約1分あった差をひたひたと詰めていく様はまさに"仕事人"だった。法大に通う息子・一颯(3年)の活躍も楽しみ。現・順大監督の長門俊介は2004年から4年間、9区を担った。4年時に優勝に向かって突き進む攻めの走りも印象深い。(和田)

【10区】フィナーレを飾った主役たち

嶋津雄大(創価大/2020年):折山、和田

安藤悠哉(青学大/2017年):佐藤

中島賢士(早稲田大/2011年):生島

遠藤司(早稲田大/1984年):酒井

 11位で襷を受けた。「自分はライトノベルを書いているので、物語の主人公になろうと思ってスタートした」という嶋津雄大は、榎木和貴監督も驚く積極的な突っ込み。区間記録を19秒上回る快走で9位に上げ、創価大初のシード権も獲得した。網膜色素変性症で暗くなると目が見えにくくなる持病と戦う嶋津の背景も、ドラマを紡いだ。(折山)

 箱根3連覇で学生駅伝3冠達成。ゴールで見せたキャプテン安藤悠哉のガッツポーズは、今も語り草になるほど美しいシーンだった。3冠を狙って臨んだ青学大は、3区で首位に立つとあとは独走状態。安藤は2位・東洋大に6分以上の差をもらって襷を受け、23.0km(10区)のビクトリーラン。青学黄金時代到来を決定づけた駅伝だった。(佐藤)

 2011年、18年ぶりに総合優勝を果たした早大のアンカーは主将の中島賢士。東洋大に詰め寄られたが、振り切った。その差はわずか21秒差。「運営管理車の康幸さん(渡辺監督)から『30秒切ってるよ!』とか声がかかるんですが、こっちも1km3分で走ってるし、どうしろって感じです(笑)」と中島は当時のことを振り返る。動じない主将が優勝を引き寄せた。(生島)

 遠藤司は3年連続でアンカーを務め、2年連続の区間賞。3年時(1984年)は1時間04分05秒の区間記録を打ち立て、総合優勝のゴールに飛び込みました。区間2位とは2分45秒の大差。1999年にコース変更されるまで破られることなく、最も近づけたのも1994年の山梨学大・尾方剛で53秒差でした。(酒井)

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