テキサス・レンジャーズが球団史上初のワールドシリーズ制覇を遂げて幕を閉じた2023年のメジャーリーグ。大谷翔平は、その翌日にあたる11月2日(日本時間3日)に正式にフリーエージェント(FA)となる。2日から6日まではこれまで所属していたロサンゼルス・エンゼルスのみ契約交渉が許されるが、7日以降は他の29球団とも交渉が可能になる。6年前、日本からメジャーリーグに渡る時も万人の憶測を覆し、エンゼルスを選択。今やメジャーリーグのトップ選手となった大谷は果たして今回、どのような決断を下すのか?


チーム年間MVPを獲得した大谷翔平 photo by USA TODAY Sports/Reuters/AFLO

3年前の苦悩を乗り越え「21世紀のベーブ・ルース」に

 『ニューヨークポスト』紙のジョン・ヘイマン記者は、このオフのフリーエージェント(FA)市場の大谷翔平争奪戦を「誰が21世紀のベーブ・ルースと契約できるか?」と表現している。

 個人的に思い出すのは2020年9月8日から13日、テキサス州のグローブライフ・フィールドとコロラド州のクアーズ・フィールドでロサンゼルス・エンゼルスの遠征試合を取材した時のことだ。8月2日、そのシーズン2度目の登板で2回途中降板した大谷は翌日、右屈曲回内筋群の損傷と診断され、投手としてはシーズン終了。2018年のトミー・ジョン手術(側副じん帯再建術)からのカムバックはうまくいかなかった。その時の説明では、投球再開まで4〜6週間ということだったが、5週間が経ってもキャッチボールを始めていなかった。そのうえ、打撃も打率1割台の不振。ジョー・マドン監督(当時)は、大谷をスタメンから外した。

「彼が苦しんでいるのは明らか。ひと息つく機会を与えたい。今、いろんな思いが頭をよぎっている。彼のような大変な才能の持ち主については辛抱強く見守らないと。そうでないと誤った決断を下すことになる」と傷心の大谷を労った。

 当時、米メディアの大半の論調は"大谷の二刀流実験は終わった"という厳しいものだった。そしてコロラドでの試合前の練習では、大谷は黒いファーストミットで一塁ベースに立ったり、外野で真っ赤なグラブでフライを追いかけたりしていた。野手専念かと色めき立つ記者たちに「気分転換にやらせただけ」と監督は苦笑いしている。

 FA資格を得るまでの長い6シーズンで、明らかにこの時期がどん底だったと言えるだろう。しかしそのような時期を経験しても、大谷の二刀流への志は揺るがなかった。周囲の声にも惑わされなかった。そして2021年から3年連続で大暴れ。世界の野球ファンを仰天させ、「21世紀のベーブ・ルース」の称号を得た。

凡人にはわからない大谷の胸中と今後のFA交渉日程

 今、選手生活の新たな節目を迎え、ひとつ言えるのは「大谷の考えは凡人にはわからない」ということに尽きると思う。
 
 2017年のオフ、日本ハムからメジャーリーグに移籍した時も、ニューヨーク・ヤンキース、ロサンゼルス・ドジャース、テキサス・レンジャーズなど有力球団の名前が挙がり、筆者も現場の記者のひとりとして球団の絞り込みに懸命だった。その時に早々と名前を消したのがエンゼルスだった。担当記者たちが「うちはスカウトを日本に送っていない、だから絶対にない」と口を揃えていたからだ。だが、大谷はエンゼルスを選んだ。2020年のどん底の時期を思い起こすと、エンゼルスはあの状態でも二刀流を続けさせてくれたし、大谷は賢明な選択をしたんだと、今なら言える。だが、2017年の時点では疑問符しか残らなかった。入団決定直後のウィンターミーティングで、マイク・ソーシア監督(当時)と同じテーブルで食事をする機会があったが、その時、彼も自分たちが選ばれたことに驚いていた。

 そして現在、報道は過熱し、本命はドジャースだとか、エンゼルスの再契約もありうるとか、ヤンキースは可能性が低いとか書きたい放題だが、本人が球団選びの条件を口にしたわけではなく、具体的な名前を挙げたわけでもない。すべては憶測だ。ただひとつ確かなのは、米国の多くの野球関係者が、球界の看板選手となった大谷に、ワールドシリーズの桧舞台に立ってほしいと願っていることだ。今春のワールド・ベースボール・クラシック(WBC)決勝のように、剛腕豪打の二刀流で盛り上げてほしい、と。
 
 今年、FOXテレビが中継したワールドシリーズ第1戦の視聴者数は918万人で、第1戦としてはこれまでで最も少なかった。娯楽が多様化するなか、"秋の祭典"の視聴者数は長期低落傾向にある。あのルースがヤンキースで7度ワールドシリーズに出て15本のホームランを打ち、4度世界一になり、野球を国民的娯楽に押し上げたように、大谷に「10月の顔」になってもらいたい。ヤンキースで5度世界一になったレジェンド、デレク・ジーターもそのひとりだ。「大谷は偉大な選手だ。彼に足りないのは最も大きなステージでのプレー経験だけ。WBCで彼の名声と評判は別次元になった。本人もポストシーズンでのプレーを切望していることだろう。どの球団に行こうと、彼がその機会を得られるよう私も望んでいる」と話している。

 さて今後だが、大谷はほかの資格保有者と同様、ワールドシリーズ終了の翌日からFAになっている。しかしながら最初の5日間は、交渉相手は在籍していた球団に限定され、大谷の場合はエンゼルスだ。ただ近年の例を振り返ると、この時期に残留が決まったことはほとんどない。5日経てばほかの29球団との交渉を始められる。とはいえ11月7日から9日はアリゾナ州スコッツデールでジェネラルマネジャー(GM)会議が開催されるため、関係者はその準備に忙しい。大谷争奪戦の火ぶたが切られるのは、その後からだと思う。そして、おそらく11月中には決定する。山本由伸(オリックス、投手)やブレイク・スネル(サンディエゴ・パドレス、投手)ら大谷に次ぐ有力FA選手は、大谷を獲得できなかった球団の莫大な資金が降りて来るのを待つからだ。大物から順々に決まり、使われなかった獲得資金は、次に行く。約200人の他のFA選手のためにも早く進めたいのである。

米国の人口3分の2は東部在住ゆえに──!?

 果たして大谷は球団選びで今回は何に価値を置くのか? もちろんお金は大切だ。しかしながらどの球団と契約しようと、おそらくマイク・トラウト(エンジェルス、外野手)の持つ4億2650万ドル(約645億円)の最高総額サラリー記録と、マックス・シャーザー(レンジャーズ、投手)の4333万ドル(約65億6000万円)の最高年俸記録は抜くだろう。
 
 スポーツ専門サイト『ジ・アスレチック』で移籍情報のスクープが多いケン・ローゼンタール記者は、資金力の差で「最終的にドジャース対(ニューヨーク)メッツの対決になる」と予測している。さらに2年越しの8億ドル(約1210億円)のFA補強で2023年のワールドシリーズ進出を成し遂げたレンジャーズも「うまく行ったことで、より大胆にお金を使える。ダークホースになる」と付け加えた。
 
 しかしながら過去の経緯を振り返ると、大谷が凡人にもわかりやすく、資金力で決めるという気があまりしない。最高額の名誉さえ手に入れればそれで十分なのではないか。"少しでも高額で"と、こだわるとは思えない。

 冒頭で名前を出したヘイマン記者は、中堅市場の球団にもチャンスがあると指摘する。人気者の大谷はマーケティングパワーが傑出しており、関係者の中には球団に年間3500万ドル(約52億円)の収益をもたらすと証言する者もいる。プレーオフ進出の火付け役になれば、さらに金額はプラスされる。仮に6000万ドル(約91億円)の年俸であっても、大谷の稼ぎで球団の負担額は半分以下で済む。であれば中堅市場の球団であっても手が届く。しかもこういったチームはぜいたく税の心配がいらない。今年、若手中心のチーム構成で大躍進を遂げたアリゾナ・ダイヤモンドバックス、ボルティモア・オリオールズ、シンシナティ・レッズといった球団も獲得合戦に加われば、大谷の選択肢はかなり広がることになる。

 もっとも選択肢が増えても、大谷が選べる球団はひとつだけだ。筆者が個人的に期待しているのは、大谷の二刀流を選手生活の絶頂期の今、なるべく多くの人に日常的に見てもらえる場所に身を置くこと。広い米国では東西で3時間も時差がある。ベーブ・ルースのお孫さんとして日本のメディアに何度も紹介されたトム・スティーブンズさんは東部のボストン在住ゆえ「(西部の)エンゼルスの試合はテレビでなかなか見ることができなかった」と明かしていた。米国の人口の3分の2近くが東部に住む。ゆえに多くは大谷がすごいというのを知識として知っていても、試合をきちんと見たことがない。それが現実で、野球界にとって非常にもったいないことでもある。だから筆者が選んで欲しいのは東部のチームで、全米中継の機会も多い、人気球団のヤンキースだ。
 
 1920年代にルースが王朝を築いたが、100年後、21世紀のルースが加入し、アーロン・ジャッジやゲリット・コールとともに、2009年以来15年ぶりの世界一を目指す。しかしながら米メディアで有力候補に挙げる記者は、ほとんどいない。ローゼンタール記者も「動くとは思えない。年俸35000万ドル(約53億円)以上の選手がすでに2人もいるからね。競争に参加できないことはないけど」と否定的だ。ヤンキースには、以前は「ビッグ・ボス」こと故ジョージ・スタインブレナーオーナーがいて、これはという選手は必ず獲得した。ジーターも「ビッグ・ボスが生きていたら?」との質問に「たぶん大谷の家に押し掛け、ピンストライプのユニフォームを着せるためにはなんだってやるだろうね」と答えた。しかしながら息子のハル・スタインブレナーはそんな無茶をするタイプではない。だから米メディアはヤンキースを有力候補とはしない。
 
 筆者はビッグ・ボスの魂が蘇り、大谷の家で「ヤンキースを救ってくれ」と直談判する、そんなことを期待している。