ドラマ『下剋上球児』放送後の反響 南雲脩司のモデルとなった熱血教師は「免許持ってんの?」と問われる日々
『下剋上球児』第2章〜昴学園監督・東拓司の挑戦(前編)
おだやかな日差しが降り注ぐなか、高校の校庭では体育の授業が行なわれていた。ソフトボールのティーバッティングを打ち終えた女子生徒が、男性教諭にこう軽口を叩く。
「先生、免許持ってんの?」
男性教諭は「うるさいわ」と軽くいなして、満面の笑みを浮かべた。
この前夜、テレビドラマ『下剋上球児』(TBS系)の第2話が放送されたばかりだった。主演の鈴木亮平が演じる南雲脩司が、教員免許を持たずに高校教師をしていたことを告白。X(旧Twitter)では「下剋上球児」が2話連続でトレンド世界1位を獲得するほどの話題になった。
今年4月、白山高校から昴学園に異動になった東拓司先生 photo by Kikuchi Takahiro
男性教諭が女子生徒からイジリを受けたのは、ドラマの原案となった書籍に登場する主人公がこの男性教諭、東拓司(ひがし・たくし)だったからだ。東は2018年夏に白山高校の監督として甲子園初出場に導き、45歳となる今春から昴学園に異動している。
ドラマ『下剋上球児』は、ノンフィクション書籍『下剋上球児 三重県立白山高校、甲子園までのミラクル』(カンゼン)を原案としているが、あくまでもフィクションのオリジナルストーリーである。現実には、東は大阪体育大を卒業し、教員免許を取得したうえで三重県の教員採用試験を突破。高校の体育教諭として勤務している。
ドラマはオリジナルストーリーとはいえ、登場人物の「設定」について東は事前にドラマスタッフから丁寧に説明を受けていた。「ドラマが盛り上がって、原案の本を読んでくれる人が増えてくれたらいいですよ」と東は笑顔で語った。
ドラマを見た視聴者から「東監督は教員免許を持っていないのか?」という反響が寄せられることはなかったのか。昴学園野球部関係者に尋ねると、前監督で現在も指導に携わる高橋賢はこう答えた。
「いつもお世話になっている近所の食堂のおかみさんから『東先生、免許ないの!?』ってあわてた様子で電話がありましたけど、今のところそれくらいですね。学校に苦情が来ることもないです」
東、高橋とともにその食堂『月壺』に昼食をとりにいくと、店主の大森久美子さんが「先生、昨日は焦りましたわ〜!」と笑顔で迎えてくれた。店内に居合わせた客からは「『下剋上球児』の東先生ですか?」と声をかけられ、写真撮影に応じるシーンもあった。東の周辺ではちょっとした「下剋上球児ブーム」が起きている。
2018年夏に甲子園出場したあとも、東は白山を三重県大会ベスト4、ベスト8に頻繁に顔を出すチームへと育て上げていた。それでも、異動願を出して昴学園へと転任したのには理由がある。
昴学園は三重県の公立高校だが、その中身はかなり特殊でユニークだ。「全国唯一の県立で全寮制の総合学科高等学校」を謳い、1学年定員80名の生徒のほとんどが寮で生活する。
昴学園があるのは三重県南西部の多気郡大台町。町全域が生物多様性の保護を目的としたユネスコエコパークに登録されている。校舎のすぐ脇に流れる一級河川の宮川は、水面に雲が映るほど美しい清流だ。町の面積の9割を森林が占めており、昴学園の校庭から四方を見渡すと緑が常に視界に入ってくる。
東にとって、この自然豊かな環境は教員としての原点だった。
【大台町に恩返ししたい】「大学を出た後、母校の久居高校で講師をしながら野球部のコーチをしていたんですけど、5年も教員採用試験に受からなかったんです。『このままじゃダメだ』と思っていたところで、昴学園に勤めていた竹内伸さん(現・松阪監督)が声をかけてくれて。ここで寮監をしながら勉強して、絶対に受かるんやと思っていました」
教員住宅の部屋に持ち込んだのは、机と勉強用の書籍くらい。テレビもない環境で勉強に打ち込んだ。夜な夜なひとりで食べたラーメンの味が忘れられないという。同年に東は教員採用試験に合格している。
白山は10年連続で夏の三重大会初戦敗退の弱小校だったが、昴学園はそれを上回る。東が寮監兼野球部コーチとして勤めた2006年夏に1勝を挙げたのを最後に、昴学園は16年連続で夏の三重大会初戦敗退を続けていたのだ。それでもなぜ、東は昴学園に異動したのか。
校舎のすぐ脇に流れる一級河川の宮川
「周りからは『なんで昴学園に行くんや?』とよく言われましたけど、『大台町に恩返ししたい』という思いがありました。5年前になんで白山が甲子園に行けたのかはいまだにわからないですけど、もう1回行くことで『まぐれやない』と証明したいんです」
幸いにして、白山時代とは違い「ゼロからのスタート」というわけではない。5年前に昴学園に赴任した高橋が、悪戦苦闘しながらチームづくりを進めていたからだ。高橋は東の初任校だった上野高時代の教え子でもある。
高橋はこんな苦労話を語ってくれた。
「野球部員5人と助っ人7人を呼んで大会に出たら、野球部員の5人中4人が熱中症で倒れて、どんどん救急車で運ばれていきました。『迷惑かけて申し訳ないし、大会に出やんほうがええんちゃうか?』と思うこともあって。真面目に一生懸命やる子もいるんですけど、ヤンチャな子や練習しない子もいて、なかなかうまくいかない時期も長かったです。毎日、やる気の出ない子らを『どうやってやる気にさせるか?』と考えていましたね」
高橋を支えたのは、現実に奇跡を起こした『下剋上球児』だった。しょっちゅう恩師の東に電話でアドバイスを求め、白山と練習試合を組んでは「元気をもらっていた」と振り返る。東が赴任した今年も夏までは高橋が指揮を執り、17年ぶりの三重大会勝利へと導いている。現在の部員数は2年生13人、1年生19人、マネージャー2人、計34人と活気が出てきた。
【ユネスコエコパークから甲子園へ】野球部のグラウンドはバックネットを隔てて道路が走っており、地域住民も通りかかる。東は「地域の方から『若い子が挨拶してくれて、こっちも元気をもらえる』と褒めてもらえました」とうれしそうに語った。地域には後援組織である「昴学園野球部を応援する会」が立ち上がり、そのメンバーは200名を超えている。
大台町の町民にとっても、昴学園野球部は地域の存亡をかけた希望の光である。大台町の大森正信町長は危機感をあらわにする。
「地域から学校がなくなれば、過疎化は余計に加速していきます。昴学園には県内外から生徒が来てくれますが、大台町の自然のよさを知ってもらって、卒業後に少しでも町に残ってくれたらありがたいですね」
高校野球界では越境入学生が多い野球部のことを「ガイジン部隊」などと揶揄する風潮もあった。だが、少子高齢化、過疎化が進む現代では、地方の公立校でも存続の危機にさらされている。自治体をあげて県内外から生徒を募り、関係人口を増やそうという取り組みが全国的に広がっている。
大森町長に「県外出身の生徒が入ってくることに地域住民の抵抗感はありませんか?」と尋ねると、「まったくありません」という答えが返ってきた。
「練習試合にはたくさんの人が集まって、野球部を応援していますよ」
大森町長は昴学園の前身・荻原高校出身でもあり、高橋監督時代から熱心に野球部を応援してきた。公式戦にも頻繁に足を運び、夏の公式戦1勝にも快哉を叫んだ。東監督が指導する現チームについては、「もうひとりいいピッチャーがいたら楽しみなんやけど」と分析して笑った。
1年生エースの河田虎優希(こうき)は愛知県一宮市出身。愛知木曽川ベースボールクラブ(ポニー)では投手兼外野手として活躍し、強豪私立から誘いの声もあった。それでも「昴学園の歴史を変えたい」と強い意志を持って進学している。大台町の町民とすれ違うたび、「頑張れよ」「頼んだよ」と声をかけられる河田はこんな思いを語った。
「試合でも応援してもらえるので、『めっちゃ頑張ろう!』と思えます。実力を上げて、粘り勝つ野球で甲子園に行きたいです」
ユネスコエコパークから甲子園へ──。町をあげて夢に突き進む昴学園野球部に、強力な"援軍"が現れた。2018年夏の三重大会決勝で白山と甲子園切符をかけて戦った松阪商の元監督・冨山悦敬(よしたか)が、コーチとして昴学園を指導しているのだ。