元中日の正岡真二氏【写真:山口真司】

写真拡大

フライをおでこに当てた宇野勝…二塁手の正岡真二氏が中継に走った

 中日・宇野勝内野手がショートフライを取り損ねて、おでこに当ててボールは転々。その間に1点を失い、ホームベース付近で星野仙一投手がグラブを地面に叩きつけて悔しがった。1981年8月26日の巨人-中日戦(後楽園)で起きた“宇野ヘディング”は珍プレーとして語り継がれているが、元中日内野手の正岡真二氏(現・名古屋北リトルリーグ総監督)はそのプレーに関わっていた。「仙さんに褒められたよ」と当時を振り返った。

 正岡氏はその年がプロ14年目。背番号が「51」から「6」に変わったシーズンで、103試合に出場した。レギュラーショートは宇野内野手。正岡氏はサード、ショート、セカンドを守ってチームに貢献した。9月1日の阪神戦(甲子園)には9番セカンドでフル出場。阪神・伊藤宏光投手(伊藤文隆氏の当時の登録名)からホームランを放った。「覚えているよ、甲子園だったなぁ」。正岡氏のプロ通算本塁打は2。この一発が2本目だった。

“宇野ヘディング”はその試合の6日前に起きた。中日先発の星野投手が巨人打線を封じ、2-0で迎えた7回2死二塁。代打・山本功児内野手のショート後方へのフライが思わぬプレーを呼んだ。アウトを確信した星野投手がベンチに引き揚げかけた時の、まさかの出来事だった。宇野内野手のおでこを“直撃”した打球はヘディングされたように、大きく跳ねて、左翼フェンス際まで転がった。その間に二塁走者が生還し、巨人が1点を返した。

 巨人は前年の1980年8月4日から連続試合得点を続けており、星野投手はそれを止めることに燃えていた。それがパーになった。ただし、同点は阻止した。打者走者は一気にホームを狙ったが、中継プレーの前に本塁でアウトになった。その時、ホームへ好返球したのが正岡氏。試合途中からセカンドを守っていた。「(打球が)宇野に当たって、カーンってものすごく飛んでいったもんなぁ、ホント、すごく跳ねたよね」。

本塁へ絶妙送球で打者走者をアウトに…星野仙一投手に「褒められた」

 同時に正岡氏はセカンドから中継に走った。宇野内野手が頭を押さえてうずくまっている間に走った。「本当は宇野が行くべきなんだけど、あいつより先にバーッと行った。自然と動いたな」。レフトフェンス際で打球を処理した大島康徳外野手から送球を受け取るや否や、ホームへ投げた。絶妙なツーバウンド送球が中尾孝義捕手のミットへ。打者走者は間一髪のアウト。少しでもそれたり、プレーにずれが生じていたら、同点になるところを見事に封じた。

 大島→正岡→中尾による同点阻止プレーが決まり、球審がアウトコールをした直後、その左横付近にいた星野投手は思いっ切り、グラブを地面に投げつけた。やはり1点を失ったことが悔しかったのだろう。それでも8回、9回をゼロに抑えて、完投勝利。同点になっていれば、勝ち星を得られたかはわからない。正岡氏は「あのプレーで仙さんに褒められた。試合後、飯に連れていってくれたよ」と明かした。

 抜群の守備力でプロ人生を突き進んだ中でも、印象深い出来事。正岡氏は1967年ドラフト4位入団で、星野氏は1968年の1位入団。プロ入りは高卒の正岡氏が早かったが、年齢は大卒の星野氏が上で「仙さんには本当によくしてもらった。遠征先ではだいたい一緒の部屋だったしね。あの頃は東京も大阪も広島も部屋は和室だったなぁ……」と懐かしそうだった。

「(珍プレー番組などで流れる)あのプレー(の映像)は宇野のヘディングのところでよく終わっているんじゃないかな。俺の(送球)は、あまり出ていないんじゃないの」と正岡氏は笑いながら話したが、機敏な無駄のない動きからの流れるような捕球&送球はスーパープレーといっていい。この年の8月30日には通算1000試合出場も達成した。これも華麗な守備を積み重ねた結果だった。(山口真司 / Shinji Yamaguchi)