Vパレードに参加できずも「うれしかった」 目に焼き付けた長嶋茂雄の引退セレモニー
正岡真二氏は優勝の瞬間、ファンの波に押されて歓喜の輪に加われなかった
1974年、中日は20年ぶり2度目のリーグ優勝を成し遂げた。与那嶺要監督の下、チーム一丸となって巨人のV10を阻止した。元中日内野手の正岡真二氏は優勝を決めた10月12日の大洋戦(中日球場)に終盤から出場し、その瞬間をショートのポジションで味わった。「目が痛かった」歓喜のビールかけは最高の思い出だが、この年はもうひとつ忘れられないことがあった。“ミスタープロ野球”巨人・長嶋茂雄内野手の引退試合に接したことだ。
正岡氏はプロ7年目の1974年、112試合に出場した。61打数12安打3打点の打撃成績でもわかるように、終盤の守備が大きな仕事だった。「試合の流れによって出る回がわかるから、それに合わせて準備していた。出たらボールを捕るのが当たり前、ミスはいかんのやからプレッシャーはあったけどね」。その守備力を首脳陣は信頼していた。大ヒットした「燃えよドラゴンズ」でも歌われたように「華麗な守備」はすでに正岡氏の代名詞だった。
優勝が決まった試合も、6回に8番・ショート広瀬宰内野手の代打でタイムリーを放った藤波行雄外野手に代わって、7回からショートの守備に就いた。6-1で迎えた9回、マウンドには“燃える男”星野仙一投手がいた。4安打完投勝利。最後は山下大輔内野手のライナーをサード・島谷金二内野手が捕ってゲームセットだ。だが、その時のことを正岡氏は「よく覚えていない」と苦笑する。
優勝が決まり、星野投手と木俣達彦捕手が抱き合っているところへ、スタンドからファンもなだれ込んだ。ショートの正岡氏は星野投手と木俣捕手がいる方向に走り出したが、ファンとベンチから飛び出した中日首脳陣とナインの波に押し出されて、たどりつけなかった。与那嶺監督の胴上げもファンにもみくちゃにされた中で行われた。20年ぶりの優勝で名古屋が沸いた。まさに大フィーバーだった。
優勝パレードに参加せず…長嶋茂雄氏の引退試合に出場した
その2日後の出来事も忘れられないという。10月14日、後楽園球場での巨人戦ダブルヘッダー後に行われた長嶋氏の引退セレモニーだ。同日、名古屋では中日の優勝パレードが行われた。13日に行われる予定だった試合が、雨で1日延びて重なった。そのため、中日はパレード組と巨人戦組に分かれた。正岡氏は巨人戦組。「正直、長嶋さんのファンだったから(後楽園に)行けてうれしかったよ」。
“ミスタープロ野球”長嶋氏のファンは中日にも多かったが、正岡氏もその一人。「個人的にファンやった。あのパフォーマンスは好きだったなぁ、すごいし、偉大だよ。ああいうそぶり、動作とか、なかなかできないよ。それが自然と出るんだもん。なんか周りを感動させるような動作とかをね」と、目を輝かせながら話す。「グラウンドで『元気か』『正岡、どうだ、調子はいいか』なんて言ってくれた時もあった。憧れの人やからね。うれしかったよ」。
正岡氏は第1試合には8番・ショートでスタメン出場したが、長嶋氏のラストゲームとなった第2試合は出場せず、ベンチから憧れの人のプレーを目に焼き付けた。「我が巨人軍は永久に不滅です」の引退スピーチも生で聞いた。「感激したね」。中日の優勝パレードには参加できなかったものの、長嶋氏の現役最後の場に立ち会えた。それは正岡氏にとっても一生の思い出なのだ。(山口真司 / Shinji Yamaguchi)