たしろさやか 撮影/たむらとも

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2000年代半ばにグラビアデビューすると、あどけない顔立ちと、小柄ながらもメリハリのある肉感的なボディーでブレイク。人気グラビアアイドルとして活躍する一方で、明るいキャラクターがお茶の間に受けてバラエティーでもひっぱりだこ。さらには俳優としても、ドラマ・映画・舞台と数多くの作品に出演したたしろさやか。2017年よりフリーランスとなり、最近はTikTok動画がじわじわと人気を集めている。小学生の頃から芸能以外の道を考えたことがなかったという彼女に、波乱万丈な半生を振り返ってもらった。
(前後編の前編)

【写真】歳を重ねても美しさを磨くたしろさやか 撮り下ろし写真【7点】

小学生の頃から華やかな芸能界に憧れていた。俳優になりたい一心で、週末は地元の名古屋から東京に通い、養成所に所属して、芝居、歌、ダンスのレッスンを受け続けた。しかし、これといったチャンスに恵まれないまま時が過ぎ、高校卒業を機に一念発起して上京した。

「1年間はひたすらバイトをしてお金を貯めて、次の年から全力でいろんなオーディションを受けようと思っていたんです。そしたらダンスの先生から、『ホリプロでフットサルチームを作るので、動ける子を探しているんだ』と聞かれて。二つ返事でやりますということで練習に行ったら、本当にフットサル要員を探しているだけだったので、ホリプロのマネージャーさんがよく行ってたキャバクラの女の子までいたんです(笑)。結局、芸能に興味のない子たちはいなくなったんですけど、私は芸能人女子フットサルチーム『XANADU loves NHC』のメンバーに選ばれました」

フットサルチームのメンバーに選ばれたものの、あくまで選手としての採用だった。ところが、ホリプロのマネージャーがたしろに目を付けてスカウトする。

「マネージャーさんから『グラビアをやってみないか』と声をかけていただいたんですけど、グラビアには抵抗があって、女を武器にするのは嫌ですとお伝えしたんです。そしたら『女の武器ではなく、田代さやかの武器なんだから、どんどん使えばいいじゃん』と言われて、目から鱗と言うか、そういうふうに考えたことが一度もなかったんですよね。むしろ私の中で胸が大きいのはコンプレックスでした。胸大きい=バカという付属品のイメージがついてくるのが嫌だなと思ったんですけど、むしろ私の武器なんだと捉えると、気持ちが晴れて『やります!』と、それで二十歳を過ぎてホリプロに所属しました」

知名度もない、これまで目立ったキャリアがある訳でもないたしろを事務所に入れることに反対意見もあった。

「スカウトしてくれたマネージャーさんは、すごく熱心に私を推してくれたんですけど、上司の方は、こんなにイモっぽい女はいらないみたいな反応でした。でもマネージャーさんが『どうしても田代を担当したいんです』と毎日のように説得してくれて、『勝手にしろ』と言われたので、本当に勝手にやり始めたんです。そしたら、とんとん拍子に帯番組のレギュラーや、イメージDVD・写真集の発売が決まっていきました。当時は同じ事務所で、顔の系統も近くて、胸も大きいということで“第二の優香”的な感じで言っていただくこともありました」

グラビアに出ると決断してからは、どう自分を売り出せばいいのかを真剣に考えた。当時はグラビアアイドルが飽和状態で、イメージDVDを出すハードルも低かった。だからこそ他との差別化を強く意識した。

「ありがたいことに3か月に1枚のペースでイメージDVDをリリースさせていただいたんですが、そんな中で存在感を出すためには、与えられたものをやるだけではなく、人と違うことをやらなきゃ埋もれてしまう。だから毎回、自分からアイデアを出すようにしていました。あの雑誌に出たい、こういう番組に出たいというリストを自分から出して、マネージャーさんと話をすり合わせて、『今度は、ここに挨拶に行こう』とか、『ここに営業をかけてみよう』と積極的に行動していました。