史上初? 試合に出ていないのにお立ち台 甲子園大爆笑…「伝説」と化した“雄叫び”
オリックスと阪神で活躍した葛城育郎氏…お立ち台での“雄叫び”が話題になった
「ウォーーー」。甲子園球場に響き渡った雄叫びが代名詞でもあったのが、葛城育郎氏(元オリックス、阪神)だ。逆指名制度を使って1999年ドラフト2位で立命館大からオリックスに入団。2003年オフには交換トレードで阪神に移籍し、外野手兼一塁手として、いぶし銀的な活躍を連発した。現在は「株式会社葛城」の代表取締役で、兵庫県西宮市の「酒美鶏 葛城」を経営。報徳学園のコーチも務めている。そんな葛城氏の野球人生にスポットライトを当てる。
2008年7月2日の中日戦(甲子園)で、葛城氏はライトへプロ初のサヨナラ打を放った。大盛り上がりの本拠地でのお立ち台。当時ABCアナウンサーだった清水次郎氏から、インタビューの最初に「勝利の雄叫びを」とリクエストされて、考えることもなく両手を挙げて「ウォーーー」と大絶叫した。「そう言われたら叫ぶしかないですよね。次郎さんとは仲がいいけど、それまでにそんな話も何もなかったんですよ。急に言われました」。
これにスタンドのファンも大いに沸いた。阪神ナインにも大受けで「ロッカーに帰ったらみんなに爆笑されました」。7月13日の広島戦(甲子園)では8回に代打で勝ち越し三塁打を放ってヒーローインタビューに登場し「ウォーーー」と絶叫。「2回目もアナウンサーが次郎さんで、もうその時はアイコンタクトで“いっとくか、いっときましょうか”って感じでやったんです」。もはや話題沸騰の雄叫びとなった。
その人気ぶりに球団も着目して8月下旬に葛城氏プロデュースの「ウォーTシャツ」を発売。「その頃は、今みたいにあまりそういうTシャツとかも売ってなくて、試験的に販売したんですよ。売れたら、違う選手のも作ろうかなってね。僕のは走りなんです。試し売りです。商品部も売れるかどうかわからなくて、200枚くらいしか作ってなかったんじゃないですかね」。結果は完売の大成功だった。
そんな中、9月10日のヤクルト戦(甲子園)で3度目の「ウォーーー」が飛び出した。サヨナラ押し出し四球を選んだ葛城氏は、好リリーフのスコット・アッチソン投手とともにお立ち台へ。インタビューを「1、2、3、ウォーーー」で締めると、スタンドのファンが一斉にジェット風船を飛ばした。「3回目の時は(アントニオ)猪木さんの“1、2、3、ダー”みたいにやろうかなって思っていました。パクリですけど、その感じでいきました」。
試合に出ていないのにヒーローインタビューは「僕しかいない」
9月29日の広島戦(甲子園)では試合に出場していないのに、お立ち台で「ウォーーー」を披露した。「新井(貴浩)さん(当時阪神、現広島監督)とカネさん(金本知憲氏)がヒーローになった時でした。あの日は雨で最後べちゃべちゃになって、みんなとハイタッチしている時にカネさんに帽子を取られたんです。帽子をびちゃびちゃのグラウンドに投げられる、最悪やと思って、ずっとベンチにいたら(お立ち台の)カネさんがその帽子を取り出して、僕を呼んだんです」。
ヒーローインタビューに葛城氏を誘い込む金本氏の“作戦”だった。そこでお決まりのように叫んだわけだ。「『いつものを』ってなって、アナウンサーも『いいですか』って言うし『じゃあ、やりましょうか』って言ってやって……。2人(金本氏と新井氏)は爆笑しているんですよ。後ろで……。試合に出なくてヒーローインタビューに立ったのは僕しかいないと思います。伝説です」。葛城氏は笑いながら振り返った。
葛城氏が経営する「酒美鶏 葛城」の「さけびどり」は『ウォーーー』と叫んだことに引っ掛けたもの。「自分で考えました。一番簡単でしたね。叫ぶ。お酒。美しい鳥、コラーゲンもあるしなってね」。それもすべて2008年7月2日のお立ち台で絶叫したからこそ。きっかけを作った清水アナはその後、高校教師に転身し、現在は西宮甲山高校の硬式野球部監督も務めているが、葛城氏は感謝しきりだ。
「次郎さんのおかげですよ。あの時“勝利の雄叫びを”って言われなかったら、なかったですからね。忘れられないというか、お店を建てさせてくれた人ですよ。たまに、ご飯も食べにきてくれます」。葛城氏は「ウォーーー」と叫んだことを「僕も転機だったと思います」と言う。「代名詞があることは、とてもありがたいです」。ひょんな流れで生まれたものだったが、阪神選手のヒーローインタビューの中でも、それは伝説の叫びとなっている。(山口真司 / Shinji Yamaguchi)