2023年上半期(1月〜6月)、プレジデントオンラインで反響の大きかった記事ベスト5をお届けします。社会部門の第1位は――。(初公開日:2023年2月28日)

※内容は掲載当時のものです。

秋篠宮家の長男・悠仁さまは、お茶の水女子大学附属幼稚園、小中学校を経て筑波大学附属高校に進学された。評論家の八幡和郎さんは「『皇族は学習院で学ぶべき』という意見があるが、実際には皇族を受け入れるノウハウは希薄になっている。悠仁さまが学習院を選ばれなかったのは賢明だ」という――。

■「学習院を選ばなかった」と批判する酷い報道

筑波大学附属高校に進学された悠仁さまは今春、2年生になられる。バドミントン部での活動など充実した高校生活を送っておられるし、海外からの賓客との交流への参加、伊勢神宮参拝など帝王教育も順調に進展しているようだ。

成績がもうひとつとかいう週刊誌報道が執拗(しつよう)に流されているが、中高一貫が原則の難関校に、その学校より偏差値の低い中学から入れば、レベルの違いで少し苦労するのは普通のことで、ことさら重大事が起きたように報道するのは理解に苦しむ。

まして、1科目、苦手な科目があるとか騒ぐなど正気の沙汰であるまい。では、どうしてそんな報道が多いのかといえば、つまるところ、学習院を選ばなかったのが気にくわないという批判なのである。

なかには、推薦制度を利用して大学進学すれば「特別扱い」という批判が生じるし、一般受験となれば「将来の天皇」が他の受験生と競うことになり、合格するにしても不合格になるにしても問題が起きるから、悠仁さまが学習院に進まれなかったのが間違いだという酷い主張もある。しかし、それは学習院でも同じことだ。

学習院大学正門(写真=momoishi/CC-Zero/Wikimedia Commons)

■皇族に特別な配慮がされるのは普通のこと

そもそも皇室の生活は特別の配慮だらけで、これまでも、批判されるのは、「度が過ぎたとき」だけだったし、それで十分なのではないか。学校であれその他の機関や施設の利用でも、民間ならよいが公的なところではダメだなどという運用はされてないし、適否に違いがあるわけでもない。

悠仁さまだけ、狙い撃ちで八方塞がりの状況に追い込む人たちの姿勢はイジメそのもので、将来の天皇陛下にマスコミなどへの不信感を植え付けるという意味でも憂慮すべきだ。

だいたい、これまでも、学習院での進学や進級で皇族は学力や出席日数にかかわらず特別扱いされてきたように見えるし、海外の有名大学での留学の受け入れが、日本の皇族であることと関係なく実力でされたと信じている人もいないだろう。

学習院や海外の大学なら皇族を特別扱いして良いが、学習院以外のほかの大学はしてはいけないという理屈は論理的でない。

他の生徒についていけないようなことになったら学校も皇族も困るから、実力に合わない進学をされるはずもない。

また、「学習院は嫌だ」とか「ほかの学校を選びたい」と思われたのに対して、「学習院をないがしろにした」(週刊誌報道)という理由で悠仁さまバッシングが行われているのは、本末転倒であろう。

■学習院を選ばなくてよかった3つの理由

私は、秋篠宮家の立場に立てば、学習院での教育を選ばれなかったことは賢明だと考えている。

第一に、どんな教育を受けるかは本人なり親の自由で、秋篠宮ご夫妻は、自分たちの経験や現状を見て学習院ではよくないと思われたのだから、無理強いするべきことでない。

第二に上皇陛下の世代まではともかく、旧華族の同級生がどれだけいるかも、先生方に特別のノウハウがある人がいるかも、年を追うごとに希薄になっている。学習院高等部から他大学の進学実績を見ると、昔と違ってトップクラスの知力をもつ学友を得るのは難しい(いまの学習院は後で紹介するイートン校とこの点で違う)。

第三に眞子さん、佳子さまは途中で外部の大学に出てしまわれ、愛子さまは学習院大学に進学されたがリモート授業が基本で通学されてこなかったなど、学習院での教育は皇族方にとって満足できる実績を示せていないし、問題解決能力もない。

学習院は警備に都合が良いという人もいるが、地理的にそうなのは、赤坂御用地に隣接する初等科だけだし、中・高等科から大学・大学院までが入る目白キャンパスの生徒・学生数は、小さいものではない。もっと警備のしやすい学校はいくらでもある。

■エリザベス女王は一度も学校に通わなかった

ここでぜひ紹介したいのが、イギリス王室の教育事情だ。チャールズ国王の戴冠式が5月6日に迫っているが、このチャールズ国王を巡るエピソードは、日本の皇室にとって他山の石とすべきことが多い。

まずは、両親のエリザベス女王とフィリップ殿下の関係について説明しよう。

左・エリザベス女王(写真=Joel Rouse/MoD/nagualdesign/OGL v3.0/Wikimedia Commons)右・フィリップ殿下(写真=Allan warren/CC-BY-SA-3.0/Wikimedia Commons)

エリザベス女王は、学校に一度たりとも通われたことがない。かつてのヨーロッパの上流階級では、学問はブルジョワのすることで貴族にはふさわしくないという風潮があった。男性でも大学に通わないことが多く、女性はもっとその傾向が強かったため、エリザベス女王はもっぱら家庭教師に教えられた。

他方でエリザベス女王は12歳から舞踏会など社交生活を始め、13歳のときに海軍兵学校を視察に訪れたとき、亡命中のギリシャ王子だったフィリップ殿下に会って一目惚れして結婚まで突っ走った。

■フィリップ殿下が受けた屈辱、変わる家庭内関係

フィリップ殿下は、ギリシャ正教から英国教会に改宗し、ギリシャから英国に帰化して母方実家の姓である「マウントバッテン」を名乗り、海軍軍人として有望だったキャリアを諦めた。

結婚のためにそこまでしたのに、エリザベス女王が1952年に即位するやいなや、フィリップ殿下が女王に影響を与えることを警戒したのが、当時のチャーチル首相と王室の人々だった。王朝名となる女王の姓は「ウィンザー」のままとしただけでなく、ビクトリア女王の夫だったアルバート公とは異なり、国政に関与できる「王配殿下」の地位は与えず、戴冠式では妻へひざまずかせた。

のちに夫妻の子孫で殿下の称号がない者は「マウントバッテン・ウィンザー」の姓にする妥協は図られたが、結婚のときの前提を否定されたフィリップ殿下は怒り、女王は家庭内では夫の意向を普通以上に尊重せざるを得ないことになった。

■父親からスパルタ教育を受けたチャールズ国王

子供の教育も、女王やその周辺は、上流階級の学校でトップ・エリートも通うイートン校(慶応普通部と麻布の中間といったイメージ)にしたかったが、フィリップ殿下は自分の母校であり、体罰と野外活動を基礎とした厳格な校風であるスコットランドの全寮制のゴードンストウン校に固執した。

この校風は、堅物でスポーツ万能、激しい負けじ魂の持ち主のフィリップ殿下には向いていたが、内向的でスポーツが得意でなかったチャールズ国王には向いておらず、人に心を開かず、母親の代わりになるようなタイプの女性に惹かれながら、結婚は「義務」としか考えない思考を形成したとされる。

チャールズ国王は自分自身が受けた教育への反省から、子供たちをイートン校に入れた。ウィリアム皇太子にとってはこれが良かったが、ヘンリー王子にとってはレベルが高すぎて苦労したと自分で言っている。

チャールズ国王(写真=The White House/Adam Schultz/PD-USGov-POTUS/Wikimedia Commons)

卒業後、ウィリアム皇太子は、スコットランドの名門だがこじんまりとしたセント・アンドルーズ大学で学び、そこでキャサリン妃と出会った。2人はオープンに交際し、お妃(きさき)候補としては難しいとみられた時期もあったものの、彼女の努力が実を結んで評価も上がりご成婚となった。一方、勉強はいま一つだったヘンリー王子は陸軍士官学校へ進んだ。

■進学先選びは自由だが、東大はお勧めできない

悠仁さまの大学進学では、一発勝負の試験を受けて成績を公開でもしない限りは、正規のAO入試で合格しても誹謗(ひぼう)中傷の対象になるだろう。「特別の配慮がされて、誰か一人がそれで落とされた可能性がある」とか「噂がある」といった難癖は常に可能だ。

悠仁さまの進学先選びは、本人が行きたいところに行かれれば良いことであるというのが基本だ。悠仁さまが普通の高校生と同じように情実なしの試験を受けてみようというのなら、そうされたらいい。一浪くらいならされても良いと思うし、それは悠仁さまとしての権利だ。

ただ、東京大学はお勧めできない。悠仁さまは理系志望らしいが、私立大学と比べて留年が多いし、理Iや理IIは進学後の成績で学科を振り分けられるので入学後がきつい。大学時には帝王教育も本格化するはずで、悠仁さまの負担が多すぎる。

写真=時事通信フォト
天皇陛下に高校入学のあいさつをするため、皇居に入られる秋篠宮家の長男悠仁さま=2022年4月9日、皇居・半蔵門[代表撮影] - 写真=時事通信フォト

■幼稚園から大学院まで学習院コースは異例だった

大学を選ぶひとつの観点として、国際感覚を磨くのに有利な所にしてほしいと思う。歴代天皇も、国際化教育で苦労されている。

昭和天皇は、初等科のみ学習院で、そののち御所内の学問所で学ばれたが、陛下自身がのちに「籠の鳥のようだった」と振り返られたような状況だった。近代君主としての素養が軽視されていると三浦梧楼や山縣有朋、松方正義、西園寺公望ら元老が進言して、長期間の欧州歴訪をしていただいて方向転換がされた(大正天皇も洋行を希望されたが実現しなかった)。

上皇陛下は大学まで学習院だが、昭和天皇の「西洋の思想と習慣を学ばせる」という意向で、アメリカ人の司書・作家であるバイニング夫人が家庭教師を務めたし、エリザベス女王戴冠式出席を機に長期の欧米歴訪を優先したので大学は卒業されていない。

学習院は天皇陛下のために幼稚園を再設置し、陛下は大学院まで学ばれたが、このように学習院を重視されたのは、むしろ異例だった(美智子妃殿下は自分が学習院OGでなかったので、学習院に配慮されたのかもしれない)。そのかわりに、大学院途中で英国のオックスフォード大学に2年間留学され、秋篠宮殿下も、学習院大学卒業後に同じ大学に留学された。

■「キャンパスに足を運んで」という陛下の期待

それから半世紀近く経過した現在では、多くの大学で留学生や帰国子女の受け入れが拡大し、交換留学制度などが整えられている。卒業後に留学という形にこだわらずに早くから国際経験を積んでいただくことが可能だし、それができる大学が良いと思う。

一方、愛子さまはこの4月に学習院大学の4年生に進級されるはずだが、現在のところもっぱらリモート学習で対応されている。キャンパスを訪れられたのもごくわずかだという。

天皇陛下は昨年の誕生日の記者会見で、御自身の大学生活を振り返られ、「大学では様々な人たちと顔を合わせて授業を受けたり、放課後の部活動で一緒に参加したり、見ず知らずの人と学生食堂で隣り合ったり、新しい発見と経験の連続であったように思います」「そういう意味でも、愛子には、感染症が落ち着いて、いつの日かキャンパスに足を運べるようになるとよいなとは思います」と仰っていた。

また、愛子さまは歌会始にあたって「もみぢ葉の 散り敷く道を 歩みきて 浮かぶ横顔 友との家路」という歌を詠まれた。

■愛子さま、悠仁さまを巡る報道の理不尽さ

ぜひとも、4月からの最終学年には、普通の学生生活を楽しんでいただきたいものだと私も願ってきた。

2月23日の今年の天皇誕生日の陛下の記者会見では、昨年の趣旨をくりかえされるとともに、「いろいろな方からたくさんのことを学び、様々な経験を積み重ねながら視野を広げ、自らの考えを深めていってほしいと願っています」と仰っていた。

そしてその直後には、一部の報道機関が、4月からは通学されるようだと報道しているので、それが事実であることを期待したい。

しかし、いろいろ事情があるにせよ、学習院大学も、もう少し早くいろいろ努力や工夫するべきだった。

また、感染防止に気を遣うなら、両陛下とは別のところに住まわれるとか、家庭内で接触を減らすなどの対策を考えるのが適切だ。過去の内親王は、一般人として暮らす将来に備えて早くから別に住まれることがあったし、御所は広いのだから、家庭内での感染防止は一般家庭よりはるかに容易である。

また、週刊誌報道のなかには、両陛下に感染させないために、愛子さまがキャンパスライフを諦めておられるのは親孝行で立派とか書いているものがあったが、悠仁さまは八方塞がりになるように追い込む一方、愛子さまには不自然な状況をそのまま続けることを推奨するのは、陛下の願いを応援することにもならないのでないかと首をかしげてきた。

陛下も仰っていたように、皇族にとっては学生生活は一般人にとって以上に貴重なチャンスなのだ。

■学習院が「皇族の教育機関」らしさを発揮する一手

ヘンリー王子とメーガン妃のイギリス王室批判には賛成できないことがほとんどだが、兄のウィリアム皇太子一家に比べて不公平な報道が多いという点については同情したい。

一般に、陛下一家を頂点に、下に行けば行くほど遠慮なく批判される一方、反論はどの皇族も同じように許されない。代々、皇太子一家は陛下の一家と比べて批判されがちだし、弟一家はそれ以上だ。それが、皇族のマスコミ不信につながっている傾向が見られ、非常に残念だし、対策が必要だ。

イギリスでも、一般には、王族・皇族に親の世代と同じ教育を受けさせようなどとしてこなかったし、フィリップ殿下によるチャールズ国王の教育への批判に見られるように、たまたまそれに固執したら良い結果はでなかった。

また、最終的には本人や親の意向で決めるべき問題だが、首相など政府首脳が相談相手となるべきというほど国家にとって大事な問題であるし、日本でも過去にはそうしてきた。

一方、学習院が「皇族の教育機関」らしさを発揮するなら、皇室の歴史や海外の王室についての研究機関でもつくって、大学院などのかたちで人材育成ができるようにしたらどうか。

皇族だけでなく、妃殿下になろうという女性、研究者や関係機関の職員などの育成にも役立つと思う。それが良いものになったら、悠仁さまの帝王教育の場として役に立つかもしれないと考えるのだが、どうだろうか。

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八幡 和郎(やわた・かずお)
徳島文理大学教授、評論家
1951年、滋賀県生まれ。東京大学法学部卒業。通商産業省(現経済産業省)入省。フランスの国立行政学院(ENA)留学。北西アジア課長(中国・韓国・インド担当)、大臣官房情報管理課長、国土庁長官官房参事官などを歴任後、現在、徳島文理大学教授、国士舘大学大学院客員教授を務め、作家、評論家としてテレビなどでも活躍中。著著に『令和太閤記 寧々の戦国日記』(ワニブックス、八幡衣代と共著)、『日本史が面白くなる47都道府県県庁所在地誕生の謎』(光文社知恵の森文庫)、『日本の総理大臣大全』(プレジデント社)、『日本の政治「解体新書」 世襲・反日・宗教・利権、与野党のアキレス腱』(小学館新書)など。
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(徳島文理大学教授、評論家 八幡 和郎)