「合否よりも大きなものを、受験を通して私たち親子は受け取ったような気がします」と語る、母親の香奈さん(写真:筆者撮影)

今年の4月、首都圏に暮らす大山夏音(仮名)さんは、ぎこちなくブレザーを羽織り、新しい学校の門をくぐった。成長を考えたのだろう。少しオーバーサイズなブレザーが新入生である証しかのように、彼女の肩を優しく包む。「この学校で、私は世界に羽ばたいてみせる」。悔し涙を流した日から2カ月、夏音さんのまなざしはすでに前に向かっていた。

一流のプレーヤーになるために

「わたしもやっぱり私立に行きたい!」

上に2人の姉を持つ夏音さん。長女は地元の公立中学から高校へ、次女は6年生から通塾をはじめて第一志望の私立の伝統女子校に合格していた。受験を目指すことにしたのは、姉たちの状況を見てというところも大きいだろうが、夏音さんが受験を考えるきっかけはそれだけではなかった。彼女はあるウィンタースポーツのチームに所属しており、将来はプロの選手として活躍することを夢見ていた。

しかし、日本ではまだ女子の競技選手は少なく、彼女の所属チームでは、練習も男子と合同で行われていた。小学校高学年になったある日、アメリカで暮らす日本人の女子選手Aさんと話す機会に恵まれた。その女性は競技だけでなく勉強にも励み、日本の国立大学を経てハーバード大学に留学、勉強しながら現地のチームで練習をしているという。プロには選ばれていないものの、アメリカは男女関係なく練習の機会も得られるという話をしてくれた。

「Aさんが言ってたの。スポーツだけでは食べていけない。他にも得意なことが必要だって。だから、セカンドキャリアも視野に入れた方がいいんだよね。私も海外に渡って留学して学びながらプロを目指したい」(夏音さん)

これが、夏音さんが中学受験をしたいと言い出した理由だった。その後、夏音さんは自力で情報を収集し、母に学校の資料を見せるようになった。

小学校の先生と衝突することもあった夏音さん。好き嫌いが激しいと一言で済ませるのは大人の理屈なのかもしれない。大人を「嫌い」と思う時、子どもには子どもなりの理由があるのだ。

夏音さんは幼い頃から子ども扱いされるのが大嫌いだった。姉もいるため、同年代の子と比べると少しませている部分もある。そんな夏音さんにとって、プロを目指す厳しいスポーツの練習は、子どもだからと妥協を許されない雰囲気が好きだった。

“私は絶対に一流のプレーヤーになってみせる!そのために、有名チームもあるアメリカやカナダに留学できる学校に入ろう”

先輩女子プレーヤーとの交流で生まれたみなぎる感情は、彼女の夢へと変わっていった。

「そうかぁ、それなら、お父さんも応援するよ!」

いつも練習に付き合っている父・真一郎さん(40代、仮名)は三女の意思を尊重、後押しを約束してくれた。

母親の香奈さん(40代、仮名)も、本人の希望ならばと、拒むことはしなかった。だが、積極的に中学受験の伴走ができるほどのゆとりはなかった。香奈さんはスタッフを複数抱える事業所を経営している。専業主婦ではないため、受験に向けての家庭学習に付き合うことは難しい。勉強だけではない。中学受験をする家庭の中には20校以上も見学するという強者もいるが、学校選びを入念に行うだけの時間のゆとりもない。これは夏音さんの姉、次女の受験の時も同じだった。

「ママは沢山のことはしてあげられない。自宅学習はプリント管理も含めて自分でやることになるよ。それでも、挑戦したい?」

「大丈夫。自分でやる!」

こうして5年生の3学期、夏音さんは入塾した。

遅めのスタートからの転塾劇

5年生の3学期ともなれば、すでに塾の中学受験コースはかなり進んでいる。受験をするなら、今からでも勉強が間に合う学校に絞って考えるしかないだろうということは想像がついていた。

入塾したのは自宅近くにあった栄光ゼミナール。20人ほどの集団クラスで授業は進んだ。

塾の薦めで初めて受けた模試は、首都圏模試センターが実施する通称“首都模試”だ。この模試はサピックスなどに通う難関校狙いの生徒は受けない場合もある模試だが、個人塾に通う子をはじめ、幅広い層の受験者がいるのが特徴だ。模試によっては偏差値40台の学校は名前すら出てこないことがあるが、首都模試は偏差値帯が下のほうの層の学校まで見ることができる。

受験勉強を始めたばかりの夏音さんの成績は、予想通り低いもので、偏差値は26。中学受験の世界を知らない人からすれば、こんな偏差値があるのかと驚く人もいるだろうが、受験勉強を始めたての子が取る偏差値としては驚く数字ではない。中学受験の問題は小学校の勉強とは異なるため、最初はできなくて当たり前だ。

次女の受験を経験している大山家も、さほど驚くことはなかった。ただし、時間がない。効率的な方法を考える必要があった。実は次女の受験の時にも同じような状況だった。始めたのも遅ければ偏差値もさほど高くなかった。

中学受験の場合、難関校の大半は国語、算数、理科、社会の4教科の試験を課しているが、準難関校や中堅校では国語と算数の2教科で入試に挑める学校が多くある。大山家は次女の受験でも2教科の勉強に絞り、第一志望校の合格を手にした経験があった。

「今からだってきっと大丈夫」

両親に不安はなかった。

ところが、だ。入塾してしばらくすると、夏音さんが「塾の先生が合わないから塾を変えたい」と言い出した。どこが合わないのかと聞いても「とにかく嫌」の一点張り。同じ栄光ゼミナールで個別指導も試したが、ここでもしっくりくる講師には出会えず、やむなく別の塾を探すことにした。

訪れたのは地元では知られた個別指導の塾だった。個人経営ではないが、大手とまではいかない。しかしここでも合う先生が見つからずに終わる。そして、最後に訪れたのがトライプラスだった。トライと聞くと、中学受験塾という印象は薄いのだが、夏音さんはここが気に入った。

「上の姉が通っていて、一緒に通えるのがよかったのかもしれません」(母・香奈さん)

お姉ちゃんが通う塾。子ども扱いを嫌う夏音さんにとってはここも魅力だったのかもしれない。

6年生の夏も習い事の合宿に参加

個別指導を選んだのにはもう一つ理由がある。それは、習い事との両立だ。集団指導の塾では学校と同じで時間割が決まっているため、自分の予定に合わせて曜日と時間を決めることができない。夏音さんの場合はチームでの練習を続けることが最優先事項だったため、集団塾は両立が難しいと感じた。

かといって、個別指導で中学受験を専門に扱う講師のいる塾の場合、周りと比べて勉強時間が取れていないことをまざまざと見せつけられる。そんな環境も、夏音さんにとっては「嫌」の原因だったかもしれない。多くの中学受験生が夏期講習に通う6年生の夏休みも、夏音さんは2週間、練習合宿に参加していた。

それでも、6年生に入ってからは成績も上がり、模試の結果も算数は苦戦するものの、国語の偏差値は安定して50を超えていた。そして、2教科偏差値も40台後半から50台前半を行き来するようになっていた。

そんな夏音さんが第一志望校にしたのはサレジアン国際学園世田谷(サレジアン世田谷)だった。2023年に女子校の目黒星美から校名を改めて共学化することが決まっていた学校で、夏音さんの学年はその一期生の募集の年にあたる。

昨年までの偏差値帯ならば射程範囲の学校だった。だが、共学化の募集初年度のため、偏差値や倍率が読めない。女子校の目黒星美時代には偏差値表40台の枠に位置していた学校だが、首都模試の偏差値表では幅があった。実際に学校説明会に参加するとあふれるほどの親子が来ていた。教育内容についての学校側からのプレゼンも素晴らしいものだった。

「これは、人気が上がるな……」

娘と一緒に説明会に訪れた母親の香奈さんは直感的にこう思った。

一方の夏音さんはというと、サレジアン世田谷は複数回受験することができるため、どこかの回では合格できるだろうと考えていた。万が一を考えて、あと1校くらいは志望校にしておこう、その程度にしか思っていなかった。

彼女が設けた志望校の基準は、海外留学のチャンスがある学校。ここを軸に情報を集めた結果、気になる学校が他に2校見つかる。その1校が、サレジアン世田谷と同じく、近年校名を変えて共学化、グローバル教育を強みとして推し出しはじめた千代田国際だった。数々の学校改革を手がけてきた敏腕校長が就任したことでも話題になった学校だが、説明会に参加した結果、ここは志望校から外すことにした。

「ものすごくパワフルな説明で、説得力もありました。でも、なんとなく、はっきりとこれが違うとは言えないのですが、ここは夏音とは合わないなと思ったんです」(香奈さん)

これは学校に実際に足を運んだ人にしか分からない感覚なのだが、私学は学校により受ける印象が本当に違う。学校全体や生徒の雰囲気、校舎の佇まい、その全てが醸し出す何かがあるのだ。母親の勘は当たり、夏音さんも「ここは違う」と感じたらしく、志望校にしたいとは言わなかった。

もう一つの学校は伝統校でありながら、近代的なビルの校舎を持つ学校で、生徒数もかなり少ない。だが、海外への留学チャンスが豊富にあり、海外高校に滞在しながら日本の高校の卒業資格も取れるダブルディプロマ制度もあった。集まる子たちも留学を意識する生徒がほとんどのようだった。

夏音さんは第一志望のサレジアン世田谷に受かるつもりでいたため、一応、志望校に入れておこうかという程度だったが、こうして2校の受験を決めた。しかし、塾の薦めもあってもう1校、女子校の富士見丘学園から共学化した「横浜富士見丘学園」も視野に入れることにした。

「受験で休むくらいなら辞めろ!」

志望校も無事に決まり、成績も安定、申し分のない状態で冬を迎えたつもりだった。ところがだ。粛々とやるべきことを進める夏音さんの心に、不協和音が響き始めた。

「あいつはダメだ。あいつのようなプレーはするなよ!」

練習中、名指しで罵声を浴びせられた。それは、所属するチームの監督の声だった。入試直前期の1カ月の間だけ、休部したいと申し出たところ、

「受験で休むくらいなら辞めろ!」(監督)

と言われたのがきっかけだった。レギュラーからは降格、もちろんそれは覚悟していた。休部に入るまではいつも通り練習に出ようと頑張ったのだが、行けば行くほどひどい言葉を浴びせられる。考えてみれば、チーム内に中学受験をする子はいなかった。夏音さんの所属するチームのメンバーは多くが小学校受験で大学付属の一貫教育校に入学しているため、練習に打ち込めているのだ。

そんな中でも父親は夏音さんの夢を叶えてやりたいと、留学先のリサーチを続けていた。プロ選手への夢は諦めたくない。でも、この屈辱的な扱いにはもう耐えられない……。留学情報を入手しては説明してくれる父の存在が疎まれるようになった。夏音さんの心は限界を迎えはじめていたのだ。

「わたし……もう練習いかない……競技も辞める……」

休部ではなく退部を申し出ることにした。

入試も迫る中、やる気も出ないまま、淡々とした日々が続いていく。そもそも夏音さんが中学受験を目指したのはこのスポーツでプロを目指すためだった。その目標が失われてしまったのだ。なにもやる気が出ないのは無理もないことだろう。両親は見守るしかなかった。

監督から浴びせられた「お前はダメだ」という言葉の棘は簡単には抜けない。子ども扱いが嫌いという夏音さんだが、そうは言ってもまだ子どもだ。監督のこの言葉は全てを否定されたような気持ちにさせた。

後日、父親は監督に直接抗議に行った。これは明らかに虐待じゃないのかと問い詰めたが、監督は全く受け入れる気がないばかりか「殴ってないから虐待じゃない」と言い放った。

冬の薄い日差しは夏音さんの心をなかなか温めてくれなかった。暗い表情が続く。だが、中学受験を辞めるとは言わない。数日後、こんなことを言い始める。

「私、競技をやめても生きていける術をつけなくちゃいけない……」

この思いを本人が見いだすまでにどれだけの苦しさを乗り越えただろうか。夏音さんは自らの力で再び心を立ち上げ、集中して過去問に取り組むようになりはじめた。

母子の絆を深めた思考力型入試

受験は過酷なものとなった。母親の予想通り、サレジアン世田谷は志願者を伸ばし、結果を見ると全体で1061人が出願している。

当初申し込んだのはサレジアン世田谷のみ。2月1日午前、午後、3日午後入試の3回に出願した。癖のある問題だったが、対策はしてきた。合格は夢という話でもないと思って挑んでいた。

夕方に午前の結果を見ると、合格の文字はない。落ち込んだものの、まだ午後入試の結果がある。午後の結果が出るのはどこの学校も夜10時頃になることが多い。翌日も入試かもしれないと思うと、早めに寝かせた方がいいのは分かっているが、結果を見ずに本人が寝られるわけもない。家族が見守る中でおそるおそるパソコン画面を覗きこみ、発表のボタンを押す。

「不合格」

画面に映し出された3文字を見た瞬間、緊張の糸が解けたのか、夏音さんの目から涙がぐゎっとあふれ出た。覚悟はしていた。だが、実際に泣き崩れるわが子を前に、なにも言葉が出てこない。わが子の涙は想像以上に辛かった。

次女の受験では1日に合格をもらっていたため、親もここからは初体験だ。本命サレジアン世田谷の次の入試までは1日空く。そこで、塾の先生からの薦めもあった横浜富士見丘の午前、午後の入試に申し込んだ。しかし、一度ならず2度も不合格の文字を目にすると、親もひるむ。

本命校のサレジアン世田谷の3日入試はペーパーテストの入試以外に思考力型の入試があった。こちらはあらかじめ与えられたテーマについて、試験当日に与えられる資料を基に自分の考えを書き上げるという試験だった。

今年のテーマはジェンダー。ジェンダーは経営者でもある母香奈さんにとっても身近な話題だ。夏音さんは受験用の作文練習はしていなかったが、教科テストよりもこちらの方がチャンスがあるかもしれない。そう考えた香奈さんは、夏音さんにもちかける。

「お母さんが全力でサポートするから、2日の午後入試を捨てて、サレジアンの21世紀型にチャレンジしてみない!?」

「そうだね。分かった。やってみる!」

2日午前の入試を終え、自宅に戻った夏音さんは香奈さんと共にダイニングテーブルに向かった。

「ここはもう少し夏音の思いを伝えた方がいいかな」

「こんな展開にしていくんだよ」

経営者としても手腕を振るう早稲田大学出身の香奈さんのアドバイスは無駄がなく適切だった。数時間の練習で夏音さんの文章は見違えるほどになった。

「とにかく明日は最後まで書き切ることを目標に、やれるだけやりなさい」

正面から向き合って過ごした二人だけの時間

明るく励ます香奈さん。常に多忙な母親。姉妹もいる夏音さんがこれだけ母親を独り占めできたのは、生まれて初めての経験だ。合格することも大事だが、この濃厚な時間を持てたことは、合格よりも大きなものとして夏音さんには残るだろう。

だが、一夜漬けでできるほど試験は甘くはなかった。与えられた資料は想像したものとは全く違い、結果は不合格。前日の横浜富士見丘も合格をもらえず、一つの合格もないまま、入試3日目が過ぎていった。

4日目、横浜富士見丘と、見学で気に入っていた小規模ながらグローバル教育に優れた女子校を出願、もう気力だけの戦いだ。これが最後の入試。何度も目にした「不合格」。だが、この日、画面に現れたのは3文字ではなく2文字だった。

「合格」

夏音さんはなんと2校とも、合格していた。長い長い4日間が終わった。

「私はここで世界を目指す!」

彼女が選んだのは最後の最後に受験した女子校だった。何度もくらった「不合格」の文字。「最後まで書き切る」と母に言われたのは作文だったが、彼女はまぎれもなく中学受験という作文を最後まで書き切った。私だけのためにお母さんが時間を作ってくれたという思いが、彼女を支え続けた。

「合否よりも大きなものを、受験を通して私たち親子は受け取ったような気がします」

フェミニンな服装がよく似合う母親は柔らかにそう話す。共働き家庭が増えた現代、子どもと接した時間の長さよりも、密度が大事なのだと言われるようになった。夏音さんと香奈さんが正面から向き合って過ごした二人だけの時間は、文字通り濃密な時だった。揺るぎない母への信頼。入学式、夏音さんはほこらしげに校門前で母と二人、写真に収まっていた。


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(宮本 さおり : フリーランス記者)