作家の白岩玄さんと男性学の専門家・田中俊之さんが、日々の子育てで感じる戸惑いや男性的な生き方への違和感をめぐって対談(写真:Taka/PIXTA)

「産後パパ育休」が創設されるなど、男性が子育てしやすい環境整備は進む昨今。一方で、男性同士が子育ての悩みや喜びを語り合う機会は少ない。近著『プリテンド・ファーザー』で同居する2人のシングルファーザーが子育てを通して変化していく姿を描いた作家の白岩玄さんと男性学の専門家・田中俊之さんが、日々の子育てで感じる戸惑いや男性的な生き方への違和感をめぐって対談した。

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男性2人が主人公の小説、誕生の裏側

『プリテンド・ファーザー』は、それぞれ1人で子育てをしていた恭平と章吾が、同居生活を通じて家族のありかたや自身の生き方を見つめ直し、変化していく姿を描いた物語。男性優位の大手飲料メーカーで花形の営業マンとしてキャリアを積んできた恭平は妻を亡くし、1人で娘を育てるものの、育児と仕事の両立に限界を感じ始めた。そんな矢先、高校時代の同級生で保育士資格を持つベビーシッターの章吾に再会。章吾もまた1人で子どもを育てていることを知り、住み込みのベビーシッターとして同居することを提案、2組の家族が共同生活を始める──。

田中俊之(以下、田中):この作品はまったくタイプの違う恭平と章吾という2人の父親の視点が切り替わりながら進んでいきます。

妻の急死によって初めて育児と向き合う恭平は、ずっと男性中心社会の中で生きてきて、日本社会の性的役割分担に疑問を持ってこなかった男性。かたや章吾は、パートナーや子どもに寄り添い、支える「ケア」ができる男性で、2人は対照的です。

ケアができる章吾は今の社会では称賛されるタイプですが、一方で彼はいつも人のことばかり考え、まわりに助けを求めることができずに悩みを抱えてしまうという側面もある。一見すると、旧態依然とした仕事に生きる男性とケアができる理想的な男性という新旧の対比のようですが、そういう単純な話ではないところもこの小説の魅力の1つだと感じました。

白岩玄(以下、白岩):2人の父親の視点で描くという方法は、子育てをしている僕自身の中の2人の父親が対話するような形で物語を紡げたら面白いのではないかというところから発想しました。

6歳と3歳の2児を育てる中で、自分が父親として、「問題なくやれているな」と思う時と「全然ダメだな」と思う時が1日の中でも交互にやってきて、両方の部分があると感じています。


『プリテンド・ファーザー』のきっかけになったのは、別の作品でなにげなく「いい父親のふりをしている」というセリフを書いたことでした。

後になってこのセリフが自分に深く刺さって、実際に父親である自分もなんだか父親のふりをしているような気もするな……という感覚が大きくなり、もっと掘り下げたらどうなるだろうと思って書き始めたんです。

田中:それがこの「プリテンド」=「ふりをする」というタイトルに反映されているんですね。

「行為によって親になる」という言葉の意味

白岩:最初のころは、「ふりをする」ということについて悩みながら書き進めたのですが、結果的にこの作品で「行為によって親になる」という言葉にたどり着けたことがとてもよかったと思っています。その言葉が自分にストンと落ちたというか。

日々の育児を振り返っても、子どもと血がつながっているということはさほど重要ではなくて、そこに愛があれば子どもは問題なく育つし、関係性をつくっていった結果、「パパ」と認識されて信頼してくれる。

むしろ大事なのは子どものためにしてきた行為の積み重ねであって、続柄というのは大人が社会を管理するためにつけているだけで別に重要じゃないよなと思うようになりました。

本の帯に「拡張家族の物語」と書かれていますが、僕自身は拡張家族という概念を書いているという意識はなくて。編集者から言われて気がついたという感じでした。

田中:「行為によって親になる」という点、本当に大事だと思います。親になるためには「男親」の「男」の部分を克服していくことが必要ではないかという気がします。

例えば、人の上に立って模範を見せるべしとか、どんなことでも答えを知っていなくてはならないとか、成果にこだわるとか……そういった男の部分を捨てていくことで親になっていく。僕も今、父親をテーマにした本を執筆しているところなのですが、やはり結論は男性の克服だと思っています。

白岩さんは以前にも『たてがみを捨てたライオンたち』で男性を主題にしていますが、何かきっかけがあったんですか。

白岩:実は20代の半ばぐらいからずっと男性の話を書きたいと思い続けていたんです。でも当時は男性の感情を書くのが恥ずかしくて。強がっていたところもあると思います。だから男性が主人公であっても、男性としての悩みでなく、誰でも経験する普遍的な人間の悩みとして描いたりしていました。

その後、5年間ほどたってようやく書けるようになったのは、結婚し、妻が「男らしさなんてどうでもいい」という考えを持っていて、夫婦のどちらが外で働くとか、運転するとか、育児や家事をするとか、そういうことを気にしない人だったことが大きいです。妻のおかげで自分の背負ってたものを降ろせたように思います。


白岩玄さんにオンラインでお話を聞きました(編集部撮影)

そうすると自然と男の弱い部分も書いていいんだ、と思うようになってきて。そういった自分の内面の変化と小説のテーマとが一体となって書けたのが、『たてがみを捨てたライオンたち』でした。

書き上げた時に、男性というテーマでもっと書きたいという気持ちが湧いて、『プリテンド・ファーザー』につながりました。これまでは1つ書き上げたらそのテーマは終わりにしていましたが、『たてがみ』を書いた時に、男性というテーマはまだ下に何か埋まっているという感覚があったので、3部作にする構想を描き、現在3作目を書いているところです。

田中さんは男性学という学問の道を進もうと決めたきっかけがあったんですか。

この社会で期待されている“男性の役割”

田中:大学で社会学を専攻していた時すでに、毎日スーツを来て同じ時間に家を出て、同じ会社に行って、混雑する店で昼食を食べるという生活が自分には無理だと感じ、大学院進学を決めたんです。今振り返ってもやはり無理だと思いますね。

昔から、この社会で期待されている男性の役割になじめないという感覚を持っていました。なのに、自分がこれほど違和感を持つものを「普通の人」は受け入れて生きている。それが不思議だったので、その謎を解きたいという思いが出発点です。

今の日本の男性の生き方は古来のものではなく、高度経済成長期に生み出された常識です。ごく短期間にこんな常識を国民に浸透させた日本社会について、社会学という学問を通じて自分なりに納得したかったんです。

白岩:田中さんの言う「無理なこと」を諦めるというのはとても大事ですよね。自分を振り返ってもそう思います。しんどいと思いながら自分に無理なことを頑張ってきて、諦めてみたらすごく生きやすくなるというか、やっと自分になれたという感じがすることがありました。

今日、田中さんとお話ししたいと思っていたことの1つが、「父親の言葉」を紡ぐことの難しさです。父親としてインタビューを受ける時でも、自分の育児や家事に対する「成績表」を見せて、日々どれだけ育児をして、こんなふうに妻と分担しているということを説明してからでないと子育てについて話せないという圧力を感じるんです。

『プリテンド・ファーザー』を書く時も、男性が普通に育児をしている父親だということを伝えようとすると、過剰に育児の場面を書かなくてはいけないのでは、と悩みました。単に「父親」と書くだけでは、読者はその男性が育児をすることを前提にしてくれないはず。そこには「男性はそういうもの」という決めつけや先入観があるように感じます。

女性の育休取得率8割が示すこと

田中:要するに、父親というのは、例えばゲームをやる時に「ルールとかあんまり知らないだろうけど、仲間に入れてやろうか」とおまめ扱いされているようなものなんですよね。そういったことへの違和感がスルーされて「イクメン」とか「頑張れパパ」といったふうに世間に流通しやすい言葉に変えられてしまうことに疑問を感じていらっしゃるんですね。


田中俊之さんにオンラインで話を聞きました(編集部撮影)

これは男性学を研究する僕自身のテーマであり、『たてがみを捨てたライオンたち』で白岩さんも書いていたことですが、やっぱりマイノリティーの男性の人たちが感じていることや経験がストレートには伝わっていかない、あるいは聞く耳を持ってもらえない状況があると思います。

社会的背景を考えると、やはり育児は女性の責任という観念が日本ではいまだに強い気がします。一例を挙げると、女性は85.1%が育児休業を取得しています(「令和3年度雇用均等基本調査」)。それはもちろん良いことですが、なぜ8割以上が取得できるかというと、それは育児は女性の責任だから責任を果たすために休暇を与えましょうという考え方がある。

一方で、企業の方から「男性が育休を取ると会社にどんなメリットがありますか?」といった質問を受けることが増えました。

それはやはり「そもそもは女性に責任がある育児をお前にもやらしてやるからには、見返りがあるんだろうな」という発想なんですよね。だから、ただストレートに「育児がしたい」「はい、そうですか」では通らない状況があるわけです。

そういう社会の認識があるがために、「この人は育児をしている男性です」ということを読者に伝えるために、言い訳のようにたくさん描写しないという状況があるんだろうと推測します。性別役割分業は、われわれの生き方の中にも意識の中にもきつく残っているがゆえに、反対のことをやっている人についてのたくさんの描写が必要になってくるのだと思います。

(構成:手塚さや香)

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(白岩 玄 : 作家)
(田中 俊之 : 大妻女子大学人間関係学部准教授)