インドネシア・ジャカルタ首都圏の通勤電車、KCI Commuter Lineの主力となっている元JR東日本の205系。同国政府は日本の中古電車輸入禁止を決めた(筆者撮影)

「日本からの中古電車の輸入は一切認めない」――。半年以上の議論の末、これがインドネシア政府の出した答えだった。

6月22日、中国の支援で建設が進むジャカルタ―バンドン高速鉄道の試運転への乗車を終えたルフット・パンジャイタン海事投資調整大臣は、同鉄道ハリム駅に集まった報道陣に対し、「最終決定として、日本からの中古通勤型車両導入の禁止を下した」と発表。また同時に「新車は3編成(36両)のみの輸入を許可する」と発言した。

時と場所からして、政治臭を感じずにはいられないが、実際には前日の会議で答えは出されていたという。会議の結果が政府高官の一声で覆ることは起こりうる。が、現政権下で事実上の最高意思決定権のあるルフット海事投資調整大臣の口から語られたことで、これは決して覆らない最終決定となった。

日本の中古車両輸出は不可能に

日本側関係者にとっては、ここまで決定を引き延ばすからには、逆転のチャンスがあるとの期待がかかっていた。どうせ認めないなら、もっと早く言ってほしかったというのが本音だろう。本来、潰す予定だった車両の維持、保管にかかったコストは決して小さいものではない。しかも、天皇陛下がインドネシアにご訪問されているそのタイミングでの発表である。それだけに、関係者の落胆の声は大きい。

これで日本製中古車両のインドネシアへの輸出という道は完全に閉ざされ、国産メーカーである国営車両製造会社(INKA)製車両の導入へ切り替わる。


2020年11月に到着した元JR東日本の車両。これがインドネシアへの中古車両最後の到着となった(筆者撮影)

ルフット海事投資調整大臣は、当初、中古車両導入に対して決して否定的ではなかった。しかし、このような結果になった背景には、2024年の大統領選を控える国内政治の駆け引きをはじめとして、複雑な事情があった。

そもそも、中古車両導入にNOを突き付けたのはジョコ・ウィドド(ジョコウィ)大統領である。何かにつけてナショナリズムに訴えがちなジョコウィ大統領は、中古車両のみならず、あらゆる外国産品に対して規制を強化している。有名なところでは鉄鋼および鉄鋼製品の輸入を大幅に制限しており、品質の悪い国内産では代替が利かないため、インドネシアで高いシェアを誇る日系の各自動車メーカーからも悲鳴が上がっている。

つまり、2014年にジョコウィ大統領が就任した時点で、中古車両の輸入ができなくなるのは既定路線だった。しかし、2013年の時点でドアも閉まらず屋根まで乗客があふれていたジャカルタ首都圏の通勤路線(KCI Commuter Line、以下KCI)の早急な近代化のために定められた2019年までの車両輸入特例は前政権から引き継がれ、暫定的に認められていた。


2013年のマンガライ駅の様子。駅の高架・立体化も未着工で、乗客が屋根にまであふれていた(筆者撮影)

そんな中、いまさらながらKCIへの中古車両輸入の是非を問う議論が再燃したのは、車両の不足が深刻化していたからである。

国産車導入は遅れ、既存車両は老朽化

本来であれば、中古車両の輸入特例が終了した後は、INKA製の国産車両が順次投入されているはずだった。だが、コロナ禍などの影響も受けて国産車両の導入は早くても2024年に遅れることになった。一方、2022年半ば以降は社会のコロナ禍からの平常化が急速に進み、同年末時点でKCIの利用者数はコロナ前の8割程度に戻った。加えて、この間にブカシ線ジャティネガラ―ブカシ間の複々線化(長距離列車と通勤電車の分離)が完成、また沿線宅地化に伴うスルポン線末端部の利用者増加による大幅な増発が必要となっていた。


さらに、保有車両のうち、2010年代初頭に導入されていたチョッパ制御車両のトラブルが続発するようになっており、交換部品も枯渇していることから廃車せざるをえない状況に陥っていた。2020年以降、車両数がまったく増えないどころか減っている中で、必要車両数が飛躍的に増加していたわけだ。

現在はラッシュ時の減便という最悪の事態を避けるため、いったん12両編成に伸ばした車両を8両に減車して編成数を確保する対応が続いており、もっとも輸送量の大きいボゴール線では、5分ごとの運行が維持されている反面、ほとんどが8両編成となってしまい、混雑がコロナ禍前よりも悪化している。体感的には2012年時点と同程度くらいに後退しており、ピーク時は180%近い乗車率で、各駅で積み残しが発生している。もはや、2024年の国産車両導入を待つどころではなく、輸送力確保のためには2023年に中古車両を暫定輸入することは回避できない状況だった。

そこで、KCIは2022年半ばから中古車両輸入許可申請の準備と根回しを始めていた。2025年までに最大29本の調達の意向を示し、2022年末にようやくKCIを管轄する国営企業省が導入支持の立場を表明した。これに呼応して、どっちつかずだった運輸省も黙認という形で、事実上の支持に回った。


ジャカルタ首都圏の主力となっている元東京メトロと元JR東日本の車両。そのうち、チョッパ制御車両の機器の老朽化が深刻になっている(筆者撮影)

最低限の数の中古車両を導入し、もともと8両編成だったチョッパ制御車両の更新(VVVF制御化)という案も持ち上がったが、現状の設備上、これ以上の増発が難しい中での輸送改善は12両編成への統一以外に術はなく、更新工事は中古車導入以上のコストとなること、そしてリードタイムも長いことから、チョッパ制御車の置き換えも含めて、中古車両12両編成29本の導入がKCIの本命だった。


しかし、そんな国営企業省と運輸省に真っ向から反対したのが工業省である。工業製品の国産化を推奨するジョコウィ大統領令に逆らうものであるとして、中古車両輸入論者を国賊とでも言わんばかりに推進派を牽制した。議論は平行線をたどり、ついに業を煮やしたルフット海事投資調整大臣が2023年3月初めに考えを示した。ジョコウィ大統領のガードマンとも言われる同大臣の言動を関係者は固唾を飲んで見守っていたが、なんとこの時、同大臣は金融監督庁による監査が必要と付け加えたうえで、輸入支持に回った。

国会での議論に世間の高い関心

これにざわついたのが国会(衆議院)である。貿易、商工業、国営企業に関する予算審議、また監督権等を有する衆議院第6委員会は、ただちに参考人質疑を開き、INKAとKCI、それにKCIの親会社である国鉄KAIの各社長を出頭させた。この様子はYouTubeにてライブ配信され、再生数は1万2000を超えた。第6委員会のライブ配信は通常なら伸びても1000再生程度で、いかに中古車両輸入の是非に世間が注目していたかがわかる。

参考人質疑では、2023年〜2024年にかけて最低12編成の中古車両の緊急輸入は避けられない状況であること、またその後の国産車両導入を約束していることをデータを用いて説明するKAI社長、車両製造が2024年には間に合わないことや、新車のほかに既存車両を更新して延命する案などを説明するINKA社長に対し、委員会メンバーはフィリピンやバングラディッシュなど、諸外国への輸出実績もあるのにどうして国内向け車両の製造ができないのかと強い口調で罵り、社会のため、国民のためであるという感情論を展開した。

補足しておくが、INKAの輸出実績はほとんどが客車や貨車で、一部が気動車という程度であり、電車の輸出実績はない。しかし、委員会メンバーに客車と電車の違いなどわかるはずもない。

そんな中、INKA社長は声を詰まらせながらも、電車を製造できる技術はあると回答する一幕も見られた。現状のINKAは独自で電車を設計するまでの能力はなく、寄せ集め部材を組み立てているという状況である。高度な設計技術を要する電車に関しては、KAI、KCIからの評価も極めて低いのが現状で、コーチビルダーの域を脱していない。それは出頭した各社長が一番よくわかっているし、そこさえクリアすれば、国産車両導入になんら障壁はない。それにもかかわらず、製造できると言わせたのは誘導尋問とも言える。


ボンバルディアの技術を用いて製造されたINKA製のスカルノ・ハッタ空港線用車両(筆者撮影)

極めつきは、委員会メンバーから飛び出した「鉄道はレバラン(断食月後の帰省期間)の時期にしか混雑しないのだから急いで車両を入れる必要がない」との発言で、ライブ配信のチャット欄はブーイングの嵐となった。現場を見ていない、経歴だけの非常識議員、庶民生活を知らない上級国民……と炎上状態となり、ライブ配信終了後は中古車両輸入反対を声高に叫んでいたアンドレ・ロシアデ議員を中心にSNS上で標的となり、場外バトルの様相を呈した。

また、以前から中古車両の輸入に関しては批判的なメディアも一定数存在していたが、今回に限っては、ほぼすべてのメディアが緊急輸入は避けて通れないという論調で一致したことも特筆される。中には、乗客を再び屋根の上に乗せる気かという評論家のコメントを掲載するなど、言論統制がまかり通るインドネシアでは珍しく、ほとんどのメディアが国産にこだわる政府を批判する方向に動き、連日報じた。オンライン署名サイト「Change.org」にも中古車両輸入許可を求めるキャンペーンが立ち上がり、市民運動にまで発展した。

反対派議員も支持に転じたが…

結局、アンドレ議員は世論に押され、人生で初めて朝ラッシュ時の電車に乗って、自宅近くの最寄り駅から国会へ登庁した。殺人的ラッシュを経験した同氏はこれまでの主張を翻し、輸入支持派に転じた。これを受けて、衆議院も中古車両の緊急輸入を事実上認めたも同然となった。


非常に混雑する朝夕のボゴール線。早急のオール12両編成化が望まれる(筆者撮影)

それでもなお工業省は頑なに反対の立場を崩さず、最終判断は金融監督庁の調査結果とルフット海事投資調整大臣に委ねられることになった。金融監督庁の担当者はわざわざ日本に渡って現車確認まで行っており、評価は良好だったと伝えられている。

誰の目から見ても、もはや背に腹は代えられない状態であったにもかかわらず、ここまで議論が長引いたのは、2024年に控える大統領選の影響がある。現職のジョコウィ大統領は任期満了のため再選はないが、引き続き政界に影響力を行使するというのがもっぱらの見方である。よって、今の時期に荒波を立てたくないというのが、議員、閣僚らの本心である。自ら先んじて中古車両輸入を唱えられる状況ではない。

そんな中でも国営企業省が中古車輸入推進の立場を表明したのは、次期副大統領候補にも名前が挙がる実業家、エリック・トヒル国営企業大臣の影響力によるところが大きい。当初は4月には出ると言われていた決定が延びに延びて6月に持ち越されるまでの間、政府内での駆け引きが続いたであろうことは想像にかたくない。

この間には、輸入した中古車両の編成組み替え、運転支援装置のROM更新などの現地化改造をINKAに受注させ、ある程度の国産化比率を担保させるという妥協案も示されたようであるが、最終的な答えは「NO」だった。

今回の中古車両輸入禁止決定にあたっては、2024年に3〜4編成の新車輸入と、並行して既存のチョッパ制御車両の19編成程度の更新工事を実施することも併せて決まった。だが、29編成の導入予定が、わずか3編成に減少という事態に、利用者団体からは怒りを通り越して呆れる声が漏れた。しかしながら、もうこれは覆らない。大規模な輸送改善は、本格的に国産新車が導入される2025年以降まで見込めなくなった。政府のプライドが優先され、利用者は置き去りにされた格好である。


譲渡対象と目されていたJR東日本のE217系(写真:IK/PIXTA)

日本側の一押しで何とかならなかったか

筆者は一利用者として、この殺人的ラッシュをあと2年以上耐えなければならないと考えると憂鬱になる。そして、日本側からの一押しさえあれば事態は打開できたのではないかと思えなくもない。

日本政府は2014年に「ジャカルタ首都圏鉄道輸送能力増強事業(I)」として163億2200万円を上限とする円借款契約をインドネシア政府と結んでおり、その中には車両調達も含まれている。しかし、コンサルによる事前準備調査に基づいて両国の合意をもって策定されたプロジェクトであるにもかかわらず、インドネシア側はこれを不要とした。車両調達以外のパッケージもほとんど実行されていない。

そこで、2022年5月18日付記事「『日本の牙城』ジャカルタ鉄道に迫る欧州勢の脅威」で紹介した通り、この予算を用いて、ブカシ線ジャティネガラ―ブカシ―チカラン間に日本式の保安装置(ATS-P)を先行導入することとした。現在はまだ設計の段階である。また、スルポン線の自動信号化の準備も進められており、これが完成すると現在の最短10分毎から5分毎での運転が可能になる。完成後は必然的に必要車両数が増える。もし、中古車両の輸入が認められていれば、生きた状態のATS-Pを装備した車両を最大29編成も格安に手に入れることができた。高価な保安装置を新たに用意する必要はなく、スルポン線の増発も可能と、一石二鳥だった。

もともと車両調達という名目もあったわけだから、何らかの形でこのプロジェクトを活用しつつ、中古車両の暫定的輸入に向けてインドネシア側に働きかけることはできたのではないだろうか。しかし、現実には日本政府は一切動かなかった。これだけの好機があったにもかかわらず、それを生かせなかったというのは、あまりにも情けないことである。

今回の中古車両輸入禁止の決定に至る背景は、今回取り上げた大統領選をめぐる政治的駆け引きだけでなく、工業省とKCIの国産新車導入をめぐる対立、そして中国の影響力も見え隠れする。これらについては稿を改めて紹介したい。


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(高木 聡 : アジアン鉄道ライター)