ほとんど事前情報なく上映された『君たちはどう生きるか』(写真:AFP=時事)

映画『君たちはどう生きるか』(7月14日公開)は、14〜16日の全国週末興行成績で堂々の1位を獲得した(興行通信社)。しかし真に驚くべきは、この映画が、事前情報のほとんどない、言わば「NO宣伝戦略」を採ったことだった。まずは筆者が、事前情報のまったくないまま、初日・初回上映を観たレポートをお届けしたい(本記事の論旨もかんがみ、ネタバレは一切ない)。

7月14日(金)早朝。初日・初回上映を、近所のシネマコンプレックス(シネコン)に観に行く前に、念のためネットを見た。

ORICON NEWS「宮崎駿監督10年ぶりの新作『君たちはどう生きるか』謎に包まれたまま14日より公開」という記事が掲載されている。また、映画の公式サイトはなく、東宝のサイト内には、ただ「君たちはどう生きるかシアターリスト」があるのみ。


(画像:サイト「TOHO THEATER LIST」より)

「しめしめ」と思った。「余計な情報が入ってくる前に、まっさらな目で観てやろう」と思った。事前情報がほとんどないまま、新作映画を観るという、よく考えたら、ここのところ久しくなかった新鮮な経験に向かっていった。

上映は9時30分から。近所のシネコンの最も大きな「スクリーン」、平日午前にもかかわらず半分ほどの入り。

全身でストーリーに没入する体験

結論から言えば、「こうでなければ」と思った。まっさらな目で観るのは格別だと思った。

よく考えたら、最近の映画鑑賞は、かなりリッチな事前情報に対して、「照らし合わせ」をしながら観ることが多かった。「ここは情報どおりだ」「あ、これがあのヒントの答えか」「え、情報と違う……」。事前情報に一つひとつハンコを押していく、一種のスタンプラリーのような。

確かに、事前情報が次々と合致していく達成感のようなものは得られるのだが、これ、プリミティブな映画鑑賞とは異なる、屈折した楽しみ方とも言えるだろう。

対して今回、14日時点では、もちろんストーリーはおろか、声優が誰かすらもわからない。さらにはパンフレットすらも売っていない。だから、全身でストーリーに没入できたのだ。これが「こうでなければ」「格別」の理由だ。


(写真:筆者撮影)

「NO宣伝戦略」の前提として、同様に情報が明かされなかった映画『THE FIRST SLAM DUNK』の影響があるらしい。スタジオジブリ代表取締役の鈴木敏夫は、サイト「クランクイン!!」の昨年12月28日の記事の中で、こう語っている。

――「本当に考えました。何にも情報がない方が、皆さんの楽しみが増える。それを先に知っちゃったらね、喜びを奪うことになるんですよ。わかります?」

――「『SLAM DUNK』を見ていてもそうでしょ? 何にもなかったじゃないですか、あれ。僕、あれは頭いいなと思ったんです。勉強になった。どんどんどんどん予想よりね、数字が上がっていくでしょ? あれ、みんな知らなかったからですよ」

また「NO宣伝戦略」という冒険に打って出られた背景には、『君たちはどう生きるか』が複数企業の出資する製作委員会方式ではなく、スタジオジブリが多くの責任を担う単独出資方式で作られたことがあったと伝えられている。

「NO宣伝戦略」に内心でヒヤッとする理由

さて、ここまで数回「NO宣伝戦略」という言葉を使いながら、内心でヒヤッとするのは、私がかつて、広告代理店のマーケティングプランナーだったからである。

就職してすぐの頃だったか、広告マーケティングの基礎として学んだのは「AIDMAの法則」だ。商品やサービスの購入に向けて、生活者は「Awareness(認知)→ Interest(関心)→ Desire(欲求)→ Memory(記憶)→Action(行動)」というプロセスをたどるというもの。頭文字を取って「AIDMA」(注:冒頭のAを「Attention=注意」と置く場合も多い)。

プロセスのしょっぱなは「Awareness(認知)」。知られなければ買われない。当たり前と言えば当たり前。だから認知拡大のために企業は宣伝を打つ必要が出てくる。

ただ、ここで問題になってくるのはメディアの多様化だ。テレビCMや新聞広告、もしくは自社サイトでの告知では、企業の思いどおりのメッセージによる認知を拡大できるのだが、ご存じの通りSNSが、その「思いどおりの認知構造」を崩しにかかってくる。「あの商品はダメだ」「あのサービスは使えない」……。

とりわけ映画の場合は、「全米驚愕」的なありがちな映画館広告(シネアド)や、やみくもなタイアップに対して、生活者は食傷気味になっていて、新鮮な認知を与えにくいうえに、SNSにおいてもネガティブな書き込み、さらには忌み嫌うべき「ネタバレ」が林立、つまり「思いどおりの認知構造」の構築が極めて困難になっている。

私は代理店時代「良質な認知」「筋肉質な認知」という言葉をよく使った。つまり「Awareness(認知)」の後の 「Interest(関心)→ Desire(欲求)→ Memory(記憶)→Action(行動)」にスムーズにつながっていく認知のあり方。しかし映画の場合、ありがちでやみくもな宣伝手法やネガティブなSNSによって、「悪質な認知」「ぜい肉の多い認知」になりがちなのだ。

それでも、間違いを起こしたくないから生活者は、宣伝やSNSからの事前情報を参考にする。結果、事前情報だけではじかれる映画が多くなる。もしくは事前情報という第一関門をクリアして鑑賞したとしても、鑑賞体験がスタンプラリー化し、感動の幅が制限されることも多くなる。

一種の劇薬としての「NO宣伝戦略」

だとしたら、一種の劇薬としての「NO宣伝戦略」という手もあろう。同戦略によって、まっさらの目で鑑賞する格別な体験を提供し、そこからのボジ書き込みを誘発する。さらには「自分がまっさらの目で観て感動したのだから、自分も出来るだけ内容を拡散しないようにしよう」という気持ちを生み出す(事実、本作関連の書き込みを見ていると、ネタバレについて鑑賞者が必要以上に慎重に対応しているのがわかって微笑ましい)。

逆に言えば「NO宣伝戦略」には、かつ「売らんかな」な押し付けがましい宣伝の反作用としてのネガ書き込みやネタバレを抑制する効果もある。そして言うまでもなく、宣伝費を劇的に圧縮できる。

もちろん、この戦略に打って出る絶対条件として、内容に対する絶対的な自信に加えて、「あのスラムダンク」「あのスタジオジブリ」「あの宮粼駿」のような高いブランド力が必要となるが、しかし、そこまでの高いブランド力がない場合でも、やろうとしている宣伝手法の結果として生み出される認知が、良質なのか悪質なのかを、しっかりと見極めることが必要だと言える。

平たく言えば「バズればいいってもんじゃない」時代ということだ。つまり、それだけ映画、コンテンツ産業のマーケティングはデリケートだということでもある。

思えば私が、スタジオジブリ作品を初めて観たのは2002年の5月4日、場所は広島。カープ対タイガースを広島市民球場(当時)で観る予定が、雨天中止になったので、しょうがなく『千と千尋の神隠し』を観た。前年公開だったが、特大ヒットとなりロングラン上映中だったのだ。

打ちのめされた。もちろん内容が圧倒的だったのだが、野球の試合が雨天中止で「しょうがなく」観たので、事前情報がまったくなかったことも、新鮮なインパクトに拍車をかけたと思う。独特の抽象性と映像インパクトで押してくるスタジオジブリ作品には、特に「NO宣伝戦略」が合うのではないか。

『君たちはどう生きるか』をまだ観ていない方に

最後にNHKの公式サイトに掲載されていた「謎に包まれたジブリの新作 鈴木敏夫Pに聞いた!」(2023年7月6日)という記事を引用したい。ここまで私は何度も「NO宣伝戦略」という言葉を使ってきたのだが。

――インタビューのなかで、今回の「宣伝戦略」について質問すると、鈴木さんは「あまり戦略って言葉は好きじゃない」と答える場面がありました。そしてインタビュー終了後、鈴木さんは改めて「揚げ足を取るようで悪いんだけど」と笑顔で前置きしながら、「戦略は戦争で使う言葉で、そうなると勝ち負けになってしまう。そういうことじゃないんだ」と話してくれました。

『君たちはどう生きるか』をまだ観ていない方は、この言葉だけを唯一の事前情報として携えながら、観に行くのもいいかもしれない。


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(スージー鈴木 : 評論家)