福士蒼汰「人気に実力伴わなかった」葛藤を経た今
福士蒼汰(撮影:今井康一)
2023年5月に30歳を迎えた俳優の福士蒼汰。かねて海外志向を口にしていたなか、ついに国際連続ドラマ「THE HEAD」Season2に出演し、念願の世界デビューを果たした。「第一歩のあとは二歩目、三歩目を」と俳優としてのステップを着実に踏んでいる、日本の若きトップスターの12年の俳優歴には「順風満帆だったが、自分の中では中身がなかった20代前半」と「順風満帆ではなかったが、充実した20代後半」があった。
――ヨーロッパ最⼤級の制作会社による国際連続ドラマ、Huluオリジナル「THE HEAD」Season2に出演し、かねて目標としていた海外進出をついに実現しました。
20代のうちに海外作品に出演することが夢だったので、決まったときはすごくうれしくて。もちろん同時に責任やプレッシャーも感じましたが、それよりも「ようやく夢を叶えることができる」といううれしさのほうが強かったです。
中学生のときに英語に興味を持つ
――海外を目指したのにはきっかけがあったのでしょうか。
最初に意識したのは、小学校の中学年くらいのころ。地球儀の日本がすごく小さくて、小学生ながら外に出てみたいと強く思いました。中学生になって英語の授業が始まってからは、この言語を話せるようになったら、世界中の人たちと意思疎通ができると、英語に興味を持ちました。
俳優活動を始めたのは高校生になってから。俳優として海外作品に挑戦できたら、英語を使うこともできると考えたのです。
今思えば、俳優になる前から海外に興味があったのだと思います。英語もずっと好きで努力を続けてきました。
――海外映画祭での流暢な英語のスピーチなどで福士さんの英語力の高さは知られていますが、実際の撮影現場ではいかがでしたか。
撮影はスペインのテネリフェ島で1カ月、マドリッドで1カ月の計2カ月間。その間は現地に滞在して撮影に臨んでいました。スタッフはスペイン人、キャストは世界中から参加した異なる文化を背景に持つ役者たちで、共通言語は英語という環境でした。
撮影を想定して、英語はたくさん練習して挑みました。十分な準備はできていたつもりだったのですが、主役のジョン・リンチは、セリフの順番を入れ替えたり、アドリブでしゃべったりするんです。ジョンとのシーンの1日目が終わってから、これは対応できるようにしておかないといけないなと刺激されました。
英語でのアドリブは難しかった
次のジョンとの撮影の日は、事前にジョンのセリフもすべて覚えて臨みました。やはりジョンはそこで湧き出てくる感情によってセリフを自在に変えていましたが、なんとかついていくことができました。
監督からはライブ感が出ていいシーンになったと評価を受けましたが、日本語だったらなんでもないことでも、英語では難しいことだと痛感しました。
福士蒼汰(撮影:今井康一)
――今作に参加したことで、福士さんが得られたことは?
経験したことがすべてですが、いちばんはコミュニケーション能力。英語力がどれだけ高くても、コミュニケーションが苦手だとそれを発揮できない。緊張しすぎたり、考え込みすぎたりすると、普段の自分の能力が出せない状況になってしまうので、いかにリラックスしてコミュニケーションできるかが大事だと感じました。
――作品への手応えをどう感じていますか。
撮影が終わったときは、達成感がものすごくありました。英語の台本をすべて覚えることもそうですが、毎日の英語のコミュニケーションには大変なエネルギーが必要で、最後の最後までずっと気を張っていないといけなかったこともあり、やり切ったなと思いました。
でも、同時にもう1回やりたいという気持ちも湧いてきて。次に海外作品に出演するときは、もっと自分の能力を遺憾なく発揮できるようにしたいと思いました。見てくださった皆さまに今作がどう感じていただけるかはまだわからないのですが、いまはそのときの自分を褒めてあげたいです(笑)。
――今回初めて海外作品にチャレンジされましたが、国内でのこれまでの12年の俳優業を振り返ると、デビュー当時から華々しい活躍が続いて、順風満帆な俳優人生に見えます。
どのアングルから見るかによって違いますが、12年を前半と後半に分けると、前半は順風満帆だったように見えるけど自分の中ではそうじゃない。後半は順風満帆とは言えないけど自分の中では充実していた、というように感じます。
福士蒼汰(撮影:今井康一)
――前半の中身がそうではなかったというのは?
デビューしてまもなく「仮面ライダー」の主演を務めさせていただいたり、朝ドラ「あまちゃん」(NHK)で話題になったりして、まだ役者として右も左もわからない中で大きな仕事をたくさんいただいて。自分の名前だけが1人歩きして、メンタルはそれに追いついていなかった。それが20代前半まで。
傍からから見たら、順風満帆に見えるかもしれないなとは思います。でも実際はそんなことなくて、そのころの記憶があまりないくらい。とにかく必死に目の前のお仕事を乗り越えていました。
それが、20代後半から自分のペースを確保しながら少しゆっくりとお仕事させていただくようになり、1つひとつの作品に対する、自分なりのクオリティが上がったと感じています。
周りの評価と、現実の自分の姿に悩む
――20代前半の「名前が1人歩きしてメンタルが追いつかなかった」ころは、スランプのような状態だったのでしょうか。
スランプだと感じることすらないくらい、まだ自分の実力が伴っていなかったんです(笑)。お芝居に対する自分自身の現実の姿と、周囲からの評価のギャップがすごく大きくて。オーバーレイト(過大評価)されるほうが、アンダーレイト(過小評価)されるよりもきつい。その状況に悩み、苦しみました。
――役者生活の前半と後半での心境の変化には、きっかけや転機があったのですか?
時間だと思います。20代前半までは、プライベートの時間があまりない7年間でした。そこから5年間くらいは自分の時間を作るようにして。自分を見つめる時間ができたことで、心の余裕ができました。役者として止まっていた成長が、一気に押し寄せて流れてきたように感じます。
自分が幸せかどうかが大事
――充実した生活を手にして、仕事もいい方向に変わったんですね。
僕にとってはお仕事が充実していることだけではなく、自分が幸せに生きているかが圧倒的に大事。20代前半は仕事のほうにスイッチが入りすぎていたので、後半に入ってからのほうが、人生においての幸せを感じます。
――仕事も生活も充実させた20代後半で、幼いころからの夢である海外進出を実現させました。
海外に挑戦したい気持ちの一方で、日本でも今までと同じようにお仕事をがんばりたい気持ちがずっとあったので、なかなか海外へ踏み出せなかったこともありました。でも、周囲の方にサポートいただいたおかげで、今回夢を実現させることができました。
福士蒼汰(撮影:今井康一)
――30代での俳優業の次のステップは意識したのでしょうか?
僕自身は30代に入ることをそんなに意識していないのですが、あえて言うなら、20代の最後に今作の出演が決まって、その先の二歩目、三歩目をどんどん進めていきたいなと思っています。今回の第一歩を無駄にしないように動いていきたいという30代になると思います。
――中国語も勉強されているそうですね。
中国語を勉強していた時期もあります。最近はアジアもエンタメ業界が盛り上がっていて、おもしろい作品がたくさんありますよね。中国語はなかなか難しいのですが、また勉強したいなと思います。
――ご自身が海外作品に参加するのと同時に、日本の作品がもっと海外に出てほしいという思いもありますか?
日本の役者が海外でも挑戦できる道を作っていくうちの1人になれればいいなと思っています。
これまでにも日本の作品はカンヌ国際映画祭やアカデミー賞など世界中で評価されていますが、日本の役者が海外作品に参加するのはまだまだ難しいこと。
日本生まれで日本育ちの日本人でもできるということを示せるようにがんばりたいというのが、僕のモチベーションにもなっています。後輩の役者たちが「俺たちもできる」と思ってくれたらうれしいです。
海外の仕事の割合も増やしたい
――日本の仕事も大事だと思いますが、この先、海外の仕事とのバランスはどう考えていますか?
30代の10年間で機会があれば海外の仕事の割合も増やしていければいいなと思っています。
――30年後のご自身はどうなっていたいですか。
今は60歳になった自分の姿がまったく想像できないのですが、イケおじになっていたいです(笑)。役者の仕事は好きだから続けていると思います。これから役者以外にもやりたいことが見つかったら、役者をしながら同時にできたら楽しいかもしれないですね。
(武井 保之 : ライター)